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□泡々
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ふわりふわりと雪が降る。
まるで羽根の様に、ゆっくりと落ちる。

それを眺めている私の睫毛にもやがてそれは積もり、私の瞳を閉じさせる。

雪が落ちる速度と同じ様なスピードで深く息を吸い込み、外気の冷たさを肺に満たし直ぐ様吸ったばかりの息を吐いた。

息を吐き終えるのと同時に重たい瞼を持ち上げれば、雪とは似ても似つかぬ真黒の君が微笑みながら私を見詰めていた。





────────泡々────────






「うわ、頬っぺた冷たい」


暖房の付いた暖かい部屋の中に入り防寒具を取るとクロロは手の甲で私の頬を触るなりそう言った。
ここまで冷やさせたのは誰だと言ってやりたかったのに、自分の掌で懸命に私の頬を暖めるものだから口をつぐむしか無かった。


「ホットミルク、淹れるね」


懸命に私の頬を暖めていた手を引っ込めるといつもより幾らか緩慢な動きでキッチンに向かう。

手持ち無沙汰になった所で暇を潰せるものは無いかと部屋を見回してみると本棚に目が止まった。
以前来た時より本が数冊増えている。

見慣れない本達を眺めると大体が論文や提唱文といった古書ばかり。
自分の世界や考えを押し付ける様な小説や詩集などは嫌いだし面白味が無いと言っていたから当たり前ではあるのだが、私が幼い頃に夢を与えれくれたD.ハンターの様に心躍る事もあるのだと教えてやりたい。

そんな事を考えながら本棚に並べられた古書を眺めているとそこに似つかわしくない本が一冊だけあった。
その本を手に取り作者名を見て少し驚いた。


「気になる本でも見付けた?」


テーブルに注いだホットミルクを静かに置き私の隣に来て本を覗く。


「趣味が変わったのか? ヘッセを好むなど聞いた覚えは無いんだが」


私が見付けたのは1世紀程前に人気を博し、名作を生んだ小説家の詩集だった。
偶然にも私が好んでいる作家の一人だ。


「別に好んでる訳じゃないが、御前がここの本棚を見ていつも興味を惹かれるものが無いって言うから」


君が好みそうな作家の本を買ってきたんだ。


そう言うと私の顔を覗き込み僅かに微笑んだ。
正直驚いた。
私が持っていないものを買ってくるだなんて。


「...有難う」


認めたくないが読みたかった本だ、厚意に甘える事にしよう。
先程淹れてもらったホットミルクを飲みながら内心嬉々として本を開いた。






暫く読み耽り幸福感に浸っているとそれまで口を閉ざしていた隣の相手が急に言葉を紡ぎ出した。



子供たちの遊ぶのを見、
その戯れがもはや理解できず、
その笑いがよそよそしく愚かしく聞こえたら、
ああ、それは、永久に遠くにいると
思っていた意地わるい敵の警告で、
それはもう鳴りやむことはないのだ。

愛人たちを見ても、
天国をあこがれもせず、
満足して先へ行くとすれば、
ああ、それは心の最も深い思いを
秘かに諦めることなのだ。
それこそ青春に永遠を約束したのに。

意地わるいことばを聞いても、
決してむきになって怒らず、
何も聞こえなかったかのように、
ゆうゆうと振舞うとしたら
おお、その時は心の中で
静かに苦痛もなく
聖なる光がけいれんして消えるのだ。




まるで一人言の様に呟かれたそれはヘッセの詩の一つだった。


「俺にぴったりで良いだろ?」


けらりと笑う顔は何処か寂しげに映ったのは気のせいだろうか。


「..皮肉にしか聞こえんぞ」


返って来たのはいつもの軽い笑い声だった。
御返しに、と私も言葉を紡いだ。




数多くの生きて来た年々が
過ぎ去り、何の意味も持たなかった。
何ひとつ、私の手もとに残っているものはなく、
何ひとつ、私の楽しめるものはない。

限り知れぬ姿を
時の流れは私のところへ運んで来た。
私はどれ一つととどめることができなかった。
どれ一つとして私にやさしくしてくれなかった。

よしやそれらの姿は私からすべり去ろうと、
私の心は深く神秘的に
あらゆる時をはるかに越して、
生の情熱を感じる。

この情熱は、意味も目あても持たず、
遠近の一切を知り、
戯れている時の子どものように
瞬間を永遠にする。



「御前も充分皮肉じゃ無いか」


そう言うと私に向かって苦笑いを溢す。


「忘れて貰っては困るからな」


視界に相手を捉えた瞬間に瞳の色が変わるのを自分で感じる。

綺麗だ、何て陳腐な台詞を吐いて私の頬に手を掛ける。


「忘れるも何も、もう何も無いだろう」


俺にも御前にも、互いに互いしか。


縋る様に落とされた唇はホットミルクの甲斐も無く冷たかった。





fin.→



※一部抜粋
Hermann Hesse
・孤独者の音楽 「 Trost」「Absterben」
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