鬼話

□百夜
1ページ/24ページ

(0)

 痩せた子供が固い地面に張り付くように転がっていても、傷を負い泣いていても、歩きを止める大人は居ない区画に生きていた。
 女と、安く気軽に遊べるからとふらりと寄っては身を壊し、最下層の奴等は遊女からも客からも難癖をつけて搾り出す。
 知らない奴が歩けば一瞬でカモだ。ぶつかったと喚かれ、手足が飛んで来る底辺の町――羅生門河岸。

 俺たちは降り頻る雪の地に縫い付けられ、血塗れで意識を無くしかけていた。
 ぼんやりと耳が捕らえる足音に、警戒した時には既に遅い。
(――畜生、やられる!)
 しかし、珍しくまともな声を掛けられ、『会話』をしていた。
 相手の顔はよく見えない。寒さで硬直した体は易々と首を動かしてくれない。――いや、そんなことはどうでもいい。
 今は、腕に抱く妹を死なせないために藁をも掴む思いで相手の話に乗ってやる。
 ほんの僅かな未来を思い、つうと上から滴る赤い液体を目に捕らえていた。
「苦しみはあっという間。生きるか死ぬかは、君達次第だけどね」
 男の言葉が降ると同時、体の何処かから悲鳴が上がる。声に、息に、頭に、体に、全て伝わって震えていく。

「う……う! ぅぐあああ!」
「俺と話が出来ればいいけど。どうかなぁ、こっちに来てくれないかなぁ」

 男の声に反応する間もなく、突如現れた疝痛に痙攣が増してゆく。身体中の骨が軋み、どくどくと腹で踊る臓器は熱く重く腸に焼けついた。
 毒を飲み下したような、傷に塩を塗られたような、初めての鋭い痛みに恐怖で呼吸が潰れていった。
「ガアッ! はガアッ」
 何度も胸を押され、息が詰っても、それでも腕の中のものを感じられずには居られず、焦る指を大きく張って強く支え直す。
 すると、引っ掻かれた。己の体を何度も引っ掻かれる。腕のなかで、もがき、怒張し暴れられるも腕を離す気になれない。
 感じなかった物が体に蘇り、痛みを伴い狂いそうだ。けれども腕の中の物の勢いをひしひしと感じ、ひどい嗚咽にて息を思いきり出していた。
「う……うぅっ、ぐあああっ」
 次第に視界に色が戻ってきた。闇から一変、くっきりとした夜の世界が拡がってゆく。夢現の狭間に立っている気分であっても恐怖はない。
「もう痛くないかな、君は。だけど、お嬢さんの方はどうだろう。さっきまでは虫みたいに蠢いていたけど今は大人しいね」
 言われ、気づかされた視線を急いで下げる。
 しかりと包む物は埃でも被ったのか、黒い粉を寒風にハラハラと落として行った。白い肌に白い髪。見たことのある青が俺を見上げたとき、徐々に黄が注し緑へと変わってゆく。
 中心の紅の核に引き寄せられ、互いに顔を見合わせていた。

「お兄ちゃん……?」
「っ! 梅」
「ふうん……人間の記憶は残っちゃったか。二人には強い想いがあったんだね」
「お前……大丈夫だな?! 一人にして……すまなかった!」
「それよりアタシ……お腹がすごく空いてるのっ!」

 突然、白い細腕が俺の体から逃れるように飛び出した。向かう男の持つ屍体へ、瞬時に爪を食い込ませる。

「わあ、びっくりした」
「……梅」
「……ッ……もっとぉ!」
「ならば、あっちかな」

 無我夢中で白い足を頬張る妹を前に、獲物を取られた男の顎が指す方からは、三味線が風に乗って聞こえてくる。
 すると空腹に枯渇した俺の視線は自然にそこへ飛ばされた。

「成る程、ここは……あそこだなあぁ。いい具合に雁首揃ってやがる」
「頂戴、頂戴!」
「お腹空いてるよね〜分かる分かる」
「……誰、こいつ」
「世話になった人だ」

 と……口走ったものの俺には曖昧な記憶しかなかったが。ただ、粗相をした妹を大目に見ているあたり同類の者だと判断した。
 グチャグチャの肉片を啜る凄まじい光景なのに動く妹を見て嬉しいと感じる俺がいる。
 腹が膨れた妹は唇を拭うと傍の男に話し掛けていった。

「ねえ、お願いがあるんだけど……」
「何だい、お礼かな」

 お礼? と首を傾げる白い少女を見送って、俺は衝動的に駆けていた。

「えっ、お兄ちゃん?!」
「あれー、行っちゃったね」

 しんしんと降り頻る雪の中で二人の男女がぽかんと佇んでいた。提灯も無い外光のみの場所は暗かったが、期待に弾む妹の顔は、よく見えた。
「梅の奴……」
 不貞腐れた呟きが声に出ていた。あんな顔をされると、つい体が動いてしまう。
 瞬時に行灯を潰し闇にする。扉を割れば、ひきつる顔がそこら中にあった。
 羅生門街のほんの一角に起こる悲鳴は、宴の賑わいに消されて誰も気づかない。それに、木戸も閉まって餌は更に増えている。
「ひひっひひひひ……雪なら鮮度の具合も丁度いいなあぁ。あっちに戻っても腐っちゃいねえ」
 はじめての高揚感。腕を振るうと簡単に人間が切れてゆく。けれども泣き別れた上下の体ではあいつが汚れてしまうと早々に興味が失せて、選べなかった。
「ぐぬう……力を抑えなければ」
 部屋だったものから出ると、凍った路面に黒い飛沫が舞い散った。辛うじて原型をとどめた物を拾って雪路を歩く。
 後から後から作られる血の道は降り積もる雪に消されてゆくだろう。かつて俺達が消されたように、コイツらも……。
 妹のいる場所へと帰りつく。俺にズルズルと引き摺られた数体は、逆さであったり、俯せであったり様々だ。
「これでいいんだろ」
 妹は差し出した物を見るなり硬直した顔を俺に向けていた。
「すごいすごい! お前は行動力があるね。最初にしてこの量だ。おかわりは要らないね」
 興奮する声をあげる男の横で、掴んだ物を妹に渡すが何故かむっとされている。

「やだ、これ」
「そうか、ならばこれは?」
「……違うのが欲しい」
「ならば、こっちは!」
「んもうっ、お兄ちゃん! アタシの好み、全っ然、分かってない」
「あぁあ? そんなもの知らねえよ」

 呆れた声が冬の空気によく響き、同行する者は苦笑いだ。俺は「お前は変わんねえなぁ」とぽつり漏してしまう。
 いつ感じたのかは思い出せないが、つまらなさそうに唇を尖らせる妹を叱る気は起きない。
「お嬢さん、これならどうだい?」
 そう言う男が差し出す物は、少女の小さな掌に収まるほどのもので、腹を充たすには足りやしない。あれではまた我儘に当たり散らすだろう。
 しかし妹は、顔色を明るく変えて飛び付いた。

「わあっ! かわいい。凄く好き」
「よかった、よかった〜」
「ねぇ、お兄さん何て名前?」
「童磨だよ、梅ちゃん。宜しくね」
「何なんだ(……ああ〜っっ胸がもやつくぜ。心外過ぎだよなぁぁああ! 大体よぉお、こいつ、女慣れしてやがんだ。花街に居る大人なんざ、そんなものだろうがよぉお!)」

 俺は気が塞がる思いだったが梅の喜ぶ顔の手前、しばし様子を探ることにする。

「あんたも喰ってくれ」
「ありがとう。でも彼女の為に採ってきたものだろ」
「要らねえって態度だろうよ」
「大丈夫。美味しい部分を教えるから、皆で食べようか」
「……いい奴だなぁあ。そうやって女共にも優しくしてるんだろうなぁああ」
「そうかな? 俺は皆に楽しくいて欲しいんだよ。楽しく生きてる人って格別に美味しいから」
「俺は……妓夫太郎だ」
「宜しくね、お兄ちゃん」

 暗い雪空の下、穏やかに談笑する自分達が不思議であった。
 俺は……こういう事を初めて味わう気がした。何故なら、いつも決まって二人だけの世界だったからだ。
 ーーそれだけは、ハッキリと覚えている。

「はい、食べやすい所」
「わあ〜大玉の飴みたい」
「飴? ああ菓子かい」
「妓夫太郎は脂肪たっぷりのここ! 沢山喰って、力を回復しなきゃね」

 初対面とは思えない気さくさで会話が弾み、男は見事な手捌きで“美味い部分”を妹に教える。
 片や俺は、掴むものが何であれヤケ糞にでも口に放り込まなければならない餓鬼感に襲われていた。それも以前とは全く違う胃袋感覚で、人前ですら必要以上に涎が出てしまう。

「ヤダァ、お兄ちゃんってば」
「茶化すな、仕方がねぇだろぉ〜」
「最初は調整が難しいから」

 その男ーー童磨の話術は俺たちの緊張を解き、溶け込み、妹を笑顔にさせた。
 少々癪だが、俺は取り合えず静かに安堵の吐息をつく。

「あんた……この世界は長いのか?」
「そうだなあ、人間人生の50年と比べれば長いと思うよ」

 そうして深夜の雪に埋まる黒い染みを残し、俺達はその場を去った。
 次はどうするか、を考えるために。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ