Novel
□止まり木
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予言日の今現在、何が足りないのだろうと一年座られていない椅子に視線を向ける。
――ベジータはまだ帰らない。
あの日、茜雲の中を掻き分けるようにあいつの船が落ちてきて、そこから出てきてくれたら、どんなに嬉しいと思えただろうか。
「だけど期待を裏切ってくれるやつよあんたは!」
そんな一人文句とは反対の、よく晴れた早朝の空へ、小さく笑うしかなかった。
***
いつもの朝が来て、いつもの時間に起きて、彼との世界が始まってゆく。
本日のトランクスは珍しく、ぐずりが長かった。男の子にしては大人しい方だというけれど。与えたお気に入りのオモチャは全て放られていた。
「お腹いっぱいなの? 眠いの〜?」
穏やかに声を掛けながら顔を覗き込むと、ころんとした大きな青い瞳がこちらを、窺ってくる。会話ができない自分達をつなぐのは、声と顔と仕草でのコミュニケーションだった。
一日を過ごす度に新しい発見と戸惑いが沢山出ては、彼のよだれでフニャフニャになった本を開くのが常なのだ。
「あうあ〜あわぁわ〜」
「何? わからないわ……て当たり前か」
ときどき本音が出ては駄目だ駄目と口を結び、代わりにぷにりと彼の頬を押せば、彼は自分と同じ色を潤ませる。ベジータ似のきれいに生え揃った眉をしならせ、さらさらで柔らかな眉間が深くなった。
「ぷっ……似てる」
ソファーに腰を掛けて授乳をしながら腕の中でどんどん重くなる温かさを感じていた。
段々と痛くなる乳房に不思議になり、小さな口の中を見てみれば、ちっちゃな歯がちょこんと下に生えていた。
思わぬ反撃に、フロアじゅうに自分の声が響いていた。
背もたれの向こうから、ひょいと母さんが顔を出す。エプロンから黄色いアヒルのおもちゃをきゅっきゅと鳴らせて、おはようと、と来た。
「トランクスちゃん、感情が育ってきたのかしらね〜? ブルマちゃんとベジータちゃんのどちらに似てるのかしら?」
そういえば……と、少し昔を思い出していた。
彼の成長が著しく早いことを知ったとき、もしかすると早く話し始めるのではないかと、そんなふうにベジータの細胞に期待をしてみたりしたものだ。けれどもここ最近は落ち着いて、一般的な地球人の成長段階と変わらないのではないか。最初あれだけ自分達を驚かせたのに、不思議なものだ。
あと少し、ほんの数ヶ月待つだけで彼は話せるようになる。
その第一発声は何て言うのだろうか。そこはやっぱり「ママ」がいい。
けれどもその声を、あいつは聞いてくれるのだろうか。そもそもここに戻ってくれるのだろうか…………。
「んんーーああんああん」
お乳で落ち着いていたのに、再び返してしまったようだ。彼はくしゃくしゃの顔で訴えてくる。小さな掌を強く握って、また眉間にしわを寄せて。
「あんた! これ以上シワ寄せちゃだめ。癖になっちゃう」
慌てて彼の眉間を指でマッサージをし、きゅっきゅとアヒルを鳴らし、くちばしでつんつん注意をする。
すると愛らしい声がやっと笑って、アタシの息はホッと解けてゆく。母さんからの質問の答えが、分かったからだ。
ベジータに似れば神経質になるだろうし、もっと沢山、暴れているはずで。今、どこかで近寄りがたいくらいの雰囲気を漂わせて怖い顔をして腕を組んでいるに違いなくて――、
「多分アタシ似よ、そうであって欲しいわ」
穏やかな朝の時間が流れながらも、鼓動は煩いまま。未来の自分達を思う事が少し怖いまま。
「トランクス?」
ちゅくちゅくと親指を噛みながら、おとなしく外を見ている彼は何を見ているのだろう。ふっと流れるように、自分もその中を見ていった。