わるいこと


□夜獣
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 生物とはどれほどの種類がいるのか。そんな事など気にも止めなかった。宇宙の星を相手に生きていれば、その環境下に習った生物がいるだけ。なんら不思議でもない。
 ただ今は、少しばかり知恵を持つものに振り回され無駄な事を考える事が増えた気がする。
 自分が無知であることが得だというように、気ままに居たのに。別に後に自業自得だと笑われても、どうでもいいと不必要な記憶を消して暮らしていたが。
 一つ、不可思議な事が起こった。
 この地球に居ると……いや、この家に居る、あの女。あの生物が不思議で仕方がなかった。
 俺様よりも前に女と知り合った唯一の居候、あの情報源の豚を探すがこの時間にさえ居らず、ブリーフも帰らず、納得のいく話を聞けそうな奴が居ない。

「おい、女」

 昼間、目の奥の小さな背中に向かって言う。
 キッチンの前で、両耳にスカウターを2つ繋いだような道具(ヘッドフォン)をつけて作業をしていた。
 こちらの声は聞こえていないのか、何やら歌いながらリズムをとっては膝上の裾を踊らせている。
「ふんふん〜ふん!」
 上機嫌な声色をあげながら、身を屈めて下の棚から何かを取り出している。さっさと取ればいいものを、その姿のままで腰を振った……。
 透明の壁があるような違和感に、ふと足止めをくらっていた。
 近づく事を招いているような、気のゆるんだ時間。息を沈めなくとも、交感神経を活発にさせてゆく生物の匂いがそこにはあった。
 一線を引いているのに、手を伸ばせば女がいる環境に今を知りゆく己の身が、少し引きつった。
 苦手な現象の中で女が振り向いた。
 すると、みるみる内に機嫌が悪そうな面になる。

「なによ、また何か壊したの? いい加減慣れないものかしら。あんたエリートなんでしょう?」
 そう、非常に大きな声で話掛けられていた。ずっと。
 その、シャカシャカ漏れる音にムカついて取り上げ、遠くに放ってやる。
「もうっ!」
 怒鳴った後、新しくできたというケーキ屋の情報を言いながら、菓子を大皿に箱ごとひっくり返す荒さの意味は分からない。ただ勝手に怒っている。
 テーブルに広がった三角の塊は、シロップでコーティングされたパイ生地が、てらてらと艶やかに光っていた。甘酸っぱく爽やかなりんごの香りは焼けた小麦の香ばしさと合間って、生唾を飲まされる。

「アタシはね、これにもうちょっとシナモンを足すの」
 コロッと様子が一変した女は、薄茶の粉を艶の上にふりかけていった。
「うまそうだな」
「でっしょ〜、でも人の名前をきちんと言えない奴の分は、ないの」

 口を閉めた唇の周りには茶色い粉が所々について、子供みたいだった。ひと噛みするごとに、パイの層が崩れ、しなびた林檎の音がシャクッと、した。

「いる?」
「別に」
「アタシの名前知ってる?」
「ブルマだろ」
「そう当たり。じゃ何で名前で呼ばないの?」

 きょとん、とした顔で語られる。

「会話は出来ている」
「……まあ、それはそうなんだけどさ」

 ブルマが急に小さくしぼみ始め、ベジータは考える。
 やはりこの家で一番の百面相は、一人でも大袈裟に身ぶり手ぶりで説明し辺りを動く、感情がそのまま体の隅々にまで出る表情豊かなこの生物。
 加え、月の流れのなかでいく数度、性格が変わることは警戒観察をして分かったこと。
 今の状態は、こちらから言わせてもらえば、厄介化、第2形態とでもいうべき頃であった。

「なんかさあ、あんたって結局ひねくれ坊主よね。孫君とか素直過ぎて気持ちいいくらいにおバカで、普通だったのに。あんたは根がチンピラなのよ。少し前に来た孫君の兄って奴も怖いんだけど、あんたと比べるとよく喋ってて人間的だったわ」

 むしゃむしゃ、むしゃむしゃ。
 減らず口の中に消える菓子は、止まらない。
 地球人と自分の共通の知人である男を引き合いにして小言を言うのはいつものこと。だが今は、煽りよりも大らかに見えた。

「あーおいし。でもこれ林檎のお酒が入ってんのよね。注意力が鈍るからどうせ無理でしょベジータ」
「べつに食うとは言っとらん」
「そうなの?」

 言うと、男の鼻先にパイを潜らせるように近づけて、ちゅ。
 つん、としたシナモンの独特な香りと突然の不意打ちに眉が詰まる。
 だんだん口内に広がる神経ガスは、どこか不思議な異世界へ迷い込ませる甘美さだ。無遠慮に流れ、唇を甘噛まれ、ついーと引っ張られていた。
「目くらい閉じなさいよ」
 口中に香ばしい匂いを残され、女は首に腕を回す。身をうんと寄せて膝の上にのし上がってきた。
「…………」
「……あ〜もう、ムードがない〜! 違うのよ、もっとこう……」
 女が立ち上がると、衣服の裾が尻に張り付くようにめくれていた。腰紐に引っ掛かっているようだが、そのまま大股で歩いてゆく。
 地球人の衣服は形が多すぎる。男女差もあるやも知れんが、妙な形のものばかり。あんな、尻の両肉をむき出す、隠す所はないように見える――もの。
「……おい」
「何? イ〇ポ星人」
 女が振り向くと、先ほどとは違う菓子を食っていた。
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