RomanceNovels

□依存症。
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あるマンションの一室でその男はパソコンに向かって、文章を打ち込んでいた。
あまり、真面目に取り組んでいるようには思えない状態で。


「…はぁ…。」



躊躇いがちに動いていたキーボードを打つ手を休め、彼−緒方芳彦は溜息をついた。
時計に目を向ければやっと8時30分をまわったところ。
まだ彼の待ち人が帰ってくる時間ではない。



「つまんないなぁ…」


広い家の中にはただ一人、緒方の姿だけでしーん、と静まり返っている。

先程からにらめっこを続けている画面に浮かぶ、締切間近の書きかけの小説は思うように進んではくれない。
また、彼の愛しの奥様は友達と食事に出掛けて留守。
声をかけたって返事を返す者は誰もいないのだ。


本当なら、息抜きで自分も一緒に出掛けようと思っていたのだが、敏腕マネージャーでもある奥様に
『締切が近いのだからダメ』
と駄目出しをくらってしまった。


「…よく考えたらせっかくの女性同士の集まりを邪魔しちゃいけないんだけどね。」


頭の中には妻の友人が浮かぶ。
自分に対して
『幸せにしなかったら許しませんから』と釘をさしてきたちょっと勝ち気な女性。
久しぶりに会うのだから自分が行っていたら、お邪魔虫だろうし、行かなくてよかったのかも…
そう自分を納得させようと努力する。


だが、口ではそうは言っても、誰もいない空間を見渡すのは、少し切ない。


元来、緒方芳彦という人間は孤独というものに結構耐えれる、むしろ孤独を愛する性質だった。
…が、彼女に出逢って以来、すっかり変わってしまったのだ。

何と言うか、はるかがいないとなると…あまり気分が優れないと言おうか、または楽しくないというか、なんとなく一人でいるのが少し苦痛に思う時が出来た。



−はっきりと言ってしまえば、自分は彼女に『依存』しているのかもしれない。

今までは、自分は自分だし、所詮他人は他人だ、と言う考えを持っていた自分としては、どう考えても好ましくない思考だと言うのに。
馴れ合いと言う言葉が一番嫌いだった人間のくせに。




「俺も変わったよなぁ…。」


感慨深く呟き、一人でうんうんと頷くと、ふと結婚するまでの自分を思い出した。

最初の出会いの時は、別に特別な感情を抱いて訳でも無く、ただ『可愛い』なんて思っていただけなのに。
偶然の出会いを重ねる度に−未だにやめられない、煙草やお酒のように−どんどん嵌まっていって、逢えなくなった時には禁断症状まで出る始末。

仕事をしている彼女がどんな風に過ごしているか、悪い虫でもついてないか、不安で不安でしょうがなくて、側にいられない自分がもどかしくてたまらなかったものだ。


「ガキか、俺は。」



浮かんできた自分の考えと、あまりにも情けない昔の自分にツッコミを入れる。
しばらく沈黙が続いたかと思うと、溜息をつい手探りで机に置いておいた煙草の箱を探し当てた。
お気に入りである重たい味の煙草を一本取り出し、おもむろに火をつける。

ゆっくりと吐き出したゆらゆらと揺れる白い煙を目で追っている内に、気がつけば今は部屋にいない存在を探している。




「はるか。」


ぽつりと呟いた名前は、広い部屋で佇む彼の心を一層寂しくさせる。
随分と情けない事だ、なんて自分でも思うのだが、こればっかりは今更どうあがいてもしょうがない。

もう、既に手遅れなのだから。
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