みゅう語録
□贅沢な彼女
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三年も付き合うと、喧嘩も仲直りも何度となく繰り返され、トラブルも少なくなってくる。それに甘んじて、今度は倦怠期なるものが二人を襲う。そう、平和という、一番厄介なトラブルだ。
今まで散々辛い恋愛を繰り返した挙句、一番理想的な相手と出会ったはずなのに、ふと、自分でも理解しがたい壁にぶつかった。
付き合った当初は、愛してるという言葉が欲しかったはずなのに、今は何故か聞きたくない。一時的接触を欲していたはずなのに、今は一定の距離を保ちたい。単なるわがままである。
元々わがままな女だということは、彼は重々承知の上で三年と会う月日を私と過ごしてくれている。勿論彼にも不満はあるし、このやろう!と私を心で散々罵っていることもあるだろうが、それ以上に「愛している」のだ、このわがままで放漫な私を。
この事をとうとう、と言うか、漸く、口に出すタイミングが現れた。勿論彼は理不尽な私の要求に、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていた。
愛している人に愛してると言うことが、何故不快に思われるのか、抱きしめたい人を抱きしめて、何が悪いのか。彼女なら喜ぶべきことじゃないか。彼の見解である。勿論一般的に考えれば理想の彼氏だ。言って欲しいこと、して欲しい事を嫌な顔一つせず、いや、少しはするだろうが、彼は長年遂行してきた。感謝すべき事だ。
だが近年、それが私には何故か苦痛に思えてきたのだ。なんてことはない、私の余裕がないからなのだ。
家庭や仕事、子育て、様々なトラブルがミルフィーユ状に立て続けに起こり、恋愛を楽しむ余裕がないのだ。寧ろ今はいらない。冷酷な女だ。本当に勝手だ。わかっている。贅沢な悩みだと言うことも。
折り合いをなんとか付けて、一定の距離を置き、関係は続けることになったが、その話を終えて帰宅した私の疲労感はとてつもなく肥大だった。せっかくのデートだと言うのに。せっかくの彼氏とのひとときを、疲労感で終わった。それが何よりも切なく、虚しかった。彼に非はない。私にあるのだ。同等に彼を愛すべきだということはわかっている。頭ではわかっている。とても彼を愛しているし、生涯を共にしたいと思っているのは彼だけだ。なのに、何故こんなに彼と会った夜は、罪悪感と不安感でいっぱいになってしまうのだろう。今すべき事も出来ないほどに。母親として失格だ。今やるべき事をやろう。気が済むまでやろう。恋愛にどっぷり浸かるのはそれからでも遅くはない、などと考えてみた。彼がわかってくれているかはわからないが、愛し合っているのは確かだから、どこかで折り合いをつけて、その日を楽しみに、ゆっくり、じっくりコトコト、愛を育みたい。愛してる。おやすみなさい。