連載・そして、いつだって
□城へ
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春日局に続いて、茜が腰をあげると、同じように立ち上がった鷹司が、茜の腕をつかんだ。
「待て。行かなくていい」
「え?でも、お見送りをして_」
「いいから」
言い終わらないうちに、鷹司の胸へ抱き寄せらる。
「ここにいろ」
閉じ込められた腕の中に、いつもの優しさはなかった。
ただただ、捕まえている。
そんな力の込め方だった。
「鷹司?」
「…おまえ、なんで『城に行く』なんて言ったんだ?」
「なんでって」
理由など、明白だと思った。
春日局自らが、茜を訪ねてきたのだ。
つまり、それ相応の危機が幕府に迫っているということだ。
「春日局様がお一人で来られるなんて、よっぽどのことでしょう?私が留守にしたら、鷹司には迷惑をかけちゃうかも知れないけど。ほら、お城でも会えるし」
「そんなこと言ってんじゃねえっ。俺が言いたいのは…」
何かを迷っているかのような、一瞬の間。
「…だからっ、なんでもかんでも幕府のいいなりになる必要なんかないだろっ」
(本当は、なにが言いたいの?)
家光も春日局も、その威光を無駄に振りかざしたりはしない。
家光に至っては、茜を『友人』とまで言ってくれている。
茜が断れば、無理強いをすることはないだろう。
そのことは、鷹司も分かっているはずだ。
(鷹司は、どうしてそこまで嫌がるの?)
家光は、以前茜が城を出るとき、一介の町娘である自分に過分なまでの配慮をしてくれた。
「でも、このままだと家光様の身に危険が及ぶんでしょう?」
家光のおかげで、誰もが不可能であろうと思っていた、鷹司との今がある。
いまこそ、その御恩に報いるときではないか。
「家光様の頼みを断るなんて、そんなことしたくないの」
「…」
しばしの沈黙がおちる。
強く胸元に抱きしめられているため、鷹司の表情は見ることができない。
なんとか気持ちを伝えようと、鷹司の腕に手を添えた。
「…俺だって、頼んでる」
「え?」
つぶやかれた言葉を聞き返すと、鷹司は、抱きしめていた腕から茜を開放し、正面から向かい合った。
「城には行かないでほしい」
鷹司らしからぬ、感情の起伏のない声だった。
怒っているようにも、すがっているようにも見える表情。
「茜。城に行くな」
「…」
茜は、鷹司の望む答えを返したいと思った。
そして、いつも茜を魅了するあの笑顔を見せてほしいと思った。
「聞いて、鷹司」
だが、口から出た言葉は、鷹司の表情をさらに暗くするものだった。
「私は、家光様の役に立ちたい」
それは、半分は本当で、半分は嘘だった。
家光のために、役に立ちたい気持ちに嘘はない。
そして同時に、茜は『鷹司の』役に立ちたいのだ。
城にいけば、鷹司が悩んでいた理由も知ることができるだろう。
さきほど、春日局が言っていた『鷹司が考えた策』も聞くことができる。
鷹司がどうして、茜に話してくれなかったのかも。
「…俺の頼みは?」
「それは…」
「家光の頼みは聞くのか?」
「違っ…」
「どう違うんだ?」
今話しているのは、そんな話ではない。
鷹司も、理解しているはずなのに。
「鷹司だって…」
鷹司だって、家光への忠義で、城でどういうことが起きているか、話してくれなかったではないか。
そのせいで、春日局が屋敷までやってきた。
そうして、したくもない口論をしているのは、茜が勝手に城へ行くと言ったのが悪いのか。
(鷹司が、何も話してくれないからっ!)
慣れない言い争いのためか、感情が高ぶる。
茜は、普段、表に出さないように、押し込めていた黒い感情があふれだすのを感じた。
「俺がなんだよ?」
「春日局様のお話、話してくれればよかったのに」
おそらく家光とは、何度も話し合ったのだろう。
そんな風に思う、自分はなんと醜い感情に支配されていることか。
(私は、鷹司のそばにいて、立場を理解し合える家光様に嫉妬してる…)
なんて醜くて、みじめなんだろう。
そう思うのに、気持ちをうまく制御できない。
「それは…」
鷹司は何か言おうとして、口をつぐむ。
今日、何度目かのことだった。
いや、ここのところずっとそうだったのかもしれない。
鷹司は、茜に心配をかけまいとして、そうなってしまっている。
そのことは、十分に分かっている。
けれど、そんなことを、茜は望んでいない。
鷹司のとなりを歩かせてほしい
惹かれてはいけない鷹司に、惹かれてしまったときから、ずっと望んでいる願いだ。
ずっと願っていて…、そして叶わない願いだ。
「鷹司」
__目の前の優しすぎる人を、私はこれから傷つける。
茜の心は、悲鳴を上げていた。
「私はお城にいって、影武者のお役目を務めるよ」
再びの沈黙。
先ほどよりも、長い時間だった。
目の前の鷹司の、苦しげな顔。
「影武者の役目がどれほど危険か、おまえは身をもって知っているはずだ」
鷹司は苛立ちを隠せないというように、言葉を吐き捨てた。
こんな鷹司を見るのはいつ以来だろうか?
いや、もしかすると初めてかもしれない。
「鷹司にはわからないよ」
「なにが?」
まさか鷹司は、茜が、嫉妬しているなんて夢にも思うまい。
そしてその相手は、張り合ったところで、なんら意味のない相手なのだ。
「何がわからないんだよ?」
茜の心のうちを知れば、鷹司はあきれてしまう。
いや、きっと軽蔑するだろう。
「鷹司にはわからないよ……」
たとえ、城で不慮の事態がおこり、永遠に鷹司と離れることになってしまったとしても。
(今のままそばにいるよりずっといい)
このまま鷹司のそばにいることには、茜自身が耐えられそうもない。
(こんな自分ではだめだから…)
鷹司のとなりにいるのに、ふさわしい自分になりたい。
願いは変わらず、それだけだ。
そのためには、城へ行かなくてはならなかった。
夕刻には、春日局の言っていたとおり茜を迎える籠が来た。
必要最小限の荷物を抱えた茜は、その籠に乗る。
様子を見守るおはぎが、不思議そうに首をかしげる。
「行ってくるね、おはぎ」
闇に紛れるように、城へ続く道に進みでる。
鷹司は、見送ってはくれなかった。
___
「家光」へつづく