連載・そして、いつだって

□破綻1
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鷹司は、葵の間に続く廊下を歩いていた。
ここのところ、前よりずっと警備が厳しくなった、家光の私室へと続く長い廊下。
護衛の兵士たちは、鷹司の姿を認めると、恭しく礼をした。

(家光のやつ逃げやがって。言いたいことの半分も言ってねえ)

春日局の部屋での話は、水尾の使いが家光を呼びに来たため、途中で終わってしまった。

鷹司にしてみれば、家光が城を出る前に言ってやりたいことも、聞いておきたいことも山のようにあった。
が、「生きて戻ったら続きの愚痴を聞いてやる」と憎まれ口をたたき、家光は京へ旅立った。

(…とにかく今は、茜に会わねえと)

計画の一端として、近衛の到着に合わせ、茜と家光を入れ替わらせることは__鷹司は承知していなかったが__知ってはいた。
しかし、永光の代わりの『大奥総取締役』に夏津がつくことは、先ほどの会議まで、全く知らされていなかった。

『私はお城にいって、影武者のお役目を務めるよ』

昨日、茜が告げた言葉を思い出す。
しっかりと意思を持った言葉だった。

(俺が支えてやらないといけねえのに)

__茜を城に行かせたくない。

その想いが強すぎて、茜の気持ちに寄り添ってやることができなかった。
今の城は、茜に聞かせたくない話題が多すぎた。

さらには近衛がくるという。
近衛家が危険であることは、摂家の出である自分がこの城の誰よりも知っている。
そんな中に茜をおくことは、鷹司にとって耐えがたい事態だった。

(「大丈夫だ」って、「俺を頼れ」って言ってやるべきだったのに)

家を出るときに、見送りに出なかったことも、茜を不安にさせただろう。
見送らなかったのではなく、見送れなかったのだと、せめて本人に伝えてやればよかった。

「自分は近衛家に見張られているから、姿を見せるわけにはいかないのだ」と。

茜を怖がらせたくなかったのは本心だが、同時に、鷹司の意に反して、茜が『城へ行く』と言ったことへ反発があった。

(つまりは、俺の我儘だ)

茜を思い通りしたいという子供っぽい独占欲だった。
淋しげにおはぎを撫でていた茜を思う。

(俺のせいで、あんな顔をさせちまった)

茜を守るために全力で戦ってきたつもりが、結局悲しませることになってしまった。

(俺があいつを安心させてやらねえと)

鷹司の足どりは、自然と早まった。

*

葵の間の前の廊下に立ち、今まさに声をかけようとしてしていた鷹司は、聞こえてきた言葉に、自分の耳を疑った。

「…えばお前と…、口づけをした仲だっ……」

「……れは、夏津さんが………」

「それ………いに簡単に男を……。近衛が………」

考えるより先に、三つ葉葵の紋が印された襖の引手を、おもいきり引いた。
強く放たれた襖が、高い音を立てる。

「今の話…。どういうことだよ?」

開いた襖の向こうに立つ茜の目は、泣きはらしたように真っ赤だった。


*

一刻ほど前。

朝の会合が終わった直後、鷹司は、永光と向かい合っていた。

「先ほどの会議に不満があるのでしょう?私がお聞きします」

大奥にいたころ、幾度となく連れてこられた茶室。
すぐにでも家光を追いかける勢いだった鷹司は、永光によってここへと引っ張り込まれた。

「…夏津を代理の『大奥総取締役』にするというのは、本気ですか?」

「ええ、もちろんです。推挙したのは私ですから」

「…」

とにかく心を落ち着かせようと鷹司は目を閉じる。
永光を責めるのは筋ではない。
ゆっくり目を開けた鷹司に、永光は当時と変わらない、妖艶な笑みを見せた。
鷹司は口を開く。

「理由を聞かせてください」

有名な職人が仕立てたという茶釜から上がる湯気も、永光の点てる小気味良い茶筅の音も、何もかも変わらない。

「お万の君と火影が家光に着いていく以上、茜の護衛が必要なのはわかります。けど…」

なぜ選りにもよって夏津なのか?
夏津が、当初鷹司が疑っていたよりは、信用のおける人物であることは、承知している。
しかし、茜を任せられるほど、信頼しているわけではない。

「表(おもて)は春日局様と稲葉殿がおりますが、大奥は手薄です。代理は必要でしょう?」

永光の手が止まると、茶碗からは茶の香ばしい香りがした。
茶道は得意とは言えないが、茶が嫌いというわけではない。

「火影と同等の腕前を持つものと言えば、城にも、そうそうおりません。そういった意味でも夏津殿は適任です」

「俺がいます。茜は俺が守ります」

なんといっても自分と茜は夫婦である。
この計画に巻き込まれてしまった以上、茜を自分の手で守らせてほしい。
まちがっても、後悔などないように。

「鷹司殿は、大奥へ入れません」

「なら、あいつを…。茜を大奥へは行かさなければいい」

力を込めて、永光を見つめる。
永光はふっと頬を緩めると、茶碗を鷹司の前へをおいた。

「どうぞ」

茶碗には、美しい牡丹の絵が描かれていた。
永光はその椀をつつと押す。

「そういうわけには行きません。わかっているでしょう?」

牡丹。
鷹司家の紋であり、同時に近衛家の紋でもある。

(わかってる。けど…)

近衛と『家光』を会わせなくてはならない。
近衛の裏をかくためには、必要不可欠だ。
__必要ならば、褥をともにすることも。

(茜は、分かってねえ)

いやもしかしたら、茜は覚悟があるのかもしれない。わからない。
しかし、鷹司にとっては、絶対に避けなければならない事態だ。

(なんであいつはそこまでして)

茜はなぜ、影武者を引き受けたのか。

『鷹司には、わからないよ』

茜は繰り返しそう告げた。
しかし鷹司にしてみれば、茜の気持ちのほうがわからない。

ただ、今は、理由などなんでもいい。
茜が城にいる以上、守るのは自分だ。

「それなら俺をもう一度大奥へ戻してください」

努めて冷静に伝える。
永光に、ごまかしは通じない。

「鷹司殿」

永光は自分のためにお茶を点て始める。
再び部屋には、濃い茶の香りが広がる。

「はい」

「鷹司殿の剣の腕を疑っているわけではありません。鷹司殿の腕前が、夏津殿に引けをとらないことは周知のことです」

「だったらっ」

勢い込む鷹司を、永光は静かな笑顔で制する。

「鷹司殿」

「…はい」

「鷹司殿は、人を斬ったことがありますか?」

永光の視線が、鷹司のそれと重なる。
穏やかにさえ見える永光の目は、鷹司の動揺を見過ごさない。
鷹司は言葉に詰まった。

「お気持ちは分かります。ですが鷹司殿」

永光は一呼吸置くと鷹司を見すえ、はっきりと言い切った。

「茜さんを生きてここから出すためです」

*


茜を生きてここから出さねばならない。
この身にかえても、守らなくては。
なのに。

「今の話…。どういうことだよ?」

鷹司は己に問う。

_なんで、茜は泣いているんだ。
_なぜ俺は、それを止められないんだ?
__________________

破綻2」へつづく

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