短編(main)

□続・月、満ちる日には
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「夏津、もうちょっとだけ家にいてくれない?」

朝、道場へ向かうため部屋を出ようとした夏津を茜は呼び止めた。

「生徒さんがくるまでには、まだ半刻くらいあるよね」

夏津はいつも準備のために早く家をでる習慣だった。
茜の言葉に、夏津は不思議そうに振り向く。

「あ?なんかあんのか?」

「あの、もうすぐ緒形さんがくるから、その・・・」

「緒形殿がくるのはいつものことだろうが」

緒形は、江戸城の御典医であると同時に城下にも診療所を持っている。
そのため定期的に城下に来るのだが、その都度、茜の様子を見に来てくれていた。

「そうだけど・・・、今日は夏津にも会って欲しい・・・かなって・・・」

「はっきりしねえな」

言いよどむ茜に、夏津の表情がみるみる険しくなる。

(う。ちょっと言い出しにくい・・・)

「ううん。やっぱりいい。・・・いってらっしゃい」

訝しげに眉を寄せる夏津に、茜は無理に笑顔つくって見せたが、どうやら上手くいかなかったようだ。
夏津は冷めた目でじっと茜を見つめると口を開いた。

「おい」

低く苛立ちを含んだ、夏津の声にぎくりとする。

「おまえ、なんか隠してるな」

「えっ?そんなことないよ」

「それで隠せてると思ってんのか」

夏津は入り口を塞ぐように襖に手をつく。
その瞳は一見冷静なようで、乱暴な感情を宿している。
夏津がこんな表情をしているときは要注意だ。

「ほんとにもういいからっ」

茜は部屋を離れるため、夏津の隣を擦り抜けようとした。
が、立ちはだかる夏津に腰を抱きこまれ、捕まってしまった。

「やっ」

逃げようと身をよじる茜の両手首をつかむと壁に押し付けられる。

「夏津っ、痛いっ!」

「お前が俺に隠し事なんて、百年早え」

見下ろしてくる夏津の目は鋭さをおび、茜は思わずひるんだ。

「夏津、わかった。わかったから、離してっ」

「最初から、そうやって素直に話せばいいだろうが」

手を離した夏津は、話を促すように茜の顎を捉えた。

「で?そこまでして隠したんだから、よっぽどの話なんだろうな」

目の前で意地悪く笑う夏津に、覚悟を決めて口を開く。

「・・・お腹に」

そっと帯に手をかけながら告げると、次にくる言葉を察した夏津の目が大きく見開かれた。

「赤ちゃんが」

夏津の瞳が動揺で揺れるのが見える。
夏津は黙ったまま、掴んでいた顎を離すと、視線を外した。

「夏津?」

「・・・」

「子ども、好きでしょ?」

沈黙に耐えられなくなった茜が先に口を開く。

「さぁ、・・・どうだかな」

うつむいたままの夏津は吐き捨てるようにつぶやく。

「夏津?」

「いってくる」

「えっ?」

「道場だ。夕刻には戻る」

「夏津、ちょっとっ」

名を呼ぶ茜に、夏津は振り返ることはなく、そのまま部屋を出て行った。
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