連載・そして、いつだって
□綻び 2
1ページ/1ページ
話があるという春日局を屋敷に招き入れ、茜は、茶を二つ__春日局と鷹司のために__用意した。
邪魔をしてはいけないと、その場を辞そうしたが、春日局から、とどまるようにと告げられた。
向かい合って座す鷹司と春日局。
庭にいるおはぎが、それにならうようにこちらを見て座っている。
茜は、鷹司のとなりに遠慮気味に腰を下ろしたが、鷹司は茜を見なかった。
「茜、今日はあなたに話があってきた」
「私にですか?」
「そうだ。私のことは家光様の名代だと思ってくれて、差し支えない」
「家光様の…」
首をかしげる茜のとなりで、鷹司は、依然として、不満げな表情をくずさない。
「あなたに話を通してもらうよう、何度も鷹司殿に話していたのだが…」
春日局は、一瞬鷹司に視線を流すと、小さくため息をついた。
「その様子では、なにも聞いていないのだろう?」
「…」
どう答えれば良いかわからず、鷹司をうかがう。
鷹司は何かに耐えるように、固く拳を握っていた。
(鷹司…?)
春とはいえ、日ざしほど温かさを感じさせない風が窓から吹き込み、鷹司の前髪を揺らす。
覗く瞳は、まっすぐに春日局を見すえていた。
「だからといって、いきなり押しかけて来るのは、乱暴なやり方だ」
低く、怒りを押し込めているような声だ。
「たしかに」
対する春日局の涼し気な口調。
鷹司の挑発的な物言いに茜はひやりとしたが、春日局にはどこ吹く風だった。
「鷹司殿の言うとおりだ。非礼は詫びよう。ただ、それだけ後がない状況なのは、鷹司殿もご存じのはず」
「…承知できない。別の方法を考えてください」
(何の話?鷹司が話してくれなかったことって…?)
張り詰めた空気のなか、茜がさきほど入れた茶が、場にそぐわない、ゆったりとした湯気を立てている。
「別の方法も何も、家光様を守るために『これ以上の策はない』。そう言ったのはあなただろう」
「違う。そんなことを言ったおぼえはない」
「だとしても、決めるのはあなたか?」
「何と言われても断る!」
二人の緊迫した応酬が続く。
鷹司の声は、すでに怒りで震えていた。
(家光様を守るための策…。それを鷹司は考えて、あんなに悩んでいたの?)
なんにせよ、供もつけずに現れた春日局だ。
城でよほどのことが起きているのだ。
そして、茜に話があるといった。
(つまり…そういうことだよね)
ふと顔をあげると、春日局と目が合った。
「春日局様」
「なんだ?」
「お話というのは、その…」
言い淀む茜に、春日局はふっと口の端だけで笑う。
「あいかわらず、察しがいいな」
満足げな微笑みは、茜の予想が正しかったことを示していた。
「茜」
「はい」
「あなたにもう一度、家光様の影武者を頼みたい」
「おいっ!」
鷹司の鋭い声がとんだが、茜は、春日局に話のつづきを促した。
「それはどのくらいの期間でしょうか?」
「茜っ!聞く必要はねえ!」
「早くて二週間、長くて三か月(みつき)」
「三か月…」
以前、家光様の影武者をしていたときのことを茜は思った。
あのときの最初のひと月は、永遠に終わりが来ないのではないかと感じるほどに長く、命の危険も幾度となくあった。
しかし。
「茜。家光様と幕府は、今重大な危機に直面している。それを救うには、あなたが必要だ」
「何を勝手なことを…!」
語気を荒らげる鷹司を気遣いつつも、茜の心は決まっていた。
「私で、お役にたてますか?」
「あなたでなければ勤まるまい。家光様たっての願いだ」
「わか…」
わかりました__そう答えようとしたとき、突然鷹司が腰をあげた。
「この馬鹿っ!」
その拍子に、畳の上の湯呑が、がしゃりと音を立て、たおれた。
熱い茶が流れるのも構わず、膝立ちになった鷹司は、茜の両肩を掴む。
その力は、思わず振り払いそうになるほどに、強かった。
「い、痛っ。たかつ…」
「絶対に駄目だっ!!」
叫ぶように言い切った鷹司は、茜を背にかばうと春日局に向き直る。
茜の目には、見慣れた緋色の着物が、美しく揺れる様が映った。
「茜を行かせるわけにはいかねえ」
「無理は承知で頼んでいる」
「言っただろっ!何と言われようと断る!この話は終わりだっ!!」
鷹司の剣幕にも、春日局は少しもひるんだ様子を見せなかった。
「…鷹司殿。今日の役目は免除しよう。夕刻に、茜を迎えに籠をよこす。それまでに話し合っておいてほしい」
春日局は立ち上がる。
「では、城で」
「…行かせねえ。絶対だ」
「鷹司…」
茜には一瞬、春日局が苦し気に眉を寄せたように見えが、すぐに背を向けてしまったので、確信はもてなかった。
鷹司の気持ちを汲むように、おはぎもまた立ち上がり、春日局が廊下を去る様を、じっと目で追っていた。
___
「城へ」へつづく