連載・そして、いつだって
□大奥総取締役
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鷹司と家光が不毛な論争を繰り広げ、まわりを辟易させていたころ。
茜は、必要な資料を集めに、書庫にきていた。
「上様。これで全部です」
「助かった、榊。手を止めさせて、すまなかったな」
書庫を管理している榊は、先ほど茜が現れたとき、一瞬目を見張ったが、何も言わずに通してくれた。
「私が部屋までお持ちします」
「いや、これぐらい自分でできる。榊は本来の役目にもどるように」
あるいは、茜が家光と入れ替わっていることに気がついたかもしれない。
「かしこまりました。またなにかありましたら、なんなりとお申し付けください」
しかし何も気づかないふりで、茜を上様として扱う榊は、さすがに切れ者といわれるだけはある。
「ああ、そのときは、頼む」
両手に書物を抱えた茜は、書庫をあとにした。
⋆
廊下を進み葵の間を目指す。
(近衛家と朝廷のことを、もう少し頭に入れておきたい…)
ちらりと目をやった書物には『五摂家』の文字。
鷹司とのことは、抜けない棘のように茜の胸に痛みを残したままだ。
しかし茜は、その想いを、頭を振って追い出そうとした。
(今はするべきことをしないと…)
家光のため、幕府のため、自分にできる精一杯のことをしようと決めたのだ。
(来週の儀式のことも、勉強しておかないと…、それから最近の治世のことも覚えて…)
すぐにでも学んでおかなければならないことを考えつつ、足を速める。
と、突然上から伸びてきた手に、書物を取り上げられた。
「お持ちしますよ、上様」
「え?」
振り向くとそこには、長身で精悍な男性の姿があった。
「夏津さん!」
久しぶりの再会に、思わず声をあげると、冷ややかな視線を返された。
「声がでけえ。油断しすぎだ」
「あっ、そうでした…」
さっき、家光様の留守を守ると誓ったばかりの自分の、軽率さを反省する。
うつむいていると、長い指に顎を掴まれ、前を向かされた。
「しっかりしろ、『上様』。明日には近衛がくるぞ」
夏津の口から出た『近衛』の名に、ぎくりとする。
「夏津さんは…、どこまでご存じなんですか?」
そういえば、今回の件について、知っている人はどのくらいいるのだろう?
そもそも自分は計画のすべてを知らされていない。
「そんなことも知らねえで、影武者を引き受けたのか?」
「…悪いですか?」
じっと目を覗き込んでくる夏津に、負けまいと見つめ返す。
しばらくそうしていると、つかまれていた顎が解放された。
「あいかわらず、底抜けなお人よしだな」
馬鹿にされるかと思ったが、夏津は思いのほか優しく微笑んだ。
「ま、せいぜい役に立て。俺の足をひっぱるな」
「足をひっぱる…?」
「俺は、お前のその緊張感のなさのせいで、危ない目に合うのは御免だってことだ」
夏津はそう言い放つと、書物をもったまま廊下を歩きだした。
「待ってください。それはどういう意味ですか?」
夏津を追いかけて、問いかける。
茜が家光の影武者を務めることが、なぜ夏津の妨げになるのだろう。
夏津は歩を緩めないまま、茜を一瞥する。
「お万の君が、本物の上様について、京へ行くことは聞いているか?」
「え!そうなんですか?!」
考えてみれば、誰かが家光に付き添うのは当然だ。
そしてそれは、今回の件に詳しく、信用のおける人物でなくてはならない。
「永光さんも、留守にされるんですね」
前回影武者をしていたとき、永光は茜の事情を知らなかった。
しかし大奥総取締役という立場から、常に茜のそばにいてくれた人の一人だ。
茜にとっては頼りにしていた人物だった。
(永光さんがいないのは、ちょっと不安かも…)
不安に瞳がゆれたのだろう。
夏津は呆れたように、息を吐いた。
「ほんとに、なんにも知らねえんだな」
「…すみません」
「お万の君の留守は、俺が預かることになった」
「え、それって…」
目を見開く茜に、夏津が畳みかけるように告げる。
「俺が代理の、大奥総取締役だってことだ。しっかりお役目をはたしてください、『上様』」
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「夏津1」へつづく