連載・そして、いつだって

□大奥総取締役
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鷹司と家光が不毛な論争を繰り広げ、まわりを辟易させていたころ。
茜は、必要な資料を集めに、書庫にきていた。

「上様。これで全部です」

「助かった、榊。手を止めさせて、すまなかったな」

書庫を管理している榊は、先ほど茜が現れたとき、一瞬目を見張ったが、何も言わずに通してくれた。

「私が部屋までお持ちします」

「いや、これぐらい自分でできる。榊は本来の役目にもどるように」

あるいは、茜が家光と入れ替わっていることに気がついたかもしれない。

「かしこまりました。またなにかありましたら、なんなりとお申し付けください」

しかし何も気づかないふりで、茜を上様として扱う榊は、さすがに切れ者といわれるだけはある。

「ああ、そのときは、頼む」

両手に書物を抱えた茜は、書庫をあとにした。





廊下を進み葵の間を目指す。

(近衛家と朝廷のことを、もう少し頭に入れておきたい…)

ちらりと目をやった書物には『五摂家』の文字。
鷹司とのことは、抜けない棘のように茜の胸に痛みを残したままだ。
しかし茜は、その想いを、頭を振って追い出そうとした。

(今はするべきことをしないと…)

家光のため、幕府のため、自分にできる精一杯のことをしようと決めたのだ。

(来週の儀式のことも、勉強しておかないと…、それから最近の治世のことも覚えて…)

すぐにでも学んでおかなければならないことを考えつつ、足を速める。
と、突然上から伸びてきた手に、書物を取り上げられた。

「お持ちしますよ、上様」

「え?」

振り向くとそこには、長身で精悍な男性の姿があった。

「夏津さん!」

久しぶりの再会に、思わず声をあげると、冷ややかな視線を返された。

「声がでけえ。油断しすぎだ」

「あっ、そうでした…」

さっき、家光様の留守を守ると誓ったばかりの自分の、軽率さを反省する。
うつむいていると、長い指に顎を掴まれ、前を向かされた。

「しっかりしろ、『上様』。明日には近衛がくるぞ」

夏津の口から出た『近衛』の名に、ぎくりとする。

「夏津さんは…、どこまでご存じなんですか?」

そういえば、今回の件について、知っている人はどのくらいいるのだろう?
そもそも自分は計画のすべてを知らされていない。

「そんなことも知らねえで、影武者を引き受けたのか?」

「…悪いですか?」

じっと目を覗き込んでくる夏津に、負けまいと見つめ返す。
しばらくそうしていると、つかまれていた顎が解放された。

「あいかわらず、底抜けなお人よしだな」

馬鹿にされるかと思ったが、夏津は思いのほか優しく微笑んだ。

「ま、せいぜい役に立て。俺の足をひっぱるな」

「足をひっぱる…?」

「俺は、お前のその緊張感のなさのせいで、危ない目に合うのは御免だってことだ」

夏津はそう言い放つと、書物をもったまま廊下を歩きだした。

「待ってください。それはどういう意味ですか?」

夏津を追いかけて、問いかける。
茜が家光の影武者を務めることが、なぜ夏津の妨げになるのだろう。
夏津は歩を緩めないまま、茜を一瞥する。

「お万の君が、本物の上様について、京へ行くことは聞いているか?」

「え!そうなんですか?!」

考えてみれば、誰かが家光に付き添うのは当然だ。
そしてそれは、今回の件に詳しく、信用のおける人物でなくてはならない。

「永光さんも、留守にされるんですね」

前回影武者をしていたとき、永光は茜の事情を知らなかった。
しかし大奥総取締役という立場から、常に茜のそばにいてくれた人の一人だ。
茜にとっては頼りにしていた人物だった。

(永光さんがいないのは、ちょっと不安かも…)

不安に瞳がゆれたのだろう。
夏津は呆れたように、息を吐いた。

「ほんとに、なんにも知らねえんだな」

「…すみません」

「お万の君の留守は、俺が預かることになった」

「え、それって…」

目を見開く茜に、夏津が畳みかけるように告げる。

「俺が代理の、大奥総取締役だってことだ。しっかりお役目をはたしてください、『上様』」

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夏津1」へつづく



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