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寡黙と憂鬱に咲く[20]


41.
それから、恐らく数分もしないうちに沖田が席に戻ってきた。
ただいま、という沖田に、やや気後れした返事をする。

「待たせて悪かったでさあ」

白ワインと、ビーンズのサラダがテーブルに並べられているのを見て、沖田が申し訳なさそうに言う。
時間の経過は大したことなかったが、食事が用意されていると、待たせた感があるのは分かる気がする。

「さて、乾杯しましょうか」
「…ん」

その時、思わず隣に座った沖田の横顔を伺い見る。
先ほどのやり取りを見られたのでは、という不安感が頭を過ぎった。

白ワインのグラス同士は合わさり、耳障りの良いガラス音を立てた。
一口飲んだ後、「うまい」と沖田がしみじみと言う。
高杉は頷くだけに止め、ビーンズのサラダを取り分ける。

「俺、ちょっとでいいでさあ」
「身体にいいものは、無理しても取ったほうがいい」
「そういうとこ小姑化してまさあ、アンタ」
「…少しでも長く生きて欲しいからさ」

高杉のそれに対して、沖田は何も言わなかった。
手元のワイングラスの中身を暫く俯き加減に眺めると、何かを決心したようにゆっくり高杉に向き直る。

「…俺もう長くねえんで、単刀直入に聞きますね」

沖田の声は独り言のような小ささだったが、ただならぬ空気が高杉の手を止めた。



「さっきの男は、誰ですかい?」



高杉ははっと顔を上げる。
その時かちあった沖田の目は、高杉の心臓部をこじ開けそうなほど鋭かった。

「その…」

言葉に詰まった。
真実を言うべきか否かの問答が、忙しく脳をかき乱す。
否、実際には自分もどういう関係と説明すべきか分からなかった。
土方やその他の男と大差ない肉体だけの関係なら、沖田も承知しているわけで、隠すような内容ではない。
事実上、そういう関係だ。
自身の口ごもりに戸惑いつつ、高杉は息を整えた。


「…前に、寝たことあるヤツだった」


かろうじて目を合わせたまま、平淡な口調を装う。
次の沖田の反応に、全身が汗をかいて待機する。

「そっか……」

短い反応の後、沖田は視線を逸らした。
再び手元のワイングラスの中身を、彼は無表情のまま見つめる。
高杉の回答に対して、虚偽をかけている風ではなかったが、何処か引っかかりのある横顔だった。

「髪の色」
「え?」
「“銀髪”でしたね。白銀ていうのが合ってる。偶然かなあ…」

沖田の言葉の意味が読めなかった。
怪訝に沖田を見据えると、彼は回想するように何処かを見上げる。

「俺はあの時…どうしてアンタがそんな色にしてくれと言ったのか、分からなかった……」
「………」
「その場はスルーしたけど、本当は今でも」

沖田はグラスを置いて高杉に向き直ると、突然腕を伸ばしてきた。
こんな場所で何をされるのかと一瞬萎縮した。
が、沖田の片方の腕は高杉の背中に周り、肩甲骨のあたりを指が歩いた。

指が、高杉の刺青の形を描く。



「どうしてアンタは……“白銀”の“蜂”を希望したのかなって」



その痛みは遅れてやって来た。
沖田の指は一番鋭い部分を、布の上から高杉に突き立てていた。
声は上げられなかった。高杉は歯だけ食いしばったまま、沖田を見た。
沖田の表情が険しくなるにつれ、背中の刺青が熱くなる。

「白銀にしなくてよかった……もしあの時、黄金にしてなかったら、俺…今どうなってたか」

周囲の客が酔に拍車をかけ、盛んになっている。
バーテンダーはいつの間にか、他の客と会話に花を咲かせていた。

「…沖……田……」

名前を零すことしか出来なかった。
死を間近にしている人間の切迫感なのか、絶対に逃さない、という強すぎる意志が、沖田の全身から伝わってきた。
自分を独占しようとする男はいくらでも見てきたが、この沖田は勝手が違う。

「グラスを空にしたら、帰りましょうか」

沖田は高杉から離れると、不気味なくらい爽やかな笑みを浮かべ、グラスに口をつけた。
その後、咳き込むと、口に宛てがった手の甲に血がついた。

「帰ったら…あんたに吐いてもらわなくちゃ……そして、忘れてもらわなくちゃ……俺のモンにちゃんと、
なってもらわなくちゃ………急がないと、もう俺……もたねえよ……」

青白い肌に広がる鮮血は、不謹慎にも美しかった。
この真っ赤な血と隣り合わせの人生に、沖田は泣きながら嘲笑った。


42.
重い瞼を上げると、暴力的な眩しい光が入ってくる。
何度瞬きを繰り返しただろうか。その光に慣れてくると、少しずつ眼前の色分けが把握出来るようになる。
そこには軍隊のような男たちが3人ほどいて、自分を見下ろしていた。


「おはようございます」


そのうちの、恐らく年長者の男が固い表情を崩さないまま、抑揚のない声をかけてくる。
残りの二人は、機械のように静寂に起立している。
何だこいつらは、と銀八は半開きの目で睨めつける。

「ああ、私たちは」

年長と思われる男が察したのか、胸ポケットからそれを取り出す。
警察手帳。「警部」という役職だけやたら目に焼き付いた。


「……昨夜のことは、覚えていらっしゃいますか?」


言われて、銀八は背中に生々しい感触を覚えた。
僅かに動いただけで、背中が裂けそうに痛い。
様々な映像の枠が、瞼の裏でランダムに点滅した。
バーの光、夜の空、街灯、妻の剣幕、子供の泣き顔、気づいたら隣に座っていた……。

「…俺、は」
「ん」

男たちは難儀の顔を見合わせる。

「忘れているのだとしたら、思い出させてしまって悪いのですが…」

『警部』の役持ちの男が、咳払いをして膝を折る。
患者に圧迫感を与えないよう、患者よりも視線を下げる為だ。
急に間近に置かれた『警部』の顔は、よくよく見ると、細かい皺やシミがいくつもある。
正直、長い間眺めていたくはない、嫌な顔だ。

「昨夜、通報があったんですよ。『背中から血を流した男性が、路地裏で倒れていて、今救急車を呼んだ』と」
「………」

輪郭のぼやけた街灯が脳裏を掠める。
何故だか、次に浮かぶのは花模様。

「緊急搬送された時、貴方に意識はなく、少しでも治療が遅れていたら危なかったそうです…」
「………」
「………背中に三ヶ所、深い刺し傷があった」

『警部』は患者の顔を伺いながら、慎重に言葉選びをしている。
言葉と言葉の間にいちいち妙な間があることが、向こうの意図を慎重に、遠まわしに伝えようとしている勘があった。


「つまり事件です。貴方は誰かに刺された」


銀八の指がぴくりと反応する。
誰かに刺された………“誰”に?

酔いのせいで記憶が乱れているが、振り向いた瞬間、確かに自分の視界に、加害者のシルエットははっきりと映っていた。
それこそ気のせいかもしれないが、馴染みのある風貌だったような…

「…失礼」

『警部』は患者の反応に良からぬ変化が見られた為か、少しの間口を閉ざす。
が、沈黙は更なる重圧だった。

「通り魔事件が、あの辺ではよく起こりますからね」

『警部』以外の人間が、迷いながらの切り出しをして来た。
その後、『警部』は深く息をついた。

「犯人は逃走中です。一刻も早く捕まえなくてはなりません。我々は被害が拡大しないよう、
少しでも確かな情報が欲しい」

本題はその先らしい。
『警部』の物言いから、銀八には嫌でも展開が読めた。

「通り魔の線でも捜査は勧めてますが…もし…貴方に何か“心当たり”があるのでしたら」
「…………」
「…通り魔の可能性は大きいですが、もし……もうひとつの線が有力であれば、もっと早く――」

「要は俺を叩いて何か出たほうが、捜査もさくさく進んで楽なんだろ?」

こんな正義感の皮を被っただけの男たちを、いい加減追い出したくなった。
自分が眠っている間に、あれこれ調べられていた事も、容易に想像出来た。
むしろ犯人以上に、警察にレッテルを貼られたのかもしれない。


「心当たり?ありすぎてわかんねえよ、もう」


投げやりに答えてやった後、自嘲の笑いがこみ上げてきた。
もし恨まれて、刺されたとしたら?
妻か、子供か、昔の女か、男か、友人か、同僚か、父親か、血の繋がりのない母親か。
笑っている顔より、泣いた顔や、鬼のような顔しか、どれも浮かばない。

「それでは、犯人に覚えがあるということですか?あなたは犯人に恨まれるような何かを――」

『警部』が言いかけた瞬間、銀八が掴みかかった。



「だから、心当たりがありすぎて答えらんねえんだよっ」



銀八の突然の行動に、他の二人が取り押さえにかかる。
背中に激痛が走り、銀八は呻いた。

「ちょっと、何をしてるんですか!」

様子を見に来た看護師が声を張り上げる。
銀八を取り囲んでいた男たちを払った後、患者の身体を細い両腕で支える。

「傷口が開きますよ。起きてはいけません」

看護師の容姿は若かったが、声が低いせいか貫禄があった。

「貴方たちも患者を刺激しないでください。ここは病院ですよ」
「…失礼しました」

眉間に皺をよせたまま『警部』は首肯した。
この場では部が悪いと判断したのだろう。
部下のうちの一人がフン、と態とらしく言いながら、彼らは部屋を後にした。


「……病人を無理させてご公務とは…ご苦労なこった……」


消えたのを確認して、銀八は悪態をついた。
看護師は何も言わず、気遣いながら患者をベッドに寝かせる。


「何かあったらナースコールを押してください。そう、そこのボタンです。先生か、看護師の誰かが、
必ず駆けつけますから」


彼女は近くで見ると、きめ細やかな肌をしていた。
二重の目で鼻筋は通っており、唇は適度に厚みを帯びていた。
次の仕事があるのか、業務的にそれを済ませ、彼女は部屋を出た。

(ナースコール……)

手を伸ばせば届く距離にある。
こんなものは今の自分に必要ない。この施設の誰も、ましてや外部の誰にも、ここに来て欲しくはなかった。
否、怪我をしてなければこんな場所。


――貴方は犯人に恨まれるような何かを――

助かる必要は、なかった。



銀八は布団を撥ね退け、ベッドを降りようとした。

「っ」

突如襲ってきた痛みにバランスを崩し、フローリングに肩から落ちる。
傍に備わっていた器具や、恐らく自分の荷物も、その衝撃であちこちに散乱した。
身体が地に叩きつけられると、薬で無理やり繋がれていた背中の皮膚が破れたのだろう。
包帯と服に、血が少しずつ滲み始める。
声にならない、長い痛みを伴った。

銀八は歯を食いしばりながら、腕力を頼りに床を這いつくばる。
冷や汗が出た。体温調節も出来なくなっている。

早くこんな場所、抜け出したい。
病院なんて牢獄だ。四六時中、監視されているみたいだ。


(痛え…)
痛い……痛い……痛い……。


銀八の背中は真っ赤になっていた。
傷口の三ヶ所から血が溢れ始め、三ヶ所が繋がり、やがて全面に広がる。

頭がくらくらする。
目の前にあるのは、自分のバックだった。中身は散らばっている。
すぐ手が届きそうなのは、タバコと携帯。

銀八の手がタバコの箱を掴む。
痛みに意識が持って行かれているせいで、力加減が分からない。
掴んだ箱は形を崩していた。

呼吸が乱れてくる。煙の一つでも吸えば落ち着くのだろうか。
しょうもない考えが過ぎり、痺れている手に力を込め、漸く一本をつまみ出し、口に咥える。
ライターを箱から取り出したが、親指に力が入らない。
何度かプッシュして、点火する。浅い呼吸で、懸命に吸い込んでタバコの先に火を灯す。

「げほっ、げほっ」

ニコチンが灰に入り込んだ瞬間、銀八は咳き込んだ。
背中が痛い。咳をするたびに、肉が裂かれている気がする。
ダメだ、吸えない。
断念して、タバコを思い切り握りつぶした。手のひらの火傷など、何も感じなかった。

「…くそっ……」

ライターとタバコは手から落ちた。煙は消えている。
視界の端では、携帯の存在を捉えていた。ぼやけたり、はっきりしたりと。
火傷を負った手でそれを引き寄せる。
指は力なく、ボタンを順番に押していく。データフォルダ。写真。



「…………」



液晶画面の中に、一人の少年が拍子抜けな顔をして、こちらを見ている。


『勝手に撮んなよ』


仏頂面の少年の姿も思い浮かばれた。携帯を取り上げようとしてくる。


『お前と二度と会えなくなったら、消してやる』


親指がボタンを選択する。


―データを消去しますか? はい・いいえ ―



視界が真っ黒になった。銀八は倒れ込んで動かなくなった。


「坂田さーん、これから検査しますんで、起き―――」


先程と別の看護師は入室してくるなり、飛び込んできた光景に身が凍結した。

「さ、坂田さんっ?!いけないっ」

ナースコールを押すと、ベッドから落ちたのであろう患者のもとへ駆け寄り、状態を確認する。

「出血してる…大変っ。坂田さん、坂田さんっ」

手をさすると、彼は少しだけ眉を寄せた。意識の確認は取れた。

「?」

ふと、看護師の視線を捉えたのは、液晶画面がむき出しになっている携帯だった。



――データを消去しました――




43.
もうお帰りですか、というバーテンダーの言葉を他所に、二人は店の光から離れ、深い夜闇に投身した。
タトゥスタジオの看板は、暗闇でもわかるほど、日に日に錆び付いてきている。
沖田が頻繁に店を閉めるようになって、清掃が行き届いてない証拠だ。

「っい、た」

自宅に着いて扉を閉めた途端、沖田は高杉を突き飛ばした。
衰弱した肉体の何処から、そんな力が湧き出てくるのか。
高杉は倒れた身を捩って、近づいてくる沖田を見上げる。

「冷静になれ、と言われても……もう無理だ」

そこを動くな、と沖田に命じられると、起こそうとした身体が硬直する。
沖田はふらふらと台所に向かう。
その間も殻が割れるような咳の音が響き、恐らくそれに比例して、鮮血も飛び散っている。

戻ってきた沖田の手に握られていたそれに、高杉は凍りつく。果物包丁だ。
恐怖を撫でるように、鋭い刃が高杉の喉に宛てがわれた。

「晋助…俺、こんなの初めてなんだ……こんなに、相手を殺しちまうんじゃないかってくらい…
嫉妬に呑まれるの……」

細い切先が高杉の喉に一本の線を入れる。
繊維のような切れ目から、徐々に溢れてくる赤い滴。

「…っい……っ」

傷を付けられたと理解してから、苦痛はついてきた。
高杉は自身の首に触れる。触れた後の指のひらには、血液が新鮮な色味を帯びている。

「俺の質問に正直に答えてくだせえ…嘘ついたら、承知しねえ」

沖田の物騒さは全て本気だった。
次に何処に傷をつけられるのかと思うと、防衛意識が身体を取り巻いた。

「…さっきの奴とは……本当に、昔寝ただけの関係?」
「………」
「今も繋がってるとか…ねえですよね、まさか」

嘘をついたら承知しない、と言いながら、真実でも沖田の神経を逆なでするようなものなら、
殺されてしまいそうな勢いだった。
しかし逆に、今の沖田を前にして言葉を選ぶような行為は、無意味な気がした。

「付き合ったとかじゃない……連絡は全然とってない……」
「…セっクス以外は?」
「…一度だけ約束して、遊園地に遊びに行ったことはある」

あれは、銀八から突然電話があった。週末予定が空いてしまったから付き合えと。
慣れない遊園地で連れ回され、喧嘩をして、時には同じものに惹かれていた。
今思えばセっクスから離れている場所では、銀八は色んな顔を見せてくれた。
無邪気だったり、怖がりだったり、強がりだったり、優しかったり。

「……嘘は、ついてなさそうですけど……」

沖田は刃物を下ろしてはくれない。

「……その割に……晋助の反応が…随分過敏だったなーって思って……」
「………」
「……刺青のことだって……偶然じゃないですよね…?」
「………」

すぐには答えられなかった。あの場では無意識に出た注文だった。
沈黙を肯定、と取ったのかもしれない。
沖田は表情を険しくする。見たくないものを見てしまったとでもいうような、嫌悪に満ちた面相だった。

「そうなんだ……セっクスだけ、じゃねえんだ………アンタがそれ以外で……」

声は一段と低く、憤怒と嫉妬が今にも爆発しそうな雰囲気があった。
時折、ゼエゼエと喘息のような呼吸をする。
他にも聞きたげにしていたが、彼は首を振った。

「いいやもう……何か聞けば聞くほど、頭おかしくなりそうだ」
「………」
「尚更、信用できなくなった」

刃先が鋭い反射光を発したかと思うと、高杉は頬を切られた。
浅い傷だが、痛みは宣告よりも確かに神経に伝わった。

「怖いですかい、俺……」
「…………」

恐怖に雁字搦めとは違うが、引け腰になっているのは自覚した。
刃が高杉の顎を切らない程度に、軽く持ち上げる。

「…分かってると思うけど……俺ももう、時間がねえんです……毎日、いつ死ぬかって、思って過ごしてる……
こんな手段は意味ねえのも理解してるけど……あんたの決断なんて、待ってられねえ……」

命の灯火が沖田の瞳の奥で、幾度も消失しそうになりながら揺れていた。


「あんたの全身に彫らせて。俺は彫師ですから……あんたを俺の作品にして、どこにも行けなくする」


沖田の言葉を受けた高杉は、茫然自失した。
突きつけられた内容は、一種の死刑宣告だと本能的に察したのだ。


「……全身………」


その重みが、言葉にしてからより生々しく込み上げてきた。恐怖とは違う。
必然的な運命が突如やって来た、と言えば正しいだろうか。

沖田は言っていた。全身に入れることは皮膚呼吸を閉ざすことだと。
多分以前の自分なら、好奇心から手を出していたであろう儀式だ。

「そう言えばあんた、見たがってましたよね…俺の刺青……」

リアルな感覚で、それは思い出された。
沖田の手先から腕までの刺青を目にした時、自分は芯が震えだすほどに、その先を見たがっていた。
神聖な泉があると知って、それを飲ませてくれと舌を剥き出して待っているように。

「勿体ぶりながら、俺も渇望してた。アンタが俺の作品になるって決心した時に、見せようって」

沖田は高杉の顎先から左頬半ばまでなぞった。
其処にも赤い線が出来、暫くして濡れそぼってくる。

「晋助…さあ、服を脱いでくだせえ。今日から、店仕舞いします。俺はあんたしか、もう彫らない。
あんたの身体の手入れは、俺がしてあげる…部屋を暖めて、朝は朝食を軽くとって、夕方まで、
心も体も裸になって過ごしましょう…絵が出来てきたら、肌で柄合わせをして……」
「…………」
「俺は完成したあんたという、作品に埋も、れて……」
「…沖田……?」

彼は冷や汗を流していた。呼吸が極端に乱れていると気づいた時は遅かった。
間髪入れず、彼の頬が膨らみ、逆流してきたそれが口から吐き出された。

「沖田っ!!」

大量の血液が噴出され、眼前にいた高杉の全身は真っ赤に染められた。
人間離れした唸り声を上げながら、血をぶちまける沖田を、高杉は反射的に抱きしめた。
そのまま床に崩れる。

「ウウぐっっゴホゴホうえっっっ」
「っ」

大丈夫か、もしっかりしろ、も、あまりの凄残な状態に、言葉にならなかった。
床に血の海が出来ていくのを、高杉は沖田の肉体を抱きしめながら見守ることしか出来なかった。

沖田の咳と、赤い水の弾ける音。そのループ。
血まみれの二人の少年が、そこにいるだけ。

「…っ…く、や……じィィ………っ」

咳が止むと、沖田は高杉にしがみついて、子供のように弱々しく泣いていた。
床だけでなく、どこもかしこも、赤い光景だった。


「……俺、あんたが…、……大好き、なのに………こんな、何も出来な…い…ボロボロの体で……、、…
こんな、やり方、でしか……っ」


刃物を握られた手は悪あがきのように、高杉の肩を一度だけ切り裂くと、力なく項垂れた。
声はあげなかったが、既に沖田の血で濡れていた肩部に、自分の血も混ざる。

「晋助……おねが、い……お、ねが、い……っ、、だから、どこにも……っ」

刃物は手放され、だらしなく転がっている。おねがい、と繰り返すだけの沖田。

呆然としてしまった。
この男から逃げようとか、そういった感情は何ひとつ、この場では無縁だった。
腕の中で死にかけの年上の男が、出血して体温を冷たくして、自分に縋り付いている。
沖田のこの血が、束縛の役割を果たしているかのようだ。

自分には何もない。与えられるものと言ったら、身体だけだった。今の今までずっと。
本当は命ごと抱かれるような器じゃない。

「……行く宛があんなら、教えてほしいくらいだ…」

仮宿は沢山あるが、それも潮時だ。肉体だけの営業は時間の経過とともに、ボロが出る。
みんな自分を捨てる。親にも捨てられた。友人にも見限られた。あいつにも。


(銀八……)

これで、諦められるかな。
未練があるとしたら、お前だけなんだから。


「…彫って、沖田…」
「……え……?」

沖田はゆっくりと顔を上げる。驚愕を隠せない様子だった。

「………本当……に……?」
「…何だよ、その顔……刃物突きつけてまで、そうさせようとしてたくせに」

苦笑してやると、沖田は大きな瞳を瞬きさせ、

「…あんたって、弱っちいくせに………変なトコ肝すわってまさあ……ホント」

高杉にぎゅっと抱きついた。

「わかった。絵が完成するまで、俺は絶対死なない……約束破ったら、さっきの仕返し、していいですよ」
「……死んだ人間に、刃物突き立てる趣味はねえんだけど…」
「さすがに、そこまで悪趣味じゃねえか……」

はは、とふざけて笑う沖田をひしと抱きしめ返した。
絵が完成したら、この男は消えてしまう。高杉の肉体に、生きた証だけを残して。



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