□馨
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ドリンクを渡し終えた後、俺はバルコニーへ足を運ぶ。
キッチンに戻って、いきなりツバキちゃんが入ってきたら…今の俺にはどうしようも出来ねェ。
想い人の苦手なものが、タバコの臭い。
しかしタバコと言えばまさに俺!!
こんなことってあるのか?と疑わざるを得ない。
それともここで俺の恋は終わるのか……?
バルコニーで潮風に辺りながらため息をついた。

俺ってもしかしてタバコ臭いか?
右腕の裾を試しに嗅いでみる。
服にはしっかり柔軟剤の香りもしていると思うが、自分の鼻だけじゃあ限界がある。
腕を組み天を仰ぐ。
「…」

(どっちにしろ俺はタバコ野郎だァァッ)
両手で頭をガシガシ掻いた。
あまり考えすぎても仕方がない。とにかく今は落ち着こう。
内ポケットからいつもどおりタバコを取り、ライターで火をつけ……。

(いいや!!ダメだ!ダメだ!!禁煙だろ!!)
俺は出したそれをポケットにしまった。
彼女のことを想えば、これは男として当然のこと!!

『――ありがとう!――』

「…」
あの後ドリンクを渡したときの表情は、まるで俺が聞いていたとはこれっぽっちも思っちゃいないほど、嬉しそうな笑顔だった。
複雑な気持ちに、胸が痛む。

もし彼女が、本当に“彼女”になってくれたらどんなに嬉しいか…。
この想いを伝えられたらどんなに楽か…。
でもツバキちゃんを見てると、とてもじゃないけど言えそうにない。
彼女との関係が崩れてしまうかもしれないことに、不安を感じちまう。

海を見つめて浮かぶ彼女の笑顔。
「…君はきっと気づいていないだろうな…」
こんなにも君に好意を寄せてることに。
自惚れだとしても、君が向ける色んな表情が、俺への好意だと思いたかった。

俺はタバコを吹かすかのように、深く呼吸をした。


禁煙してから数日が経った。
感覚としては1ヶ月に感じるが、実際には3日ぐらいか?
禁煙は3日目からがキツいと聞いたことがある。

日も落ちて夕食を作っている時だった。
「サンジ君?」
ふと気づくと隣にはツバキちゃんが俺の顔を覗き込んでいた。
「ああ…ツバキちゃん。どうしたんだい?」
「もう…『どうしたんだい?』じゃないよ!沸騰してる!」
彼女が指を指す方へ視線を移すとと、鍋がグツグツと煮えたぎっている。
「あ!?」
俺は慌てて火を止めた。

「…危うく溢れるとこだったな。気づいてくれてありがとなツバキちゃん」
「ううん」
俺の隣でニッコリ微笑む彼女。
この守りたくなる笑顔を見れば、やっぱり関係を崩しちまうような行為は出来ねェよなぁ…。

「ねぇねぇ、味見してもいい?」
「え?ああ…」
ツバキちゃんは夕食を待ちきれなさそうに味見をねだる。
お玉で汁をいくらか掬い、小皿に入れて彼女に手渡してあげた。
それをまた嬉しそうに受け取る手。
ただの味見に喜ぶ表情を見た俺は、その愛くるしさにひっそりと口角を上げた。
「良い香り…」
そんなことはつゆ知らず、彼女は口角を上げて小皿に口をつけた。

「………ん?」
一口飲んだツバキちゃんの表情が少し固まる。

「どうかした?」
「ううん、美味しい!…けど、何だかいつもと少し違うような…」
「え?」
いつもと違う。その言葉に俺も一口味見をする。
「あれ?変だな…レシピどおり、調味料も間違ってないはずだけど…」
彼女の言うとおり、味は悪くないがクソ上手いわけではない。
ツバキちゃんは“美味しい”って言ってくれてるが、普段の俺からしちゃあコイツは明らかに失敗作…。

「変なのはサンジ君だよ…」

するとツバキちゃんは、頬を膨らませて呟いた。
「え?そう?」
「そうだよ。最近ぼーっとしてるし。私によそよそしいし…」
「そんな!麗しのツバキちゃんを前に、俺がよそよそしくなんてしないさ…!ほら!」
確かに頭が回らなかったり、寝つけは良くないけど…!
俺は彼女を心配させまいと取り繕うために、笑顔を向ける。
それを見つめていたツバキちゃんは、ぷいっとそっぽを向いた。
「…作り笑顔」
(…バレてる…)
彼女の方が一枚上手だったか…。
ツバキちゃんを騙すなんてことは出来ねェみたいだ。
「いやぁ最近遅くまで仕込みやってたから、寝不足なのかもしれねェな。アハハ…」
とりあえず寝不足は本当のことだし、これで許してもらえるだろうか?

すると、目の前にフッ…と影がかかった。
彼女の白い手が、俺の額に触れる。
「なーんだ…」
ドキッと心臓が高鳴る。

「寝不足とか言うから心配したけど…熱はないみたい。よかった…」
肩を落とすように安堵した表情で微笑むツバキちゃん。
距離が、近い。
目の前に、直ぐに手が届く距離にいる。
ふんわり香る彼女のいい匂いが鼻腔をとらかす。
再び鼓動は動き出し、ドクドクと強く脈を打つ。

「…おかしいな、…いつもなら抑えられるのに」

俺はそのか細い腕を掴み、ドンと軽い音を立てて彼女の背中を戸棚に押し付けた。
「…サンジ、君…?」

(ダメだ…こんなことは絶対にレディに無理やりするべきじゃない)
…けど、身体が言うことを聞かない。
思考が、思うように働かない。
ツバキちゃんの瞳を見つめれば分かるとおり、酷く困惑している様子。
いつもコントロール出来ていることが、こんな時に効かないのは、不馴れな禁煙をしているせいか?

――それとも俺の心を惑わす彼女のせい…?

瞳を見ているだけで、不思議とどんどん吸い込まれていく。
そして自分の唇を、ぷっくり膨らんだ桃色のそれに重ねた。
味わうかのように吸ってみたり、甘噛みを繰り返す。
「ん…っ」
息が漏れるほど、柔らかくて気分がいい。
彼女の吐息が耳を擽るほど近く感じて、もっと欲しくなる。
君の心を。すべてを。

俺のものにしたい。

 
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