短編@

□揺らぐ歌(前編)
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潜入操作に出掛けようと支度を始める山崎の後ろで土方が気忙しげに煙草を吹かす。今回は女装仕事になるからあまり煙の匂いを付けられたくないと、山崎は気付かれないようそっと溜め息を吐く。
そうは言っても、どういう風の吹き回しか朝から特に用事も無く、直属の上司であり恋人でもある土方が様子を見に来てくれるのは単純に嬉しい。

山崎が鏡に向かって慣れた手つきで化粧をする脇に土方が映って鏡越しに視線が交わる。
よくもこう上手く化けるものだと少しずつ変化する様子に土方は感心する。
女装姿は見慣れているがこうして変装の過程をじっくり見るのは珍しい事なのだ。

様々な色付きの粉を叩いたり指先でのばしているうちに、いつもはそれ程女っぽいとも思えない顔が女そのものになる。

「今回は稼ぎの悪い旦那の為に仕方なく仲居の仕事に出る若妻って設定ですが如何でしょう。」

化粧を終えた山崎が土方を振り返り、少し恥じらい気味に、それでいて控えめな色気を纏った笑顔を向ける。

「てめーの旦那の土方さんなら稼ぎはそんなに悪くないぞ。」

土方の軽口に山崎は口元に軽く手を当てて静かに、ふふっと笑う。
その姿はまるで別人のようで、普段見慣れている筈の隊士達でさえ近くで見ても、これが山崎だとは気付かないだろう。

これが本物の女だったら、ちょっと出掛けるだけでも毎回こうして化けるための時間を割くのだろう。
自分なら、その間待たされ続けるのは御免だと、だからいつもの山崎が良いんだと土方は思う。

「それでは、行って参ります。」
土方はすっかり支度を終えて部屋を出ようとした山崎の手首を掴んだ。
「どうかしましたか?」
「いや…何でもないんだ。」
なぜ手が出てしまったのか土方自身にも分からない。
何となく、としか言いようが無いのだ。
ついでに土方は何となく山崎を抱き寄せ、奪うように強引に唇を重ね合わせた。

ああ、面倒な事だ。
もう一度紅を塗り直さないと。
いつもは潜入に出掛ける前は部屋を訪ねてくるどころか視線を交わすことすらしないのに今日は何だっていうんだろう。
何とも言い様のない漠然とした不安を感じながらも山崎は目を閉じて土方の背中に両手を回した。





思えば、あの時に変なフラグでも立ってしまったのだろうか。

山崎は四方をコンクリートの壁に囲まれたガランとした何もない部屋で高い位置に存在する小さな嵌め殺しの窓を見上げる。
窓とは言っても下から見上げたのでは外の景色も見えず、洩れてくる僅かな光だけが昼夜を知らせてくれる。

ただ一つの出入り口である分厚い鉄の扉には窓もなく外から頑丈な鍵でも掛けられているようだ。
どこぞやの僻地であるのか人々の行き交うような音は全く聞こえず鳥や小動物のような鳴き声だけが絶え間なく響く。

定時連絡が途絶えて二回目の朝。
これまでだって都合によっては数日間連絡が途絶える事なんてざらだった。
きっとまだ誰も山崎の異変なぞ気付いていやしないだろう。

さて、これからどうしよう。
山崎は考えを巡らせた。
絶望するにはまだ早すぎる。

鬼兵隊が何か事を起こす前に、どうにかしてここから出なくては。
 
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