短編A

□熱帯夜
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天井から蚊帳を吊って
襖と障子を全開にする。
布団から畳へと転げだして
少しでも冷えた場所を探すが
あっと言う間に畳が己の熱を吸収し
蒸し蒸しと熱気を放つ。
それが己の身体が放つ汗の蒸気と
夜になっても一向に下がる気配のない
室温と相まって堪らなく暑い。

「暑そうですね。」
通りかかった山崎が
一度こちらをまじまじと見て引き返し
なみなみと液体の入ったグラスを
持って再び現れる。

「失礼します。白湯を冷ましてきましたのでどうぞ。」
グラスを受け取る時に、微かに触れ合った山崎の指先の感触に背中がぞくりとする。
きっと冷たさのせいなんだ、絶対にそうに違いないと、言い訳しながら冷たいグラスを両手で握る。

急激に渇きを訴える喉を、少しだけ口に水を含んで潤わせグラスを置く。
そして次の瞬間、山崎の手に衝動的に触れてしまった事実に自分でも戸惑いながらそっと両手で包む。
グラスで少々冷えた手よりも更に山崎の手の方が冷たい。

「お前の手冷たいな…。」
俺の言葉にふふっと微笑んで、山崎はもう片方の手を延ばしてきて俺の頬に触れる。
その手はとても冷えているというのに、痺れるような感覚がうずうずと高まって更に身体の熱が上昇する。
湧き上がる欲情を隠すため、さりげなさを装い山崎の眼から首の方に視線を落とす。

薄暗い中でも大きく開いたシャツの間から白く浮かび上がる滑らかな肌と華奢な鎖骨が眩しくてそこから目が離せなくなる。
全力疾走の後のように動悸と呼吸とが激しく乱れ、己の欲情を煽る結果になってしまったことに後悔する。

「局長も部屋にエアコンつけてもらったらいいのに。そのくらいは許される立場でしょう。無理すると脱水症で倒れますよ。」

監察の部屋は、資料や仕事に関する様々な物が置かれているので、年中一定の温度と湿度を保っている。
だから先程まで仕事をしていた山崎の手も冷えているのだろう。

「冷房苦手なんだ。汗をかいた身体に自然の風がそよそよと当たるのが気持ちいいんだよ。お前はちょっと冷えすぎだ。それだって身体に悪いと思うぞ。」

捲ったシャツの袖から延びる冷たく白い華奢な腕に触れる。
それだけで、とても疚しいことをしているような気分になるのは変じゃないのか。
ただ同性の部下と軽く触れ合っているだけなのに、何がいけないというのだ。
背徳感に襲われるのは、暑さで思考がやられているせいなんだろうか。

「局長?」
山崎の長めの前髪から覗く瞼が微かにビクッと動いて濡れた黒い瞳が揺れる。
たったそれだけの事が堪らなく己の情欲を掻き立てる。

これが隊士の一部から聞いていた、山崎はヤバいという事の本質か。
実際目の当たりにすると欲情に流されてはいけないと思う反面、何とも言い難い気持ちになる。
トシも他の奴もこれに落とされたのか。

「局長がそんな眼をするとは思いませんでした。」
俺が今どんな眼をしているというのだ。
その何事もないような冷静な口振りは、自分の立場を理解しての上での事か?

細い手首を掴んで、そっと畳に押し倒す。
山崎の眼が一瞬丸く見開かれたあと、静かに閉じられる。
「山崎、勿論お前には拒否する権利もあるし、逃げてくれても構わない。」

さぁ、逃げろ、逃げてくれ。
俺の意図する処が理解できるなら。
何も分からないほど初でも無いだろう。
今ならまだ逃がしてやれる。
無理強いするつもりなんか全然無いんだから、お前次第だ。

狡い考え方かもしれないが、俺だってお前に欲情するなんて今の今まで思ってもみやしなかったんだから困ってるんだ。
だから抵抗しようが蔑まれようが、それは仕方ないと思うんだ。
お前を逃がしたいんじゃなく、俺が逃げたいだけなのかも知れないけれど。

だから…。

「あの…局長…。」

そうだ。早く拒否してくれ。
一線を越えてしまわないうちに。

「襖と障子は閉めて下さいよ。」

ああ、ダメだ。
暑さですっかり頭がやられちまってる。
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