約束の聖戦

□序幕 -prologue-
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プロローグ










暗い、なにも見えない。
真っ黒な闇の中。足元も真っ黒で、目の前に手をかざしても自分の手すら見えない。
静かだ、なにも聞こえない。
耳鳴りが聞こえてくるほど、音がなかった。声を出してみても、なにもきこえない。本当に自分がそこにいるのか、考えた通りに行動しているのかが分からないほど、何も存在しない世界。そこに、僕はいた。
なにかないだろうか。
周囲を見渡してみるも、前も後ろも右も左も、何も存在しない。ただ、無が立ち込めている。
『ねえ』
どうもできず途方に暮れていると、そんな声が聞こえた。何も聞こえない空間にいるはずなのに、その声だけはやけに鮮明に聞こえる。
『ねえってば』
声は僕の背後から聞こえてくる。少し高めの、男の声だ。
振り返ると、そこには僕と同い年の青年がいた――――――違う、僕がいた。
まるでそこに鏡でもあるかのように、僕とそっくりの男がいた。顔も背丈も体格も、僕と全く同じ。しかし、髪と瞳の色だけは異なる。僕が白髪に蒼瞳であるのに対し、もう一人の僕は黒髪に銀瞳をしていた。
『はじめまして』
彼は後ろ手に腕を組み、少し首を傾げて僕に微笑みかけた。
なにか言わなければと思うが、口を開き声を出しても自分の声は聞こえてこない。これでは喋れているのかいないのか分からない。
四苦八苦していると、もう一人の僕がくすくすと笑った。
『いいよ、無理に喋らなくても。だって僕が喋れないようにしてるんだから』
どういうことだ。喋れないようにしている?
いつのまに魔法でもかけられたのだろうか。そもそもこいつは誰だ、僕と同じ顔をしているこいつは……?
とっさに身構え警戒すると、彼はそんな僕を嘲けるように笑った。
『焦らなくても大丈夫だよ。すぐに、僕がなんなのか、君にも分かるから……』



***



窓の外は真っ黒。カーテンのひかれていないガラス越しに、夜の闇が立ち込めている。
部屋の中も、それほど明るいとは言えない。テーブルの上のランプに小麦色の光が灯っているが、ランプの光は小さく、机の上の書類しか照らされていない。部屋の隅のほうは、外と同じ暗闇だ。
部屋の中は光も乏しいうえに、音も乏しい。僕と部下である男の息遣いが耳を澄ませてやっと聞こえる程度だ。あとは、書類の、紙の擦れる音とか、羽根ペンの滑る音。あぁ、あとあと、部下の男がときおり溢す溜息とか。
なんの溜息なんだか。溜息したいのは僕のほうだ。
「最近、変な夢を見るんだ」
僕は、机の上に積んだ処理済み書類の山に最後の書類を乗せながら、そうこぼした。
書類の端を揃えるために机の上でトントンしていると、僕の後ろでくつろいでいた部下が此方に視線を向けた気配がする。
「夢?」
「そう、変な夢」
夢の中で、僕は真っ黒な空間にいて、いつも僕と一緒にあの青年がいる。僕にそっくりの青年が。彼はつねに僕を嘲笑って、訳の分からないことを言ってくる。毎度毎度、僕はその言葉に反論することも答えることもできず、ただただ彼の言葉を聞くだけで夢は終わる。
夢の中で彼が言う内容はだいたい同じことなのだが、たまぁに、いつもと違う内容だったりする。
本来、夢とは記憶の再生であったり、深層心理の表れであったりするのだが、真っ黒な空間と色違いの自分なんて見たことないし、ここ最近の僕の生活に変化があったわけでもない。
考えれば考えるほど奇妙な夢なのだ。
………ただの夢だと割り切ってしまえば、それまでなんだけど。
すると、床のクッションに身を埋めていた部下が立ちあがり、椅子に座っていた僕を背もたれ越しに抱きしめる。
「疲れているんじゃないですか?」
「もしそうだとするなら、その疲れの原因は貴様なんだろうな」
「まぁたまたー。俺のどこに隊長を疲れさせる原因があるんですか? むしろ俺は隊長のオアシス…」
「はあ…」
大袈裟に大きく息を吐くが、彼は僕に抱きついたまま、首筋に鼻を擦り付けるばかりだ。こいつは他人の気持ちを察することが出来ないのだろうか。僕はこいつの行動に毎日悩まされているというのに。
この男――ヴィスタ=カーヴァル一等兵は、四六時中三百六十五日……というほど彼との付き合いが長いわけではないが、とにかく彼は僕にくっついてくる。仕事のときも、食事のときも、プライベートのときも。そして、今も。
どうやら彼は僕のことが『好き』らしく、ボディタッチも頻繁。最初は僕も拒絶していたが、彼がしつこすぎて、ハグまでも慣れ始めてしまっていた。
「それよりも、お前はとっとと自室へ戻れ。消灯時間はとっくに過ぎている」
時計の文字盤の上で、休みなく動く針代わりのキューピッド。彼等が示すのは十二という数字。
「隊長の部屋には泊めてくれないんですか?」
彼は、いつもより抑えた低めの声で、僕の耳もとに囁く。声と共に、生温かい息が耳たぶや首筋にかかって、くすぐったい。
「ごめんだな」
それを一蹴して、僕は橋を揃えた書類の束を引き出しにしまう。明日、経理課に提出しに行かなければ。
もう日付が変わってしまった。寝よう。
しかし、椅子から立ち上がりベッドに行きたいのに、彼に抱きしめられているせいで動けない。
「離せ、もう寝る……っ出ていけ。ここは僕の部屋だ」
振り返るとすぐ近くに彼の目があって、一瞬言葉が止まる。
もとから穏やかな表情をしていたが、彼は僕と目が合うと嬉しそうに目を細めた。目があっただけでも嬉しいのだろうか、こいつは。
「どーしても、泊めてくれないんですか?」
「なぜ僕が貴様を泊めなければならないんだ」
にこにこする彼に、憮然とした態度で接する僕。
そんな僕に、変わらず笑顔で迫る彼。
「は、な、せ」
「……はいはい、もー、仕方ないですね」
なにが仕方ないのかは分からないが、彼はやっと僕を解放してくれた。
僕は椅子から立ち、机の上のランプを消す。途端に、室内は闇に包まれた。しかし、完全な闇ではない。窓硝子越しに、外の光が入ってくる。
外は真っ暗なはずなのに……。
カーテンを閉めるためにも、ベッドに乗り上げて窓の向こうを見る。遠くのほうで、町の光が見えた。あぁ、あれか。
町の光は小さいが、力強く光っていた。
僕はこういう夜景が好きだ。町の灯を遠くから見るのが好きだ。
小さく見えても、それは新たな陽が昇るまで絶対に消えない。確かにそこに命の営みがあって、その命が終わるまで、その光は消えないのだと思える。たとえ今の命が終わっても、その命が残した次の命が、光を灯す。
-----『命の光』は消えない-----
誰かがそう言った。
町の光を見るたび、僕はその言葉を思い出す。今も。昔も。
「綺麗ですね」
いつの間にか、彼は僕の隣に腰掛けていて、同じように窓越しの夜景を眺めていた。
「帰れ。貴様を泊めるつもりはない」
「隊長の部屋、すっごく景色いいですね。ロマンチック」
「無視か」
なにがあっても自室に戻る気はない、ということだろうか。
彼の態度になかば諦めながら、僕は窓のカーテンを閉める。部屋は本当の闇に包まれた。
やはりランプを点けようか。これでは彼がどこにいるのか分からない。
僕が記憶を頼りに闇の中に手を伸ばそうとすると、不意に体を引っ張られた。いきなりのことで対処できずに、僕はそのまま引っ張られた方向に倒れる。しかし、彼がそれを抱きとめた。
すぐに抵抗しようとするも、彼の力は僕より強くて全然緩む気配がない。そのうち、彼の体温に包まれているのが心地よくて、抵抗するのも諦めてしまった。
「隊長…」
またも耳元で彼が囁く。聞き慣れた彼の声が子守歌のように、僕の思考を停止させて、眠りに誘う。
抱きしめられていると温かいし、このまま寝てしまってもいいかもしれない。
そういえば、誰かと一緒に眠るのはいつぶりだろう。子供のころに親と眠った以来だろうか。あの頃は意識しなかったが、誰かと一緒だと安心するな…。
「好きです、隊長」
眠気で意識がぼんやりしているせいか、彼の声が響いて聞こえる。余計に眠気が増して、瞼が重くなる。彼の声には催眠術のような効果でもあるのだろうか。
「…ん……」
ついに眠気に負けて、瞼をおろす。
布団よりは硬い彼の体、布団よりは温かい彼の温度が心地よい。……意外とよく眠れるかもしれない。
すると、彼の手が僕の頬に添えられ、少しだけ後ろを向かされる。どうしたのだろうと、薄らと目を開けると、肩越しに彼の夕陽色の瞳と視線が交わった。
彼はいつものような陽気な笑顔ではなくて、無表情というわけでもなくて。なんだろう、言葉に表せない。真剣な顔というべきだろうか。しかし、真剣と言うにはあまりにもやわらか。
「眠いですか?」
「…ん」
僕が微かに声を漏らすと、彼は少しだけ笑った。
彼の笑顔になぜか僕は安心して、また目を瞑る。
すると、唇に何かが触れた。なんだろう、彼の指? それにしてはやわらかくて、少し温かい。ちょっとだけ湿り気がある。
目を開けると彼の瞳がすぐ目の前にあった。……何をされているんだろう。
今、自分が何をされているのかもよく分からないほど眠い。こんなに眠いのはいつぶりだろうか。以前の職場で三日連続で徹夜したときぶりだろうか。
「隊長、好きです…」
彼はまたそう呟いて、僕にキスをする。…え、キス?
気付いたときにはもう遅くて、僕はベッドに押し倒され、彼からたくさんキスをされる。
抵抗しようにも、眠くて体が動くことを拒否する。いつもなら「なにをするこの変態ニートがぁあッ!」と叫んで彼をフルボッコにしたところだが、今の僕は声すら出せない。眠気って恐ろしい。
…こいつに催眠魔法でもかけられたのだろうか。書類に集中していたときなら、十分あり得るだろう。
「ヴィ、す…?」
「心配しないでください。痛いことはしませんから」
彼はそう笑って、またキスをする。何度も角度を変えて口付けられる。同時に、僕の着ていたワイシャツのボタンを一つ一つ外していく。まったく、変なところは器用な奴だ。
ボタンをひとつずつ外されていくごとに、肌が冷たい外気に触れる。ひやりとした空気を感じるほど、僕の中の嫌な予感が膨らんでいく。
どうしよう。このままだと、僕は彼に……抱かれてしまうかもしれない。だって、僕を動けなくして服を脱がせてすることなんて、そのくらいしか思い浮かばない。
「ゃ…め……」
やっとの思いで声を捻りだしても、それは蚊の鳴くような微かなもので、そのうえ意識のぼんやりした自分の脳では声がきちんと発せられているかも自信がない。彼が行為を止めないところを見るに、僕の小さな声は聞こえていないのかもしれない。
そもそも、なんでいきなり彼はこんなことをするのだろう。今までは、好きだ好きだとしつこくつきまとってくる程度だったのに。何がきっかけだ。何が引き金になった。分からない。
すると、僕が何を考えているのか察したように、彼は微笑む。
「怖いなら、抵抗したらどうですか? このままだと、俺、隊長のこと、犯しちゃいますよ」
彼の微笑みと言葉の間から「抵抗できるもんなら、ですけど」と嘲笑う声が聞こえてきた気がした。
ワイシャツのボタンを外し終えた彼は、僕の肌に手を這わせる。
「ふふ、隊長の体、意外と筋肉ついてるんですね。もっと女の子っぽい体してるのかと思った」
まるで何かを調べるかのように、彼の手は僕の腹や胸板を撫でる。
彼の手は温かくて、これから犯されるというのに、なぜか安心してしまう温度。
………このまま彼に抱かれてしまってもいいかもしれない。
今にも落ちてしまいそうな意識の中で、僕はそう思う。
彼の恋愛感情に応えることは出来ないが、嫌いなわけではない。むしろ、こいつみたいな能天気で明るいタイプは好きだし、今まで散々好きだ愛してると言われているせいか、それほど嫌悪感はない。
「……ぃ、ょ」
「?」
このままだと僕はどうせ彼に抱かれてしまうし、彼に一方的に犯されるのでは僕も彼も気まずいだろう。同意したうえで行うほうが、僕も彼も気が楽ではないだろうか。
どうせ、いつかはこうして抱かれるんだろうから。それが少し、思っていたより早かっただけ。
「ヴィス……すき……だいて…」
「え…?」
しばらく彼はぴたりと止まって、僕を凝視する。時間が止まった気がした。
五、六分くらい経った気がして、いつまでフリーズしている気だろうと思っていたら、彼がいつもみたいに陽気に笑った。照れているのか何なのか、頬が赤い。
「えへ、えへへ。なんか、隊長からそういうこと言われると、照れる」
彼が嬉し恥ずかしといった様子ででれでれ笑うので、僕も釣られて口元が緩む。すると、チャンスだと言わんばかりに彼がキスしてきた。
緩んでいた唇を割って、舌が入ってくる。生温かくてやわらかい。
初めての行為に戸惑い、舌を引っ込ませると彼の舌がそれを絡めとっていく。舌の先をちゅっと吸われて、彼が離れる。
「初めてですか? こういうキスは」
「ん…」
僕が僅かに頷くと、彼はまた微笑む。
「これからたくさん、一緒に『初めて』しましょうね…」
結婚とか、デートとか、恋人と一緒の誕生日とか……。
彼は楽しそうに言うけれど、僕は眠くて、途中で寝てしまった。





「ぐわ―――――ッ!!」
バンッ!
気付いたら、僕は机に思いっきり手を叩きつけていた。机の上に広げていた書類が、少しだけシワを作る。
「……お?」
目の前には積み上げられた書類と、まだサインしていない最後の一枚が置いてある。羽根ペンが転がっていたが、幸いインクは垂れていなかった。
「ど、どうしたんですか?」
後ろから、ヴィスの驚いたような声が聞こえてくる。振り向けば、彼は床のクッションに体を埋めていて、頭だけ持ち上げてこちらを見ていた。
「……いや、なんでもない」
時計を見れば、まだ十二時になっていない。
……夢か?
うん、夢だな。僕がアイツに抱かれるとかあり得ない。そもそも、僕が彼の行為に同意するのもどうかしている。夢ならではの展開。僕だったら、どんなことをしてもアイツを止めていたし、それこそ半殺しにしてでも自分の貞操を守っただろう。
たとえ催眠魔法で体が動かなかったとしても、魔法くらいは使えたはずだ。彼を滅多打ちにするなど簡単だ。
「最近、本当に夢見が悪いな」
僕はぼそりと呟いて、最後の書類にサインして、彼を部屋から追い出した。

ヴィスに襲われるという悪夢を見たせいか、その日からもう一人の僕が夢に現れることはなくなった。










序章 Prologue
14.04.07

1話
 

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