約束の聖戦

□1話
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第1幕 1話 二人きりの一日










 翌朝、まだ眠くてだるい体を無理矢理起こし、ベッドから脚を下ろす。
 窓からは、城下の町から溢れる光がぼんやり入ってきていた。空はいつもとおなじ、分厚く黒い雲が覆っている。
 簡単に洗面所で顔を洗って、さっさと軍服に着替えた。鏡越しに確かめながら、飾り尾をひとつひとつ付けていく。
 ふと、隊長バッジがどこかに行ってしまっているのに気づいて、洗面台の下に落ちているのを拾い上げた。バッジを胸元の軍旗の下に刺し、僕は鏡に映る自分の姿をもう一度よく眺めた。
 鏡に映るのは、若い青年。彼は人ではなく、黒エルフであった。灰色の肌と、長く垂れた耳。瞳は青く、先がすみれに染まった白い髪の毛。どう見てもそれは人間ではなく、魔王につき従う黒エルフたちと同じ姿だ。
 誰も、僕の姿を見て人間だとは思うことはない。けれど、僕は間違いなく人間としてこの世に生まれた。
 僕は長く伸びた髪を簡単に後ろでまとめて縛ると、部屋を出た。
 ここから僕の軍での一日が始まる。しかしまずは腹ごしらえだ。
 そう思って、食堂へと廊下を進む。すると、向こうからやってくるヒト影がひとつ。
 彼は僕よりいくぶんか背が高く、軍服は僕のそれよりも装飾が質素。熱いのか軍服の前を開けていて、中に着ているくたびれたシャツが見える。そんなだらしない恰好だけでも悪目立ちするのに、寝癖のついた赤髪や、やけに鮮やかな夕陽色の瞳は、ヒトの目を惹く色合い。整った顔立ちも、余計にヒト目を惹いた。
 彼は僕と目が合うなりへらっと笑い、ぶんぶんと手を振ってくる。
 ヴィスタ=カーヴァル一等兵。僕の部下であり、僕になにかとつきまとってくる男だ。
「隊長、おはようございます! これからご飯ですよね? 一緒についていきます!」
 彼はにこにこにこにこ笑って、僕の機嫌をとるためというわけでもなく、僕の後ろに回ってくっついてくる。
 とにかくへらへらしていて、何を考えているかよく分からない男。それが、僕が抱いた彼への印象だった。
「おはよう。お前はもう食べたのか?」
「はいっ、隊長のこと考えてたら早起きしちゃって……早く会いたい一心でご飯も全部済ませてきたんですよ。ふふふ、朝から隊長仏頂面で可愛い」
「黙れ」
 突っ込みどころがいろいろあるが、可愛いや仏頂面というのはどう考えても褒め言葉のようには思えない。
 特に後者は、僕をけなしているんだろうか。
 しかし、彼が頬を赤らめながら僕を見つめるので、けなす云々に対する怒りよりも、気色悪さや寒気が背筋をのぼってくる。
「ハアハア、隊長に睨まれるの好き……」
「気色悪いその口を閉じろ」
 表面は冷静を装って罵倒するが、内心、鳥肌ものである。
 一応部下ということもあって、彼は僕の命令には従順だ。口を閉じろといえばこうして黙ってくれる。しかし、僕を熱っぽい視線で見てくるのはやめてくれないから、鳥肌が治まることはない。
 なんで、僕は男なんかに好かれているんだろうか。
 それほど色恋や異性に興味はないが、だからといって男に好かれる趣味はない。くっついてきてくれるなら、こんな気持ち悪いストーキング男ではなくて、普通の女の子のほうがいいに決まっている。
 しかし、現実、そう上手くはいかないものだ。
「ふふふ、隊長かわいい」
 ぼそっとこぼれた彼の幸せそうな声が背後から聞こえてきて、ぞわりと肌が粟立った。
 食堂は、僕の自室がある魔王城上階から、螺旋階段をはるか下に下りた階にある。
 螺旋階段があるホールは、一階から最上階まで吹き抜けになっていて、多くの軍人が行き来する。階段を降り始めた最初こそ、軍人の姿はなかったが、階を下るにつれて、他の軍人たちの姿が多くなる。
 魔王軍と言っても、軍人全てが人ならざる姿をしているわけではない。ヴィスが人型であるのと同じように、多くの軍人は人型に化けている。なんでも、本来の魔獣の姿でいるよりも、人型のほうがなにかと便利なんだとか。そんなわけで、すれちがう軍人たちは人間の姿だ。
 しかし、中身はやはり魔族である。僕を見るなり、彼等は僕から視線をそらしたり、陰口を叩いたり。
 決して気分のいいものではないが、もう僕にとっては慣れた日常の風景だった。
 僕は、エルフの姿をしているが、元は人間。人間でありながら魔王軍人として働いていること、若くしての異例の昇進などが重なり、僕の存在は軍本部ではかなり有名だった。
 軍で流れる僕についての噂も様々。魔王のお情けや戯れで軍幹部になったんだとか、魔王を騙くらかして昇進したんだとか。ひどいものでは、僕が魔王に体を売った、だなんて噂も耳にする。
 そんな耳触りの悪い噂にくわえ、魔族特有の人間差別意識が上乗せされれば、人間である僕が彼ら魔族たちから敵対視されるのは当たり前のことだった。
 今日も、すれ違う軍人たちの嘲笑いが聞こえてくる。
「隊長、今日の仕事はなんですか?」
 思わずため息をついていると、後ろからくっついてきていたヴィスが、僕の横へと寄ってくる。
 軍人たちの嘲笑で僕が落ち込んでいるとでも思ったのか、ヴィスは困ったように笑っていた。
 ちょっとした彼の優しさに、不覚にも僕は嬉しいと感じてしまう。
 それを悟られないよう、僕は彼から視線をそらした。
「今日は、特にはない。昨日作っていた書類を、提出してくるだけだ」
「あ、じゃあお休みですか!?」
 彼ははしゃぐように声を弾ませる。
 僕より年上のはずなのに、こうして歳がいもなくはしゃがれると、まるで子分でも従えている気分だ。
「まあ、そんなところだな」
「やった! お休み!!」
 彼は魔族であるというのに、僕を卑下することはない。
 最初こそ僕も、なにか裏があるのではないかと勘ぐることもあった。しかし彼は企みがあるわけでも、情けで僕に親切にしているわけではないようだった。
 好きだ好きだと言ってくるのも、上司である僕に取り入ろうとしているのか…と考えたこともあったが、彼はそういう考えは一切ないようだった。というより、何も考えていないような彼に、そんな企みだの裏だのがあるようには思えない。
 彼は変だし気色悪い奴には違いないが、僕にとっての敵ではないということも確かだ。
「ふふ、ご飯食べたら、俺と一緒にのんびりしましょうね、隊長!」
 体がでかいだけの子供みたいな彼が、そんな面倒なことを考えているようには見えなかった。
 僕は彼の笑顔に少しだけつられて、うんと頷いた。



 のんびり階段を下りていたためか、食堂についたのは、朝食で混む時間帯を少し過ぎたころだった。
 皿を片付けはじめる軍人たちが多く、少し待つだけで空席が増える。
 僕は食堂のカウンターでシュークリーム三個を注文して、トッピングで皿の上にアイスを追加。こんもり甘味ののった皿と牛乳パックとともに、手近なテーブルにつく。
 ヴィスは僕の隣に座って、カウンターでさきほど買ってきたヤモリの丸焼きだかを咥えていた。
「隊長、いつもそれ食べてますけど、美味しいんですか?」
 僕がシュークリームを食べようと口を開けたところ、彼がそう尋ねてきた。
 一度口を閉じ、彼の質問に答える。
「ああ。お前のいつも食べているものよりは美味しいと言える自信はある」
「えー? 俺の一押しだって美味しいですよ? 豚蛙の丸焼き」
 魔族の食文化は人間のそれとは大きく異なる。
 人間の料理が色鮮やかなものが多いことに比べ、魔族の料理はもはや料理そのものがダークマターと化しているほど、黒や茶色などといったものが多い。更には、気色悪い生物を使った料理や、人間なら口にすることなど思いもつかないような食材を用いた料理がほとんど。
 具体例を挙げるとするなら、ヴィスの言った豚蛙の丸焼き。豚蛙とは丸々太った大きな蛙で、三つの目玉が出目金のように飛び出ている。口が通常の位置とおでこの部分に二つ付いていて、脳天からはチョウチンアンコウのような触覚が生えているのだ。姿も然ることながら、色も相当グロテスク。真っ黒でテカテカヌルヌルしていて………思い出すだけでも嫌な料理である。
「ねーねー美味しいですよね? 豚蛙の丸焼き?」
 豚蛙の色形を思い出してしまい、胃の中がぐるぐる回る気がした。
「や、やめろ……その料理名を出すな……吐き気がする……」
「ええー、美味しいのに。隊長も一度食べてみてくださいよ! きっと好きになりますよ?」
 きっとヴィスの味覚は壊れているんだろう。あんなもの、食べなくても不味いと分かる。
「そうだな。お前が僕に『触らない・話しかけない・近づかない』と誓ってくれるなら考えないでもないが」
「た、隊長に触れなくなるのは嫌だ……ハスハスしたい……」
「ううむ、豚蛙も食べたくないがお前に付きまとわれるのも嫌だ……」
「たっ食べなくていいんで、俺、隊長とずっと一緒にいたいです! 可愛い隊長を愛でさせてください!」
「とりあえず黙れ」
「はいっ」
 とりあえず彼を黙らせた僕は、やっとシュークリームにかぶりつく。
 しっとりやわらかな皮と、ふわふわ甘いクリームが口の中で溶ける。
 どうして魔族はダークマター料理しか作らないのに、シュークリームだけは人間の料理の更に斜め上の美味しさにいっているのか。不思議だ。
 僕が至福のときを堪能していると、ヴィスがちょろちょろと辺りを見渡す。
 僕もつられて彼の視線の先を見てみるが、特にめぼしいものはない。
「今日は静かですねぇ。いつもこうだったらいいのに」
「お前がいるかぎり、僕は静かな一日を送れないんだが」
 軍本部に異動してから、彼に毎日つきまとわれている。今はこうして普通に隣にいるが、最初は隠密行動でもしていたのか、彼は気配を消して僕を尾行していたりもしたものだ。
 何がしたいのだか、不明。
「あ、そういえば、俺たち以外は遠征に出てるんでしたっけ? だから静かなのか〜」
 いつもは、食堂にいるときはヴィス以外にも部下の誰かが僕のもとに寄ってくる。しかし今日は珍しく誰も寄ってこない。
 きっと、彼が静かだと感じているのはそのせいだ。
 現在、僕の部下のほとんどは遠征任務に出ている。日数的に考えて、明日か明後日になれば誰かしら帰ってくるだろう。
 しかし、それまでヴィスと二人きりとは、なんとも不吉である。いつもはいる彼のお目付役二人が不在の今、監視の目がないことをいいことに、彼のストーキング行為が悪化しなければいいのだが。
 ああ、こいつと二人きりだなんて、僕は今日一日大丈夫なんだろうか。
 今更ながら、そんな危機感が脳裏をよぎった。
「隊長、書類の提出終わったら、久しぶりに組手してもらえません?」
 僕が人知れず鳥肌を立てていると、彼が組み手の相手を要求してきた。
 彼が組み手とは珍しい。思わず、僕はシュークリームを咥えたまま見つめ返してしまった。
「……明日は嵐か?」
 こんなことを言うのは気が引けるが、ヴィスは真面目なやつではない。
 日々の鍛錬なんてやっているはずもなく、鍛練をほったらかしては僕のところにサボりに来て、武術指南役である中尉に怒られている。
 僕が驚いているのを見て、ヴィスはけらけらと声を上げて笑った。
「やだなぁ。俺だって、真面目に鍛錬するときもありますよ」
「そうか、明日は雪が降るのか。楽しみだな」
「俺って、隊長のなかでそんなに不真面目キャラなんですか?」
 僕だけの認識どころか、周囲の者全員が、ヴィスは不真面目だと言うだろう。
 まあ、仕事をさぼらないあたりは、容量よくやっているようだが。
「書類を提出し終わったら、好きなだけ付きあってやる」
「あはは、ありがとうございます…………むふふふ、隊長と二人っきり」
 背筋が、ひんやり寒気に覆われた。
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