約束の聖戦

□5話
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第1幕 5話 ガルデナ政府エルタ支部
<エルタ地方編2>















山脈を越えるには、およそ一日半がかかる。それは山を切り開いて作った街道を通った場合だ。
騎士団の一団が街道を通る。騎士団と接触するわけにはいかない。違う道を探さねばならない。
「だからって、こんな獣道を走らなくても」
後ろからついてくる彼がうなだれた。
今、僕達は山中の獣道を走って登っている。踏み鳴らされただけの乾いた地面を蹴り、茂みや木を避けながら、ただ一直線に山肌を駆けた。
街道からはそれほど遠くない場所を走っているつもりだ。
街道から離れ過ぎると、遭難する可能性がある。だが、騎士団からはいくらか離れなければならない。
「安心しろ。騎士団を抜いたら、街道に降りてエルタを目指す」
「はーも〜……なんでこんなときに限って、白傑の騎士団なんかが」
さきほどの見晴らしのいい農耕地帯では、馬車を追い越して走るわけにもいかない。人間よりも早く駆ければ、それは自分が魔獣、あるいは魔族であることを宣言しているのと同じだ。そんなわけで、僕達は農耕地帯を抜け、森に入るまでは歩いてきた。そのため、騎士団とはかなりの距離があった。
追いつくだけでも、どのくらいかかるだろうか。
「隊長、もう少しペースあげれます?」
「どうしてだ?」
「もうすぐ夜になります。夜は獣も出るでしょうし……その前に、騎士団を越して街道に降りたいんですけど」
「悪いが、これでも全速力でな」
彼の考えも分かる。できるだけ安全な道を通りたいのは僕も同じだ。
そもそも、なぜ街道を通らないかというと、騎士団に近づきすぎたときに彼等に気付かれる可能性があるからだ。
有名ない騎士団ということもあり、おそらく猛者がごろごろいるのだろう。彼等からすれば、おそらく魔族の気配なんて、簡単に気づけるはず。
「んー…じゃあ隊長、ちょっと失礼しますね」
「は?……な!?」
彼は後ろから僕の足を蹴り、倒れかけた僕を受け止めると、そのまま抱き抱えて走り始めた。
「ぎゃあ! 離せこの変態が!!」
落とされないように首に腕を回すも、僕の体を支える彼の手がさりげなーくお尻を撫でたりして、叫ばずにはいられない。
「わーもー、じっとしててくださいって。耳元で叫ばないでくださいよ鼓膜破れる…」
ぼやきながら、彼は高く跳躍し、下に流れる沢を越える。
……彼は速い。そういえば、彼は人狼の一族だったか。走るのが速いのも納得だ。
人狼と言えば、月夜に狼に変身するとよく本に書いてあるが、彼もそうなのだろうか。
「なあ、ヴィス」
「はい?」
「お前、人狼だろう? 満月の夜に変身したりするのか?」
案外、しばらく抱きしめられていると慣れてしまうものだ。普通に会話を始める。
「えー? かっこいいポーズ決めながら『変身!』ですか?」
「違う。狼になるのかと聞いているんだ」
どこの仮面ライダーだ。
「俺は末端の家に生まれましたから、狼にはなりませんよ〜。生まれてこのかた、この姿ですし」
彼は人間と大差ない姿をしている。鮮やかな赤色の髪と瞳を除けば、人間だと言われても納得するだろう。否、そういう人種なのだと説明されれば、髪も瞳もたいして気にならない。
「身体能力とか五感とかは、人狼と同じですよ。まあ、俺の家系は代々狼の姿をしてませんから、人狼の主家から能無し扱いされてるんですけどね」
「主家?」
「人狼と一口に言ってもいろいろな血筋がありまして。俺の血筋の、主家は狼に変身できますから、狼になれない俺や俺の先祖は迫害されてきたんですよ」
「…そうだったのか」
辛いことを思い出させてしまったのかもしれない。続ける言葉が思い浮かばなくて黙っていると、彼はやっぱり陽気に笑う。
「迫害って言っても、そんなに酷いものではなかったですよ。そもそも、俺の家族は主家の村を離れて、郊外で暮らしてましたから」
「郊外?」
「死地東部は、普通の大地と境界になる山脈や河がありません。ですから、そこらへんは自然があったりして……そこに住んでたんですよ」
「へえ…」
「ね、隊長」
「なんだ?」
ヴィスの実家の周辺を想像していると、彼の僕を抱きしめる腕に力がこもったのが分かった。
「もし戦争が終わったら、隊長はどこに行くんです?」
「どこって…」
「隊長に、帰る場所はありますか?」
戦争が終われば、僕は魔王にとっては用済みだろう。よくて軍を解任されるか、悪くて殺される。
ヴィスが言っているのは、終戦後軍を辞めたら、僕はどこに帰るのかということだ。
僕には、彼のように実家はない。故郷に戻ったとしても、そこにあるのは壊された家々と無数の骨だ。
「も、もし隊長がよければ、その、俺と一緒に暮らしませんか?」
頬を少しだけ赤らめて、彼が言う。
彼は、僕に帰る場所がないことを知っているわけではない。この提案は、あくまで僕に好意を抱いているからという理由からきているのだろう。
「そうだな……しばらくは厄介になるかもしれない」
「え! いいんですか!?」
彼は驚きながらも喜ぶ。僕が了承するとは思ってもいなかったのだろう。いつもの僕なら、ふざけるなと突っぱねていただろうから。
「長く厄介になるつもりはない。お前の親にも迷惑だろうし…」
「はぁはぁ、隊長と同棲、はぁはぁ、どこに家建てようかな」
「話を聞け」
思案する彼は幸せそうで、妄想に浸っているのか僕の言葉に反応を示さない。
仕方ない。黙って彼に運ばれていようか。
そう思い、彼の首元に額をつける。しかし、視界の端に、あるものを捉える。
「待て! ヴィス!」
「あ、はい?」
「白傑の騎士団だ!」
声を潜めつつ言うと、彼はふいと視線を横に向ける。
木々の隙間から、騎士団の馬車らしき白い布や馬の頭がちらちらと見えた。といっても、かなり遠いし、夜で暗い為、目のいいものでないと本当に気付けない。
「向こうはのんびり走ってたみたいですね。もう少し、追いつくまでかかると思ってたんですけど」
「山道で、雪も降ってるからな。街道と言ってもろくに舗装されていないし、スピードは出せないんだろう」
人間がこの山を越えるときは、大抵、馬車で越える。足ではとても距離があるし、馬車なら夜も越せるし、何より歩くより速い。しかし、やはり限度がある。五日もかかるのはそのためだ。
しかし魔族は違う。死地という劣悪な環境にいたせいか順応力が高く、寒さにも強い。体力もあり、このくらいの山越えなら難なくこなせる。
「ちゃちゃっと追い越して、街道に下りましょうか」
ヴィスは強く跳躍し、山肌をかける速度を上げていく。周りの木々が一瞬で後ろに流れていく。きっとこの速度で木にぶつかったら、骨折どころじゃすまないだろう。
彼はぶつかることなく、ひょいひょいと木を避けて駆け抜ける。
あっという間に騎士団の一団を抜き、しばらく走ったところで街道に下りた。
「ふーっ、やっと見晴らしいい場所に出れましたねー…」
彼に下ろしてもらう。なんだか足下が浮ついた。
「ありがとう、ヴィス………疲れているところ悪いが、のんびりしている暇はないぞ」
「はいはい、騎士団に追いつかれちゃ、元も子もありませんからね。あ、俺の背に乗ってます? そのほうが隊長は楽でしょう?」
「確かに楽だが、お前が疲れてしまうだろう」
「いえいえ、隊長は軽いので、全然疲れませんよ。それどころか、俺の心の癒し…。それに、俺が抱えて走るほうが、断然速いですし」
「悪かったな、足が遅くて」
「いやいや、俺より足が速かったら隊長のこと捕まえられないじゃないですか〜」
彼は訳の分からないことを言いながら、こちらに背を向けてしゃがみこむ。
「さ、どーぞ、お姫様」
「黙れ、馬」
「ひひーん」
馬の鳴き真似をする彼の背に乗せてもらう。…あったかい。
「じゃー、また走りますか!」





「うー、風強い…」
陽が完全に沈み、夜が来る。気温もグッと下がり、雪の降り方もだんだん本降りになってきた。
気温はどれほど下がっているのだろうか。氷点下はゆうに越している気がする。吐く息が白い。
寒さを凌ぐため、ローブを強めに体に巻きつける。
「…ヴィス、寒くないか?」
「隊長は大丈夫ですか?」
「僕は平気だ」
「じゃあ大丈夫ですね」
彼はなぜか一人で納得して、会話を終わらせてしまう。
狼の一族なわけだし、寒さには強いのだろうか。
しかし、これほど風が強くなってくると、体力的な問題よりも安全面のほうが心配だ。
風で聞こえないと困るので、彼の耳元で話す。
「ヴィス、どこかで休もう。風が強くて、危ない」
「どこかって、どこですー?」
街道のど真ん中で休むわけにもいかない。風の影響をもろに受ける。そもそも、テントなんて持っていないし…。
ふと、道端に小さな木造の建物があるのを見つけた。
社、だろうか。
「ヴィス、あそこだ」
彼もそれを視界に捉えていたらしく、社の傍で止まる。
かなり古いものなのか、木が朽ちかかっている。風で扉がガタガタ鳴っていて、少し力を加えれば開きそうだ。
僕は彼の背中から降りると、社の階段をあがり、扉を開ける。もう使われていないようで、やはりどこも朽ちかかり、埃くさい。
だが、風を避けるには十分だ。
中に入り、扉を閉める。そのままだと扉が風で開いてしまうので、氷魔法で簡単に扉を溶接した。
扉を閉め切ってしまうと、灯がないため暗い。
すると、彼が魔法で火を灯してくれた。
彼の手の上で、小さな炎が燃える。
「熱ッ!」
しかし彼は、手を振って炎を消してしまった。当たり前だ、素手で炎を触る馬鹿があるか。
かと言って、社の床に炎を落とすわけにもいかない。
僕は凍結魔法で器を作り、ヴィスにそれを手渡した。
「それの上に炎を灯してくれ」
ヴィスは器の中に炎を灯すと、それを床に置いた。
「便利ですね〜、隊長の古代魔法」
「魔力の消費が半端ないがな」
古代魔法は、現代の簡略化された魔法と違って、威力も魔力消費も大きい。
現代魔法は魔法陣や呪文で魔力をコントロールするため、威力が大幅に下がる。しかし、その分、安定力に優れ、暴発や暴走がおこりにくい。
古代魔法は逆に、魔力のコントロールを術者の意思のみで行う。そのため威力が抑制されることはないが、暴発する可能性が高くなる。
まあ、古代魔法はかなりの才能や適性がなければ、発動すら難しいらしいが。
「そもそも、お前、魔法が使えたんだな」
「いや〜、それほどでも」
てっきり、ヴィスは肉体派だと思っていた。魔法の才能はからっきしだと思っていたのだが…。
「簡単な火の魔法だけは使えますよ。あ、あと古代魔法も少しだけ」
魔法っぽい魔法ではありませんけど、と彼はローブを脱いで床に腰を下ろす。
僕も、雪で濡れて重くなったローブを脱いで、炎を挟んで彼の向かいに、膝を抱えて座った。
カタカタとどこかの板が鳴っている。風の音がびゅうびゅうと聞こえてきて、更に風が強まったのが分かる。
今晩はここで足止めだろうか。それとも、吹雪は明朝になってもおさまらないのだろうか。
呆然と、揺れる炎を眺めていると、炎の向こうで彼が床に寝転がった。
「この様子じゃしばらく外に出れないでしょうし、寝ましょ。ね」
彼はちょいちょいと手招きをする。添い寝をしよう、ということなのだろうが、誰がそんなことをするものか。
僕は彼のそれを無視して、その場に横になる。動くたび、木板の床がギイギイと軋んだ。
彼は無視されたというのにそんな僕に微笑んだ。
「おやすみなさい、隊長」
「…あぁ、おやすみ」
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