約束の聖戦

□7話
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第1幕 7話 制圧
<エルタ地方編4>










 僕の言葉を聞いた女帝は、無表情のまま目を細めた。
 おそらく、キメラを見るのは初めてなのだろう。彼女は嫌悪で顔を歪めている。
「おぞましいものだな…」
「そんなことを言っている場合じゃない、来るぞ!」
 キメラが腹から唸りを上げ、体勢を低くする。キメラはこちらを睨み、石の床にひびを入れるほどの脚力で床を蹴り、こちらへ突っ込んでくる。
「女帝、貴様は下がっていろ!」
 風霧の騎士を抱えている女帝は、剣を存分に振るうことができない。逃げようにも、いくら女帝とは言え、少女を抱える彼女では、キメラより早く動くことはできないだろう。
 僕は氷槍の柄を床につき立て、魔法を発動させる。
 瞬きするうちに氷の壁が床からせり上がり、キメラと僕達とを隔てた。
―――グおおおお…!!
 しかし、キメラは分厚い氷の壁をもその巨体で砕き、僕達の目前に前足を下ろす。
 床に、先ほどよりも大きなひびが入る。
 キメラは十の瞳で僕を見降ろし、そして僕を食い殺そうと犬歯をむき出しにした。鋭い牙の合間から、湿った熱気がもれる。不快な湿気と熱。
「雷炎魔法っ!」
 ぐわっと大きくキメラが口を開けたとき、ちょうど横から、メリーの魔法が飛んできた。稲妻を伴った炎は、キメラの顔を殴り、そして黒い立て髪を轟々と燃やす。
 炎の熱さに、キメラはその場で暴れた。
「隊長、早くキメラから離れてください…っ!」
 メリーの言葉に、ハッとして後退する。女帝もキメラから距離を取ると、ちょうど入れ替わるように、バーティルとレオがキメラの前へと走り込み、剣を振りかざす。
 しかし、うろこのある脚などは斬りつけてもビクともせず、逆に弾かれてしまう始末だ。
「ぐぅ、なんだこいつは! ドラゴン並の硬度だぞ!?」
 非情にも、剣の嘶きが響くのみ。キメラは炎に気を取られているが、バーティルやレオの剣は、その巨体に掠り傷すらつけられない。
 それを見ていた女帝が、彼等に向かって叫んだ。
「父上、レオ! そのキメラと剣では相性が悪い、退け!」
 二人の騎士が女帝の声を合図にキメラから飛びのくと、ちょうどキメラの毛を燃やしていた炎が消える。
 キメラはさきほどよりも敵意を燃やした目でこちらを見た。
「た、隊長っ、どどどうすれば……」
「魔法だ! あの鱗のせいで、おそらく剣も槍も通用しない! メリー、ヴィスは僕に任せて、お前は魔法に集中しろ!」
「はうう!」
 彼女からヴィスを預かり、僕は彼を背に抱え直して、キメラをよく観察する。
 頭以外、ほぼ全身が鱗でおおわれている。黒い毛並みは脂ぎっていて、まるでメドューサのように毛は長く垂れている。毛の間からのぞく十の眼光が、ただ殺戮のみを求めて、獲物を映していた。
「わっ私の魔法なんかで、倒せるか、分からないけど……」
 メリーは震える声でまるで自分に言い聞かせるように呟く。彼女は、ベルトに下げていた細長いホルダーから、指揮棒ほどの長さの木の棒を取りだした。
 それは、本当に何の変哲もない、木から削りだしただけのもの。
 そして彼女は、まるで音楽でも奏でるかのように、ゆっくりと棒を動かし始める。
 棒の先端が通った宙に軌跡を描き、奇蹟が光となって、徐々に何かを形作っていく。
 それは、魔法陣だ。
「メリー、その魔法は完成までどのくらいかかる?」
「二分ですっ、だから、その間…!」
 彼女の言わんとしていることは察せた。
 しかし、キメラは悠長に二分も待ってはくれない。再び奴は低く唸り、こちらへ牙をむき出す。
「僕が時間を稼ぐ、できるだけ急いでくれ!」
「はい…っ!」
 僕は彼女ほど高度で威力のある魔法は使えない。魔力がいくらあっても、僕に出来るのは、氷を造形する程度…。
 ヴィスを背に抱えたこの体勢ではいくぶんか集中しづらいが、贅沢は言っていられないかった。
 キメラが、魔法陣の光につられて、メリーへと突進する。
 僕はそのキメラの足下の床に、タイミングを見計らって氷を生えさせる。バーティルの剣を凍らせたときと同じように、キメラの脚がそれに触れると、メキメキと氷がキメラの体を上っていく。
 だが、キメラは氷なんて問題ではないのか、体を震わせて、いとも簡単に氷を砕いてしまう。
 二分ももたないぞ…!
 ちらりとメリーのほうを見れば、円や幾何学模様の織り交ざった魔法陣が、すでに彼女の身長よりも大きく描かれていた。だが、光の軌跡がするすると陣の外へ外へ向かって陣を描いているのを見るに、まだ陣は完成していない。
「くっそ!」
 メリーに向かって走り始めたキメラに、今度は氷の礫を飛ばす。先の尖ったツララのような礫は、雨のようにキメラへ降り注ぐ。
 氷の礫の数本は、キメラのむき出しにされた肉へ突き刺さるが、ほとんどは鱗に弾かれ、キメラが足を止める様子はない。
 かくなるうえは、奴の全身を一瞬で凍らせるしかない!
 手を伸ばし、魔力を遠くへ伸ばすように意識する。
 生まれたときから無駄に多い僕の魔力は、散々幼少期の僕を苦しめたくせに、まさか人間をやめて軍人になってから役に立つものだから、まったく不思議なものだ。
「凍れ!!」
 叫ぶが早いか、魔法が発動するほうが早いか、キメラを覆う僕の魔力が、一瞬のうちに氷へと材質を変える。
 氷のひしめく寒気のする音が聖堂内に響き、そしてすぐにそれは軋む音に変わる。
 キメラの体は瞬く間に、氷に包まれた。
「……こりゃあ、たまげたなぁ」
 それを見ていたバーティルが、壮観だとでも言いたげに、剣を床に突き立てて氷象となったキメラを仰ぐ。
 だが、そうしてられるのも一瞬だけ。
 氷の軋む音は止むどころか、ばきりばきりと嫌な音に変わる。音がするたび、キメラの氷には大きくひびが入っていく。
 ヒビが入るたび、僕は魔力を補充して氷を強化するが、キメラが氷を破ろうとする力のほうが強く、いくら補強修正しても、ヒビは大きくなっていく一方だ。
「メリー、まだか!」
「あ、あとちょっとです…!」
 目をそらすだけでも集中がそがれそうで、メリーの魔法陣を見ることもできない。
 僕は器用なほうではないから、こうして対象を視界に入れていないと、魔法の効力が弱まってしまう。
「駄目だ、割れる…ッ」
 ついに氷は限界を迎え、バキッとひときわ大きな不快音を奏で、弾けるように氷が割れた。大小無数の氷の破片が、聖堂内に飛び散る。
 氷の束縛から解放されたキメラは、体に残った氷を、身震いすることで振り払う。ゆっくりと、奴は僕の方を向いた。
 ……こいつ、魔法を使ったのが誰か、分かっているのか?
 てっきり知能はないものだと思っていたが、明かに僕に敵意が向けられていることから、奴に知能があることが分かる。
 キメラは生温かい息を吐くと、僕に向かって突進してきた。
 時間を稼ぐためにも、僕はヴィスを背負ったまま、キメラが僕にぶつかる直前で、横に走って逃げる。勢いのついたキメラはすぐに止まれず、少し行き過ぎたところでようやく止まり、また僕を追いまわした。
「鬱陶しい!!」
 再び氷の礫を作りだして投げ撃つが、やはりキメラはものともせずに突進してくる。
 どうすれば陣完成まで時間を稼げるか模索していると、視界の端から女帝とレオが飛び込んできた。
 彼等は命知らずにも、猛スピードで駆けるキメラの前で剣を構える。
「貴様ら、死ぬつもりか!?」
「魔族は黙って見ていろ!」
 女帝の今までにないほど切羽詰まった声に、僕は足を止めて、こちらへ向かってくるキメラと、僕とキメラの間に立つ二人の背を捉える。
 そして僕は、彼等の持つ剣が魔力の光を帯びていることに気付いた。
 女帝の魔力はヴィスが削ったはずだが、まだ余力があったのか!? それに、あの盲目の男も魔導剣を……。
 女帝が剣を振りかぶると同時に、レオがキメラへ向かって走る。一瞬後、彼がキメラのわきに飛びこむと、彼の剣の魔力が、ゆるやかな曲線の残像を描く。残像が消えるとともに、残像が通った部分のキメラの鋼鉄の鱗が弾け、赤黒い液体が噴き出した。
 そして、トドメと言わんばかりに。
「はぁぁあああああ―――!!!」
 女帝が、向かってきたキメラを、剣で真っ二つに切り裂く。剣に込められた魔力がキメラの皮と肉を裂き、キメラの額を割った。
 それでもなお、キメラは呻き、吠え、目の前の女帝を食らおうと口を開ける。
「豪炎魔法ッ!!」
 しかしキメラが女帝を食らうことは叶わない。
 いつもより芯のある声の主に目を向ければ、そこではメリーがドラゴンよりも大きな魔法陣を完成させていた。
 白く輝いていた魔法陣は、メリーの掛け声とともに赤くうねり、そして炎を生み出して……魔法陣から生まれ出た炎の渦がキメラを襲う。
 火達磨になったキメラはしばらく暴れ狂っていたが、火の勢いが衰えるころ、ようやく力を使い果たす。キメラはまるで最後の力を振り絞るように天に向かって叫び、そして床に倒れた。
 キメラの最期をただ傍観していた女帝は、まだほのかに輝く剣を鞘に収める。レオもそれを見て、同じように剣を収めた。
「……安らかに眠ってくれることを祈る」
 女帝はそうつぶやき、こちらを振り返った。その目はやはり厳しい。
 僕を睨む彼女は、低い声で僕に訊ねた。
「コレが、このエルタ支部地下で造られていたと言うのか?」
 彼女は、政府の悪事をただ追及する。それは、自らの仕える主君の潔白を証明したいわけでも、安心を得たいわけでも、はたまた政府を批判するためでもない。ただ、彼女は真実を知りたがっているようだった。
「そうだ。お前達が信じるかどうかは勝手だが、少なくともコレは軍が手引きしたものじゃない」
 僕が答えても彼女はただ僕を睨むように見つめるだけ。
 これ以上言うこともないだろうと睨み返していると、女帝が目を逸らした。彼女らしくもない、舌打ちが聞こえる。
「貴殿が嘘を言っているようには思えない。だが、私はその言葉を易々と信じることもできない」
 彼女はただそう言って、おもむろに顔を上げた。視線の先にはバーティルがいる。彼はエルミラを抱えていた。
「父上、申し訳ないが、エルミラを安全な場所へ」
 バーティルは深く頷き、聖堂を出ていく。
 彼女はそれを見送り、レオへと視線を移した。
「レオ、お前は私と共にホールへ行くぞ。騎士たちが心配だ」
「御意」
 どうやら彼等は僕達を倒す気はないのか、聖堂を出ていく。
 いや、あんなモノが出てきてしまったのだ。他にもたくさんいたとしたら、普通の騎士たちでは太刀打ちできないだろう。彼女たちも、僕達に構っている暇はないのだ。
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