約束の聖戦

□9話
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第1幕 第9話 内通者










 部下たちと一旦別れ、急ぎ食堂を出る。ホールの螺旋階段まで駆け、少しペースは落とすものの、それでも早足で階段を上がった。
 会議室は城の上階にあり、最上階からふたつ下の階になる。
 幹部会議は、魔王軍本部部隊の隊長全てと魔王軍総帥―――魔王が出席する会議だ。
 本来、幹部会議は三カ月に一度、つまり一年に四回行われる。僕は、第三部隊長に就任してから一ヶ月半しか経っていないことや、時期が被らなかったこともあり、まだ幹部会議に出たことはない。
 この会議で、本部隊の隊長全員と対面することになる。ヘリオドールも含む、魔王軍幹部全員と。
 僕の、元人間であるという噂や地方勤めの一軍人からの異例の昇進の話は、彼らにも伝わっていることだろう。
 顔を合わせれば、何を言われるか分からない。
 そのことや、幹部全員が招集される会議が突然開かれること、きっと今回の会議は面倒なことになる。
 少し、憂鬱である。
「おや、中将殿」
 考えながら階段に上がっていくと、不意に横から声を掛けられた。
 もちろんこの声はあの緑髪の男のもの。
 足を止め、声のほうに目を向ける。
 やはり、数時間前と同じく、ヒトを嘲るような綺麗な笑みを浮かべている。
 しかし僕の視線は、彼の表情ではなく、彼の軍服の胸元にひきつけられた。
 いつもはシワひとつない彼の軍服だが、今は数時間前にはなかった赤いシミがついている。気をつけて見なければ分からない程度のものだが、それは明らかに血である。色からして、まだ新しい。
「ヘリオドール、なんだ、その血は」
「はい? ああ………」
 彼も僕に言われて気付いたようで、軍服のシミを指の先で撫でる。
 その瞬間だけ、彼お得意の嘲笑も消えたのだが、すぐに僕のほうにまた微笑む。
 分かりやすい、仮面の笑みだ。
「さきほど、ワインをこぼしてしまいまして。きっとそれでしょう」
 いや、どう見てもワインのシミには見えないし、彼の表情は明らかに造りものである。
「なにか、あったのか?」
「中将殿、他部隊への干渉は、ここ魔王軍では極力避けるべきですよ」
 口元に人差し指を立て、幼い子を諭すように言う彼は、いつもの彼である。
「同系列の部隊ならまだしくも、第三部隊と第十五部隊は縦の関わりも横の関わりもないのですから」
 暗に、首を突っ込むなと言いたいのだろう。
「まあ確かに、僕には関わりも関係もないことだ」
 自身の部隊の仕事で手一杯というわけではないが、だからと言って他部隊のことにまで手を出している暇はない。
 再び階段を上り始めれば、彼も後ろからついてきた。
「そういえば、お前も部隊長だったな」
「忘れて頂いては困りますよ。まさか、先ほどお話しした内容も忘れているのではないでしょうね?」
「貴様は、僕を鶏だとでも思っているのか?」
「そうでないことを祈りますが」





   ***





 馬車から降りた先は、城下町の一角、博物館だった。
「どうして博物館なんだ?」
「おや、愛らしいお嬢さんとのデートには、静かな場所がもってこいだと思うのですが」
「気色の悪い冗談はヴィスだけでいい。なんのつもりだ」
 白い石材で組まれた大きな建物で、入口の大きな扉は開放されている。
 ヘリオドールが館内へと入っていくので、僕もそれを追う。
 暗い外と違い、煌々と明るい照明に照らされた館内は眩しく、しばらく目を細めていた。
 館内の印象は、博物館より教会に近い。壁の高い位置に、ステンドグラスがいくつも連なり、それぞれ異なる柄が輝いている。
 一際大きなグラスが奥で照明に照らされ、ちらちら輝く。
 白い翼を持った、二体の小さな天使。彼らが囲んでいるのは、金の剣。明るい色彩で彩られたそれらとは対照的に、天使と剣を黒い炎と紫の怪物が襲おうとしている。
 そんなステンドグラス。
「中将殿、いつまで見上げているんですか?」
 立ち止まってそれを見上げていた僕を急かす彼に、そのステンドグラスについて尋ねた。
「ここに並んでいるステンドグラスは、なんだ? 宗教的ななにかか?」
 宗教のようには思えない。魔族の信仰する宗教は、いわば魔王を信仰するものだ。天使など、魔王とは結びつかない。
 しかし、あのステンドグラスは天使と剣が中央に描かれ、まるで彼らが主役であるように描かれている。
 ヘリオドールは、僕の視線の先のそれへと目を向けた。
「この博物館のエントランスに飾られたステンドグラスは、全て、英雄戦争の歴史を象徴しているのですよ」
 彼は僕たちが入ってきた扉のほうへ目を向け、扉の上に飾られているステンドグラスを見るよう、僕に促した。
 そのステンドグラスにも二体の天使が描かれ、しかしそこには人間と、角や尾を生やした人型のものが、緑の大地で歌い踊る様が描かれていた。
「英雄戦争が起こる以前、この大陸では全ての種族が暮らしていました。争いもなく、天国のような世界だったと伝記に綴られています」
 おそらく、角や尾を生やした人型のものは、魔族だ。
 そのステンドグラスには、人と魔族がいがみ合うこともない世界が描かれている。
「あの、羽根を生やしたやつは、天使なのか?」
「ええ、そうですよ。世界を作った主神の使いだそうです。二体の天使に見守られ、魔族も人間も、平和に暮らしていたのだとか。ですが、人間がその和平を壊した」
 隣のステンドグラスは、炎と血の赤を特徴的に描いたものだった。
 人間が魔族を殺し、人間が魔族をしいたげる絵。
「より豊かな生活と発展を求め、多くいた人間は、数の少ない魔族から、土地と資源を奪いました。それだけでは飽き足らず、魔族を鎖につなぎ、奴隷のように扱ったのです」
 更に隣のステンドグラス。そこには、大きな黒い影が、人間を呑みこんでいくのが描かれている。
「総帥………いえ、『魔王』は、魔族が虐げられることがないようにと、人間を滅ぼすことを決めました。そうして、英雄戦争が始まったのです」
 魔王を表す、黒く大きな影は、赤い瞳をきらきら光らせて、人間を呑みこむ。
 ずっとそれを眺めていたら、その赤い目と視線があった気がした。
「その後は、貴方も知っているとおりですよ。戦争は永きに渡って続き、一度は終わるも、覇権戦争と名を変え、また続いているのです」
「お前たち魔族は、戦うのが好きだな」
「それは人間のほうでしょう? 平和を望むくせいつまで経っても争うことをやめない彼らのために、我々魔族は、彼らを滅ぼすことで平和を作ろうとしてあげているのですから」
 争いを消すために、更に大きな争いで消す。
 魔族も、たいして人間と変わらない。結局は争いに頼るのだ。
「御託はいい。お前は、これを見せるために僕をここに連れてきたわけか?」
「いいえ。こんなものは、さして重要でもありませんよ」
 彼が博物館の奥へ行くので、僕も、ステンドグラスを見ながら奥へ向かった。
 エントランスから奥へ行くと展示室になり、ガラスのショーケースの中に、発掘された古代の陶器や錆びた武器などが並んでいる。壁に、絵画なども展示されていた。
 一般人らしき観覧客が数人いるので、一般開放されている博物館なのだと分かる。おそらく、軍事的なものや貴重なものはここには飾っていないのだろう。
 なぜ、ヘリオドールはこんなところに僕を連れてきたのか。
 ますます分からない。
「中将殿、あなたをここへ連れてきたのは、とあるものを見せたかったからです。とは言っても、レプリカですが」
「とあるもの?」
「これですよ」
 展示室の最奥、正方形の部屋に辿りつくと、ヘリオドールは、部屋の中央に設置されたショーケースを示した。
 三つのショーケースは三角形を作るように設置され、それぞれ、黄金の剣と、白金の弓矢、白金の竪琴が飾られている。
 彼はレプリカだと言ったが、それにしても装飾や造形がこっていて、それなりに高価なものだと知れる。
「これが、どうかしたのか?」
「エントランスのステンドグラスを思い出してください。これに似たものは、ありませんでしたか?」
「………あ」
 博物館に入って、最初に見たステンドグラス。
 金の剣を囲む二体の天使と、それを覆う魔王の影。
 金の剣はそのままだが、白金の弓矢と竪琴は、天使を表しているのだろうか。
「剣と天使か?」
「ええ、そのとおりです。黄金の剣は、勇者が魔王封印の際に総帥の胸に突き立てたと言われる、聖剣。白金の弓矢は、秩序の天使が暗雲を晴らすために天へ放ったと言われるもの。竪琴は、慈愛の天使が争いをいさめるために鳴らしたもの」
「………魔王封印に関わった、三つの武具か?」
「おや、英雄戦争の末尾は知っておいででしたか」
「知っている。ほとんどの人間は、絵本で読んだり、親から子守歌代わりに聞くものだ」
 英雄戦争のことは、大陸に生まれた誰もが知っている史実だ。子供のころに、絵本や親から聞かされ、英雄戦争のすべてを知る。
 英雄戦争は、人間と魔族間の土地や資源の奪い合いから始まり、最後には、勇者と一対の天使が魔王を封印し、戦争が終わるのだ。
 勇者は聖剣をもって魔王を封印し、秩序の天使は弓矢をもって漂う魔王の魔力を晴らし、慈愛の天使は竪琴と歌をもって怒れる魔族と人間の心を鎮めたと言われている。
 そのことから、聖剣と弓矢と竪琴は、魔王封印に用いられた重要な道具ともされている。
 ただ、英雄戦争自体がはるか昔のことなので、どこまでが真実でどこからが捏造なのかは分からない。正直、後半は大人の都合のいいように作り替えられた話だと僕は思っているので、聖剣も弓矢も竪琴も、そして天使も人間の偶像だと信じている。
 「勇者」はそれに足る人間がおそらくいたのだろうが、魔王の力に対抗できるほどの剣や、魔王の力を封じる弓矢や、人の心を左右することのできる竪琴などはただの作り話だ。天使も、他の伝承や神話に多く登場するが、宗教上の存在であったり偶像であったりで、現実に存在するものではないだろう。
「こんな、本当に存在しているかどうかも疑わしい三武具を、わざわざレプリカまで作って展示しているのか。魔族は暇だな」
「中将殿は、これらの存在を信じていないのですね」
「当たり前だ。こんな強力なものがあるなら、今行われている覇権戦争など、とっくに魔王が破れて終わっているだろう?」
「確かに、それもそうですね」
 僕の現実的な言葉に、ヘリオドールはくつくつと笑った。
 僕は、それに付け加える。
「現状、魔王の力に敵う者はいない。人間にも、魔族にも。魔王を越える力を持つ武具があるなんて非現実的だ。そもそも、武具は使ってこそ真価を発揮するものだ。人間である勇者はともかく、天使なんてものがいるとは思えない」
「おや、てっきり総帥より自身のほうが強いと言うのかと思っていたのですが、力の差は認めているのですか」
「………不本意だが、一応の上司だからな」
 本当に不本意だが、魔王がどれほどの力を持っているかは弁えているつもりだ。
 魔族に神として信仰されるほどの存在。伝承の中では、大地をひっくり返すほどの力とまで言われている。
 さすがに僕には、大地をひっくり返すほどの魔力も腕力もない。
「一応の上司、ですか。では私のことも一応の部下として、もう少し信頼してくれても良いと思うのですが」
「それはないな。それに僕は、魔王を信頼しているわけじゃない」
 魔王の持つ力が絶大であることは、周知の事実だし、僕もそれを疑わない。しかし、魔王自信を信頼するかどうかとは別問題だ。
「で、これを見せるためだけにここへ来たのか? まさか、英雄戦争などという昔話をするためだけに連れてきたわけじゃあるまいな?」
「まったく、せっかちですねえ」
 まるで僕がわがままな子供とでも言いたげに、ヘリオドールはやれやれとため息をついている。
「単刀直入に言いますと、今話した全ての事柄が、現実に存在するものだということです」
 彼は、僕をからかっているわけでもなさそうだった。
「今話した、全て?」
「ええ。勇者の存在も、三武具も、天使のことも」
「あり得ない。そんなものが実在するなら、戦争はとっくに終わっている」
「ええ、その通りです。ですから、総帥は、勇者や天使の存在が表舞台に出てくることを恐れています。この世界で唯一、総帥を脅かすものが現れるのを」
 冗談というわけでもない。ヘリオドールは、ショーケースの中の黄金の剣を見つめながら、真剣な面持ちでそう僕に告げた。
「勇者も、聖剣も、天使も、現存するのか?」
「聖剣や天使の武具は、確実に存在します。ですが、英雄戦争終戦後の人間たちの争いによって、どれも紛失し、行方が分からなくなっているそうです」
「じゃあ、勇者と天使は?」
「勇者は、聖剣に認められた人間のことを言います。聖剣が発見されれば、じきに勇者も現れるでしょう」
「聖剣は、誰もが使えるわけじゃないのか?」
 天使の弓矢と竪琴は、天使しか使えないのだと予想がつく。しかし、聖剣も勇者しか使えないものなのだろうか。
「勇者と言っても、ただの人間だろう?」
「剣が、持ち主を選ぶのだとか。誰もが使えるわけではありません」
「面倒な剣だな。で、天使は? まさか空から降りてくるのか?」
 勇者や武具は、まだ現実味がある。しかし、天使なんて神話の中にいる宗教上のものであり、想像上の存在だ。
 紀一のような悪魔がいるのだから天使も、という考えもなくはない。しかし、悪魔に襲われたという話は聞いても、天使と出会った、という話は一度も聞いたことがない。
 ヘリオドールは、いたって真面目に答えた。
「分かりません」
 いっときの静寂が流れる。
「………は?」
 やっと、彼の言葉を正確に理解した僕は、ただただそればかりである。
「え、ここまで分かっているのに!?」
「仕方がないでしょう。天使については伝承も文献も少なく、全くと言っていいほど情報がないのですから」
「てっきり、全部分かっているものだと思っていたぞ!」
「そんなに知りたいのなら、総帥に直接尋ねてみては? 三千年前のことを知っているのは総帥くらいですから。まあ、あの方が素直にお話ししてくださるとは思いませんが」
「はあー………少しは真面目に聞いて損した。早く飯だ、飯」
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