約束の聖戦

□2話
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今日は仕事がないな。全然ないな。ひとつもないな。やった、休日だ。
そうは思いながらも、たまたまやることがないだけで有休ではないので、僕は軍服に着替える。
クローゼットには軍服の上着が数着引っ掛けられていて、下には白いワイシャツがシワひとつなく積まれている。僕の部屋のクローゼットの中には軍から支給された衣服しかなかったが、つい先日、私服が追加された。
……私服と言っても、もう二度と着ることはないだろうが。
軍服の隣にかけられた白地のワンピースを見ていたら、自然と溜息がこぼれた。
もう二度と着られることのないこの服は、これから未来永劫、このクローゼットの中で鑑賞用となるのだ。……この服をじっくり眺めることなんてないと思うが。
「隊長ー! おっはようございますー!」
僕がのんきにワンピースを眺めながら上着の飾り緒のチェーンをつけていると、部屋にヴィスが入ってきた。
彼は問答無用で侵入してきて、僕のもとまでやってくる。
「あ、隊長、お着替え中でしたか…」
「今終わったところだ、それより」
僕に何を言われるのかときょとんとしていた彼の首元に、僕は氷のナイフを突きつけた。魔力で瞬時に造り出したナイフと僕の行動に反応できなかったヴィスは、やっぱりきょとんとして、一瞬遅れて
「えっ」
と顔をひきつらせた。
「貴様、不法侵入で牢にぶち込んでやろうか」
「あはは、そんな物騒な」
笑ってはいるものの本当に喉を切られはしないかと不安なのか、口元がひくついている。
「鍵は閉めていたはずだ。どうやって入った?」
「えー? 以前に隊長から貰った合鍵で…」
「合鍵など渡した覚えも作った覚えもないわ!」
彼がポケットから取り出し、揺らして見せた銀色の鍵。確かにそれは僕の部屋の鍵と同じ形状をしている。
「貴様はストーカーか!」
彼の手からそれを奪い取った僕は、氷魔法で凍らせて、力任せに砕いた。
「うわっ! 俺の鍵! てか、隊長の握力凄まじい!」
ヴィスは、鍵を砕いた僕の握力に感嘆しつつ、鍵を砕かれてしまったことに落胆している。
「あぁ、こいつを牢屋に放りこみたい……」
「そんなことしなくとも、もう俺は隊長の魅力という牢に捕らわれぶぐはぁッ」
気持ち悪いことを言い出した彼の腹に左ストレートを入れる。呻きながら蹲ったところを見ると、どうやら鳩尾に入ったようだ。
ふっ、いい気味だ。
僕は溜息しながら、氷のナイフを魔力に戻す。氷は白い気体となって、宙に散布した。
「たいちょ……めっちゃ痛いんですが…」
「そうか。それは災難だな」
僕の拳はノーコンだからなと冷笑すると、ヴィスが無理に笑う。
「はは……どこがノーコンですか…うぅ」
「とにかく僕の部屋から出ろ。僕が仕事に行けない」
「うぅ、いいですよ…? 俺のことは置いていっても。あ、それとも、俺を心配して看病してくれるとかですか? 嬉しいなぁ…」
「違う。貴様を僕の部屋に放置しておくと、部屋の中がどうなるか怖い…」
「えー? 俺はそんな不審者みたいなことしませんよ? 隊長のベッドでオ○ルくらいしkぶひゃっ!」
「……おら、仕事行くぞ」
蹲ったままだった彼の鳩尾にピンポイントで蹴りを入れ、痛みで立ち上がれない彼の首根っこを掴んで部屋の外へ引きずり出した。
「た、たいちょ……痛い、体のいろんなとこ、痛い…」
引きずる際に扉や壁の角にぶつけまくった為か、廊下に出た頃にはヴィスが撃沈していた。
「自業自得だ」
「ふえーん、隊長、酷いぃ…」
「さっさと食堂に行くぞ。仕事もなにも、腹が減ってると何もできないだろ…」
ヴィスを起き上がらせようと腕を引っ張る。しかし彼はうーうーと唸るばかりでなかなか起き上がらない。
このまま放置するわけにもいかず、どうしたものかと考えていたときだ。
「あ、隊長とヴィスじゃーん。こんなとこで何してんの?」
そんな声に振り返ると、そこには僕より少し年下の少女がいた。ぱっちりとした大きな目から活発的な印象が見て取れる。声もはきはきとしたもので、明るい女の子。僕やヴィスと同じく魔王軍の軍服を着ていて、胸元に掲げた軍旗の下にいくつかの勲章を下げていた。歩くたびに、勲章やスカートの裾、肩まで伸ばしたふわふわの茶髪が揺れる。
彼女の姿や声からは活発で明るいイメージが見て取れるが、腰に引っ提げている異様な本数の剣のせいか、奇妙な威圧感まで感じる。普通の少女ではあるが、どこか普通ではない空気を纏っている。
彼女はルルニカ=ゼシュオール一等兵。僕の部下の一人だ。
他部隊の遠征任務に補助要員として出ていたはずだが、帰ってきたのだろうか。
「おかえり、ルルニカ。任務はどうだった?」
「つまんなかった! くっそつまんなかった! 政府の介入もなくて、町の人間も強い人とかいなかったから、土地はすぐに占領できたんだけど……私の出る幕ないからすごく暇だったー」
「そ、そうか…」
ルルニカは淡々と告げ、どこにでもいる女子高生が愚痴をこぼすような、そんな感覚で話してくれる。
「で、なんでヴィスが床で唸ってんの?」
彼女は、僕の足元で唸りながら横たわっているヴィスに目を落とす。
「まぁ……いろいろあってだな」
勝手に合いカギを作られてそれで侵入された…なんて言いたくない。いつの間にか鍵を作られていたとはいえ、こう何度も侵入を許していたのかと思うと自分が間抜けに思えてくるのだ。
すると、開きっぱなしのドアや苦しそうに唸るヴィスを見た彼女が、ぽんと手を叩く。
「あー、分かった。ヴィスが不法侵入したんでしょ? 懲りないねぇ、ヴィスも」
まんまと真相を言いあて、彼女は呆れたように肩を落とした。
「ルルニカ、こいつをここから退けるのを手伝ってくれないか? 扉が閉められない」
「おっけー」
彼女はすぐ了承してくれて、僕と一緒にヴィスを玄関先から引っ張り出してくれた。廊下のど真ん中に放りだして、僕はやっと自室の扉に鍵をかける。
「じゃあ、私は第二十三部隊のほうに報告書とか出しに行ってくるから、またねー」
「ん。ありがとう、ルルニカ」





先日と同じく、身体の節々を痛そうにしながらヴィスがヤモリの素焼きをかじっている。
「あーあ、せっかくの隊長と俺の二人きりの時間が……くっ、ルルニカめ」
「そろそろ、他の奴等も帰ってくるかな……」
僕には、全部で六人の部下がいる。まずは隣にいるヴィス、そして先程帰ってきたルルニカ、その他に四人。彼等が任務に出た日付と任務内容を考えれば、今日か明日頃には帰ってきてもいいはずだ。
「それにしても、今日はやけにうるさいですね、食堂」
確かに、朝で混む時間ということをさっぴいても、今日は食堂が騒々しい気がした。
特に、入口のあたりにヒトが群がって……ん?
「あれは……」
食堂の入口付近に、特にヒトが群がっている。群がっているのは比較的若い軍人たちで、彼等の集まっている目的は、すぐに知ることが出来た。
軍人たちに取り囲まれているのは、一人の青年。彼も軍服を着ていたが、軍服の装飾が周りの軍人たちとは明らかに違う。地位の高い軍人だと一目で分かる。
青年は周りの軍人たちから視線を浴びるが、周囲の軍人の中で彼に話しかけたり近寄る者は皆無だ。
周囲の軍人たちは、まるでアイドルでも見るようなほわわんとした目で青年を見ていた。
「相変わらずだな、アイツの人気っぷりは」
「ん〜? あー、あの人ですか…」
しばらくすると、他の軍人たちも青年の存在に気付いたのか、青年の姿を一目見ようと群がりの中に加わっていく。
いつの間にか、青年の周りはすっかり人口密度が高くなっていた。
「まぁ、あの人は、軍内のアイドルですからね。実際、可愛いし」
「魔族はああいう清楚が好みなんだな」
「あ、もちろん、隊長のほうが全然可愛いですけどね」
周りの軍人たちは青年と距離をとりつつも青年の姿に癒されほわわんとしているようだ。
周りの軍人は青年に夢中で、たまに青年の名前を遠くから呼ぶ者もいる。運良く青年がその声を聴き取れれば、青年は声のしたほうに笑って手を振ったりする。まじ、アイドルのすることだわ。
「お前は近くに行かなくていいのか? 清楚が好きなんだろう?」
「隊長のほうが清楚ですよ。可愛いし。軍のアイドルはあの人かもしれませんけど、俺のアイドルは永遠に隊長一人ですから」
「誰が歌って踊るものか」
「いや、歌って踊れとは言いませんよ? 彼だって歌ったり踊ったりしませんし」
僕達がそんな雑談をしていると、青年はきょろきょろし始めて、僕達に目を向けて止まる。
彼は、他の軍人が取り囲む中を僕達のもとへ一直線に歩いてやってきた。
「第三部隊長さん」
青年は僕の傍まで来ると、そう僕を呼んだ。
……なんで話しかけてくるんだ。
僕がシュークリームを咥えながら鬱陶しそうな表情をすると、青年のファン達が僕に向けて嫌悪の視線を向け始める。
「なんだ、紀一」
仕方なく応えると、青年はにっこり笑う。花が綻ぶようにやわらかい笑顔で、女の子のように可憐だ。
しかしそれに反して、他の軍人たちの反応は冷たくトゲトゲしている。
「あの人間、紀一様に向かってタメ口…」
「なんて礼儀知らずな…」
「紀一様を呼び捨てにしたぞ…」
「やっぱり人間は下等の屑だな…」
聞こえてますよ、そこの方々。
紀一はそんな彼等の言葉など気にも留めていないのかそれとも聞こえていないのか、彼等に注意するでも一緒になって僕をなじるでもなく、ごく普通に会話を続ける。
「あのね、和人が、隊長さんの部隊に任務を頼みたいんだって。だから、食べ終わったら和人の寝室に来てくれないかな…?」
「あぁ、分かった」
周りの軍人とは裏腹に彼はとてもやわらかい性格で、口調もやわらかくゆっくりだ。笑顔も和やかなもので、こうして対談して
いると、口調や笑顔のせいか気持ちが和む。
彼と言葉を交わすたび、ほかの軍人達が彼をちやほやとアイドル扱いするのが分かる気がする。
軍のアイドルと言われるだけあって、顔立ちは中性的で可愛らしい。薄い唇や垂れた栗色の瞳は穏やかな彼の性格を表しているようだ。栗色の髪の間から生える小さな悪魔の羽のような触角は、ときどきピヨピヨと動く。
確かに、目の保養には持ってこいの見た目だな。
しかしいつまでも彼と喋っているわけにはいかない。周りに群がる他の軍人の視線がとてつもなく痛いのだ。
「隊長さん。僕も一緒に朝ご飯食べていいかな…?」
「あ、いや、もう食べ終わるから、また今度にしてくれないか」
「うん、そっか。じゃあ、また今度、一緒させてもらうね」
このままだと周りの奴等に視線だけで八つ裂きにされそうでそう断ったのだが、逆効果だったらしい。
「あいつ、紀一様の御誘いを断りがった…」
「なんてやつだ…」
「俺だったら絶対断らねぇ…」
紀一自身は誘いを断られたことに特に何も感じていないようなのだが、周りの軍人が僕の反応に怖いくらい殺気を向きだしにしている。……魔族、怖い。
僕はシュークリームを口に押し込み、紀一の取り巻き達から逃れるように食堂を出た。
「ばいばい、隊長さーん」
紀一は相変わらず笑顔を僕に送ってくれていたけど、僕にはそれに手を振り返す余裕なんてなかった。
食堂を出て廊下に回避し、なんとか息を吐く。
「隊長、災難でしたね」
「わっ……お前、ついてきたのか」
「えへへ、俺は隊長の傍にずっといたいですから」
そんなことをサラッと言いながら、彼は廊下を歩き始める。僕も魔王の寝室を目指すため、彼に続いて歩き始めた。
「でも、紀一さまって良い子ですね。嫌味な奴なのかと思ってました」
取り巻きがあんなのだし、と彼は少し疲れたように笑った。
「お前、紀一と喋ったことないのか?」
「えぇ。一般軍人は近づくことさえ躊躇いますよ。なんせ魔王の側近ですし、アイドルですし。彼と会話できる人物なんて、彼が興味を示す相手くらいですよ」
紀一は本人の優しく穏やかな性格とは裏腹に、その権威から話しかけるのも畏れ多いと直接一般の軍人と関わるということはないようだ。
話しかければ普通に返してくれるんだがな…。
「隊長、紀一様と知り合いだったんですね」
「?」
「ほら、名前呼び捨てだったし。向こうも隊長のこと知ってたみたいだし」
「まぁ、魔王に会いに行けば顔を合わせるからな。向こうからよく話しかけてくる」
「へぇ。じゃあ、隊長は紀一様に気に入られているんですね」
「…まさか、お前まであの取り巻き共と同じようなことを言い始めるんじゃないだろうな?」
「はははっ、言ったでしょう? 俺のアイドルは隊長だけですから、隊長と紀一様が仲良くやってるぶんには、特に何も感じませんよ。ただ」
「ただ?」
「隊長は男に興味がないみたいですし、紀一様と結ばれるなんて展開に転ばなきゃいいんですがね」
「あれも男だぞ?」
「でも、女の子でもありますよ? 紀一様はサキュバスですから」
紀一はサキュバスという悪魔だ。そのことは僕も知っている。
サキュバスは人間の精気を喰らうために美しい女や男の姿に化けて人間を騙すので、多くのサキュバスは両性ということになる。
勿論、紀一も両性だ。
「安心しろ。僕は色恋に手を焼いている時間がない」
「えー? どうしてですか?」
「いろいろ、やらなきゃならないことがあるからな」
「そうですか……じゃあ安心です……あれ? それじゃあ、俺との恋も進展しないのでは…」
「お前は恋愛圏外だから安心しろ」
「えっ、そんな! ぐぬぬ、無理矢理にでも恋愛圏内に進出してやりますからね!」
「弾きだしてやるから安心しろ」
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