書物

□傾城悪女 大詰め
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「お前がこしらえた貸し金のおかげで、百姓の税は馬鹿みたいに上がってる。此処にいる奴らの中で、さてどれくらいが恨んでいるんだろうな」







民衆を見渡して笑った御室に、安周の額から汗が一粒伝う。見開かれた瞳からは、今に涙がこぼれ落ちてきても、おかしくはないだろう。







哀れで、愚かで、痛ましく………。どこまでも小さく見える安周の様は、もう一国の主には見えない。無知は罪。愚かだな。御室は眉を吊り上げ浅葱色の瞳を細めた。







すると、その嘲笑を聞いた途端ーー、弥葛は急に供の侍女や家臣を押しのけ、柵の中に身をすべらせた。かくも麗しき女が二人、無機質な土の真ん中に立ちはだかる。







弥葛が御室の目の前まで歩み寄り、無言のうちに彼女の前で立ち止まる。すると、弥葛の腕が袖を翻してふり上げられたかと思うと……………。







「口さがないやつめ」







「ぐうっ………!!!!」







誰かが瞬きをする間もないくらい一瞬で、彼女は御室の胸の間に拳を食らわせ、御室の細い体をあっけなく吹き飛ばす。それは怒りか、憎しみかーーー?







土の地面に倒れふし、御室は激しく咳き込む。そうだ。弥葛が拳を食らわせたのはーーーー御室がいつか蛇神によって受けた、傷口の部分だったのだ。







乾いた咳に、次第に痰がからんだような、苦しく低い音が交じる。と思えば彼女の薄い唇から吐き出されたのは、やはり赤黒く粘ついた血の塊で。







土が赤く染まる様に、御室はぜいぜいと息が交じる荒い呼吸を繰り返しながら、弥葛を睨む。さりげなく血を吐いた部分を土で隠したのは………その場にいる薬売りに、悟られないために。







ほぅら、酷くなっているではないかえ。ーーーー弥葛は睨まれ怯むどころか、けたけたと化物のように笑う。もう彼女が纏う雰囲気に、先程までの美しさなど、微塵も無かった。







「さて、その体で其方は何ができると言うのかのぅ。………どうせ、死にゆく身のくせに」







「分かってるよ……!!もう永くもないくらい、分かってるさーーーーでも、お前だけは捨てておけない……!!!」







「へぇ。まだそんなことを言う気力はあるのか。そりゃ、失敬。侮り過ぎていたみたいだの」







「侮ってくれるなよ。…………なぁ、狐ーーーいや、今は敬意を払おうか。天狐の…弥葛」







天狐。妖狐のうちでも遥かに位が高く、その立場は神の領域までに到達すると言われている。それは時に善にもなり、時に悪にもなるーーーー。人をはるかに凌駕した、異形の様。







御室の唇が弧を描く。すると静まり返った中、薬売りの膝の上で転がっていた退魔の剣が………かちり、と、涼やかな音を立てて歯を鳴らした。つまり、その音が意味するのは。







物音ひとつとない空気の中、弥葛は突如肩を震わせる。そして、彼女は顎を仰け反らし曇天を見上げると、今度は空を劈き大地を穿つような鋭い声をあげながらけたたましく笑い始めた。







そのあまりの豹変ぶりに、安周の顔に恐怖が浮かぶ。もう、彼の前で美しく嫋やかな女を演じることすら、ないのだろう。笑い声が、雷雨を呼びそうなほどにも思える。







「やっぱり其方はただの旅芸人ではなかったか!はっ!!!私は泳がされていたと、言うわけなのだなぁ!!」







「泳がせていたのではないさ。いつ調伏しようか、狙っていただけよ」







「ちょ、ちょっと待て!!弥葛のどこを見て天狐だと言うのだ?!此奴はどう見ても、人ではないか!女の姿をしているではないか!!」







急に遮らんと叫んだ安周の声に、二人の女は同じように横目を彼にくれてやる。まるで鏡のように美しいが、潜むのは狂気と、獣のような美しさ。相反している。







その愛した二人に見竦められ、安周は一瞬言葉を飲み込んで怯む。しかし家臣の手前、彼はいかにもそんなことは信じない、というふうにまた言った。
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