書物
□化猫 二の幕
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「おい、酒がないぞ」
空気が読めないのか否か。空になった土瓶をみやり、伊國が苛立ったようにいう。ーーーおい、といいかけて、御室はつい口を閉ざした。
誰が行くものか。行きたくなどないだろうに。が、伊國は他人の都合など知ったことではないらしい。ーーーさと、と、脇に控えていたさとの方をむいた。
ただいま。ふるえ怯える声色で、さとが答える。がーーーそこで立ち上がる彼女ではない。さとは加世に振り返ると、半ば押し付ける形で口を開く。
「加世、早く御酒だよ!場所は分かっているだろう!」
「わ、私嫌です!ーーー頼まれたのは、さとさんなのに……」
ーーーだろう。御室は呆れ返ったように笑いながら、立ち上がる。と……彼女の隣で、薬売りも立ち上がった。
何処へ行く。小田島が、薬売りにだろうか。厳しい口調で問えば、薬売りは傍らの薬箱をよいしょと背負いながら、彼に振り返った。
「塩がいる。ついでに、酒を持ってこればいいんだな」
「勝手に動くな!」
「やつはまたくる。その前に手をうっておく」
薬売りは、なんともなし言うが………未だ薬売りを信用していない小田島にしたら、大問題なんだろう。あれやこれやと喚く。あぁ、はいはい。御室は溜息を吐く。
小田島、お前も来いよ。御室が冷たくいい放てば………小田島はゴクリと息を飲み、何か覚悟を決めたように頷いた。ーーー本当のところは、怖いらしい。
存外小田島は怖がりらしい。薬売りが躊躇いもなく襖に手をかければ、肩をはねあげ、恐る恐ると言った様子で、廊下を見上げる。
私も行きます。ーーーー加世が立ち上がれば、小田島、加世、薬売り、そして御室が……四角を書くようにして列をなし、厨に向かうことになった。
「さて、行きますかね」
どこまでも呑気な薬売り。彼はいつの間に屋敷の勝手を覚えたのか、迷うことも振り返ることもないまま、土間に向かって歩を進める。
まさか、毒をーーーと薬売りに啖呵を切りかけた小田島の脛に蹴りを入れて、御室ははぁ、と何度目かの溜息を虚空にはいた。
「塩と酒ごとき、何故四人もーーー」
「御室様も、お塩を取りに行くんですか?」
「いや……私は神酒が欲しいだけだ」
加世の問にそっけなく答えた御室に、薬売りが振り返る。そして何が興味深いのやら、ほう、とその青い瞳を細めた。
ーーー何が、いいたい。
目線だけは何かを言いたげで、だが口では何も言わない薬売り。自分に向けられる好奇の目線に、御室は眉をひそめる。
ーーーが、何故好奇の目線を向けられているのかは……言うまでもない、怪事に御室だけが、真摯に立ち向かおうとしているからだろう。
彼女から言わせれば、急に現れた薬売りのほうが特異なのだが……類は友をなんとやら、だ。これも何かの嫌な巡り合わせに違いない。
「私が行きます。竈の奥に、ありますから。あと、それと………待っててくださいね」
「大丈夫だ」
顔を引きつらせて上目遣いで見上げる加世に、小田島がしっかりとした声色で答え、力強く頷く。
御室はその様子に、前髪の奥で意味深に笑うと、神棚に手を伸ばして神酒を取ろうとした。が……まぁ、女子の彼女に届くはずもない。
あれ、うむ、おかしいなーーー。御室がうんうんと首を傾げるも、指先は愚か、爪の先すら神酒の瓶に触れていない。もう少しなんだが……と御室は眉を寄せた。刹那。
横から伸びてきた薬売りの手により、神酒はあっさりと御室の手元に渡され、薬売りの手が、御室の肩から力を抜かせる。
「届かないなら、届かないと言えば、良いのですよ」
「おお、すまんな。ーーーおや、薬売り。塩は?」
あいつに。薬売りが指差した方を見れば、小田島は塩の壷をまるまる持たされ、重さにうなっている。ーーーなんだか、面白い光景だ。
「お、おい!どこに行く!」
「ーーー手を打つと言ったろ」