書物

□海坊主 一の幕
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魍魎跋扈。海とはまこと恐ろしく、水底に眠る曾ての念は数知らず。いざや、弔えや。








海は果てなき匣である。船はゆく。怨念の水底をかき分け、くらりくらりと、北へ、南へ。東へ、西へ。








さてしも集しこの怨恨は、迷わせ惑わす虚ろなる船。沈む祷りを捧げてもなお、柱となりし無念は消えず。








誰が船を迷わせ誘うものか、知らず存ぜず人は怯える。あなおそろしや、海とは怨念つまる匣、墓場。









「盆の十五日には決して漁に出てはならない。………というのが、その港の決まりであった」








江戸に続く海。千代紙を切って張り付けたが如く、金襴緞子な船は廻船「そらりす丸」。名前からして珍妙だが、造りもなかなか珍妙である。








潮風吹き抜ける船内、扇を広げまるで歌舞伎役者のように語り語る男。修験者の類であろう。じつに話術巧みだ。








それを聞きながら、流行りの黄の着物を着た少女ーーーー加世である。加世は先が見えたと言わんばかりに、偉そうに語る男の言葉を遮ろうと手を挙げた。が。








「言われるがままに船幽霊に柄長を渡したという。船幽霊の要求に………」







「答えてしまった漁師の船は、柄長で水を汲まれ沈み、自らも船幽霊となってしまった……そうですよね?」







「むっ、だ、誰だ?」








加世が遮るよりも早く、この場で話を聞いていた誰でもない少女の声が、それを遮る。やや低めの、甘さを抑えた…えてして艶のある声。男は辺りを見渡す。








が、その特徴的な声をーーーー加世は、よく知っていた。いや、その階段脇から見える、鮮やかな加賀友禅。そうだ、あれは間違いなく………。








加賀友禅のその人の名をつぶやく。誰にも聞こえやしない。男は気づいてすらいないだろう。そんな彼を笑うように、加賀友禅がゆっくりと動いた。








「流石は柳幻殀斉様。船旅には相応しい一編でございます」







「な、なぜ身共の名を…!?んーー?貴殿はーーー」







どこかで身共に会ったのか?そう問うより早く、加賀友禅がゆっくりと近づいてきてーー唖然とする一同の前に、姿を見せた。








結われた艶やかな黒髪。異人のようにくっきりとした目鼻立ちに、浅葱色の瞳が勝気そうに輝いている。笑う唇。あぁ、あの姿は。紛うことなきーーーー。








「御室………様……?」








一日たりとも忘れたことがない、御室その人であった。
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