書物
□蛇神 一の幕
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巳の神は水の神。崇め敬い、ここに畏れよ。巳の神に、逆らってはならぬ。畏れ生き、ともにあれ。
巳の神は、福を呼び禍を刎ねる。巳は殺すな。祀りあげて祷れ。我幸福と、繁栄の為よとただ祷れ。
巳の神は憎い者すら絞め夷す。恨めしきと思わくば、崇め祀れ。必ずや、巳の神はーーーー。
「蛇、とな」
「蛇が、どうしたのです?」
「蛇は神とも言われるようだな。大和の三輪山がそのようらしいが」
唐突に蛇が、と言い出したかと思えば、御室は宿の一室で筆を持ち、なにやら書きながら薬売りに向かって言葉を紡いだ。
蛇はみと読む。水をみと読み、昔から農耕の神だ。ーーーーいいながら、さらさらと筆が紙を滑る小気味のいい音。薬売りは、というと………煙管をやるだけである。
御室はやがて筆を置き、よし、と紙に染み込んだ墨をふうふうと乾かすとーーーーそれを契って、自分の懐にしまい込んだ。
「蛇は農耕の神であり、金銭の神だ。ありがたいものだな」
「………しかし、扱いを間違えれば」
「それは手に負えぬ邪の神となる。薬売り、お前は中々賢いじゃぁないか」
それは褒めているのか、今まで嘗めていたのか。それは嬉しいね、と言いながら、薬売りは御室を抱き寄せ、自分の腕に細い体を収める。
はじめのうちこそは、御室は抵抗したものの………今となっては、こんな突然の行動に慣れてしまったらしい。されるがままに、薬売りの胸板に顔をうずめた。
それで、今回は何が?ーーーー薬売りが、退魔の剣がある薬箱横目に問う。ガチャガチャと何かが動く音に、御室は浅葱色の瞳を細めてーーーー。
「まさに蛇神だ」
と、一言だけ言い切った。ーーーーどうやら、先程の会話と今回の件は、彼女の中では繋がった会話であったらしい。回りくどい。
蛇神。それがどのような被害を及ぼすのかはーーーあまり、文献はない。ただ分かるのは、元はなんてことはない、農耕の神であったということだ。
動物を神格化し、崇めるのはよくある話だがーーーー人というのは醜い生き物で、あわよくば自分の欲望すらも叶えてもらおうとするらしい。
その欲望をされるがままにその身に託せば、どうなるか。ーーーーあとはまぁ、言わずもがな、と言う所であろう。
「さて、薬売り。今回のは厄介だぞ。早く片付けてしまおう」
「はい、はい。………お前も、早く寝たいだろうから、ね」
「言ってくれる」
二人はようやく体を離し、よいせ、と立ち上がる。そしてーーーー会話もそうそう、勇み足で宿を出ていった。