書物

□傾城悪女 二の幕
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貴方がいない悲しさを、私はどうして受け止めようか。貴方が持たぬ温もりを、誰が持ってなどいるのだろうか。







貴方を守るためならば、私は毒をも仰いで見せる。貴方を侵す害があらば、私は毒にでも邪にでも姿を変える。そのために、私は生きている。







善良になどなれやしない。だったら私は毒に身を浸し、貴方を守る盾になろう。例え貴方の双眼が、私の姿をみなくとも。









心許ない燭台の灯りが、真夜中の城をほんのりと照らしている。鶯張りのように軋む廊下を歩きながら、御室は塑像のように冷たい無表情で前を見据えていた。







片手には銀の簪を握り締め、その握る指は力を入れるあまりにであろうか白くなっている。絢爛な友禅に身を包む彼女は、それには相応しくないほど全身を強ばらせていて。






こんな真夜中、しかも供の者もつけずに歩いていることがしれれば、殊に御室を気に入っている安周はなんというか。卒倒するかもしれない。







やがて廊下は城の奥深い空間に入り込み、燭台の灯りではもう、一寸先すら見えない。その壁は質素な土壁だけだから、すきま風が痛いほどに身をたたき、不気味さをさらに際立たせているではないか。







「……………」







御室は一瞬立ち止まる。しかし彼女は怯むことなく足を踏み入れると、なんと唯一の光源である燭台を床に置き、その身一つですたすたと闇の中に歩いていくではないか。







この先には何があるのか。真夜中に御室をーーー供の者もつけずに歩かせるほどの何かとは、一体なんだろうか。







と、今まで黙って前を向いていた御室の体が、右を向く。そして彼女はーーーー暗闇の中にまるで芝居小屋のように作られた木格子に指をかけ、唇を寄せた。







「………どうして、来た」






無表情の唇から漏れる声は、波立った水のように静かで、吹き荒れる嵐のようにかき乱れ。ひそめた眉に落ちた影を、ぼんやりと月明かりが照らす。そして……彼女の目線の先には。







今にも崩れ落ちそうな土壁に背を持たれ、格子窓から見える月を眺める男。後ろ手に縛られて自由効かぬ体ではあるが、それすらを感じさせない、無感情の横顔。







ーーーーー御室の声に、薬売りは顔をゆっくりと彼女に向ける。しかし彼はその問には答えず、良いのですか、と半笑いのように唇を歪めてみせた。







隈取鮮やかな瞼が、御室を射抜くように細められる。すると彼は急に喉を鳴らして笑いだし、地面すれすれをゆくような低い声でまた、とうた。







「良いのですか?ご城主に内密で、罪人と会ったなどと知れれば………」






「それはどうでもいい。私はお前に聞いているんだ。………何故此処に来た。何故城に押し入るような真似をした」







「さぁ、どうしてだかねぇ。………忘れて、しまったよ」






「真面目に答えろ…!!私は怒っておるのだ!!」






キィン……と土壁に声が反響する。屋根に巣を作ったらしい蝙蝠が羽ばたく音と、ふくろうの声。冷たい空間に染み入り、両者の耳を穿つ。
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