書物

□傾城悪女 大詰め
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「私はこの為にここに来たんだ。今更手ぶらで帰れないね」






御室が弥葛をまくし立てる。弥葛は…………あげていた顔をふっと彼女に向けると、唇をすっと音もなく一文字に結び、また刹那には狂気の微笑みをたたえた。







やっぱり、ただの旅芸人じゃあなかったの。ーーー彼女は言った。声は甘やかで涼やかな、何時もの美しいそれなのに、その奥底には例えようもないような暗闇が口をあけているようで。







御室はふん、と小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、安周と弥葛を交互に見やる。安周は何が何だかさっぱり分かっていないらしい。寵愛する二人の女のやりとりを、ただ見つめているだけである。







だがそのやり取りさえも、普段の穏やかなものではないのは一目瞭然。彼の口からは泡が吹き出るのではないかと言うくらい、驚きのあまりかパクパクと唇を動かし空気を咀嚼していた。







その城主とは思えぬ哀れな様に、御室は鼻頭に幾重にも皺を作る。波斯猫のような影のある表情に見つめられ、民衆の空気は一気に冷え込んだ。







「私がどうして此処に来たかって、ひとえにお前……弥葛をどうにかする為だよ。何故かは、お前自身がわかっているだろう?」







「さぁ………知らないのぅ。私には何のことだか。ねぇ、安周様?」







「あ、あぁ………俺も知らん……」







急に甘えるように猫撫で声で話をふられ、安周はふと我に帰る。その心ここにあらずな返答に、御室は白い指で弥葛を指さし、それだよ、と嘲笑まじりに言った。







「ことに何かあれば安周様安周様と、散々に好き放題しておいてな。よもや知らんとは言わせん」







「し、しかし御室……此奴は……」







分からぬか。ーーーー弁解しようと口を開いた安周を遮り、御室が今にも牙を剥きそうな声色で言う。静寂は張り裂け、空はまた雲に光を隠された。完全な、灰色に染まる。







見えぬ話に解せぬ顔をする皆と、全てを知った上でか、狂気混じりの美しい笑みを浮かべる弥葛。そしてーーーーそのためにここに来たと、罪人を解放する御室。語らぬ、薬売り。







不可思議の材料がこれ程に揃った空間で、それでも話の糸は複雑に絡まり合う。それを手繰り寄せ明らかにするのは…………今此処にいる、御室の役目なのだろう。







全てを映す浅葱色を細め、彼女は弥葛に牙を剥く。君子豹変、今や猛々しいまでに勇ましさ溢れる彼女の口調は、古の英雄もまたしかり、だ。







分からぬか。………もう一度、御室が問う。沈黙は許されない。安周はひどく怯えた表情のまま、ゆっくりと首を横に振った。すると、彼女はまた鼻で笑う。眉を寄せる。






「のうのうと暮らすだけの安周様はしらんだろうがな、お前がこの弥葛を城に囲い花よ蝶よとあれこれし始めてから、この国は貸し金まみれだ。隣国にも二百両は借りている」







「なっ………馬鹿なっ!この国は、そんな、そんなーーーー!!」







「因みにお前が軍事同盟を結んだ国からも、それぞれ五十両は借りてるぞ。どうだ。近頃遣いを送ってもろくに相手にされないのは、貸し金を返さぬから見限られたのだろうよ」







全てはな、お前が弥葛に与えたが故だ。ーーーー御室が言う。何も知らず酒池肉林を極めていただけの安周は………もちろん、そんなことを知るはずもない。城主が故の世間を知らぬのだ。







そうなのか、と安周が縋るように傍にいた三浦に問えば………彼は一瞬戸惑ったものの、頷いて唾を飲む。それが意味するのは、勿論肯定ということでしかない。







頭を抱え困惑する安周とは裏腹に、弥葛はこう名指しをされても全く動じない。しかしその顔からは血の気が完全に伺えず、無機質なばかりの白い肌に、無機質な表情が痛々しいくらいだ。






まだあるぞ、と、御室が薄く歯を見せて笑う。すると、隣で黙っていた薬売りが初めてくっくと喉を鳴らして笑い、それきりまた動かなくなった。ーーー彼が何を可笑しがっているのかは、誰にもわからない。
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