書物弐

□この手からすり抜ける
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満月が浮かび、春の光が降り注ぐ。照らされた桜の花は、あまりにも美しく、どうしようもなく眩しい、残酷なほどに輝いていて。







桜ーーーー。御室の唇が、微かにそう紡ぐ。こめかみから流れる血の筋。そちらこちらについた血や傷跡は痛々しく、彼女の瞳はもはやどこを見上げているかも、分からない。







御室は月を見上げて呟くと、次に折った膝の上に目を向ける。ーーーーそして、横たわる薬売りと僅かに目が合えば、彼女はふっと口を閉ざした。







薬売りの左胸からは血がだくだくと溢れ出ていて、御室の友禅や草の褥を濡らしている。それを月明かりが照らしている様は、まるで春に似つかわしくない。







彼はもう光が消えかかった瞳で御室のほうへ目を遣ると、薄ぼんやりと自分を見下ろす彼女に、青白い唇で言葉を紡いだ。







「………御室…知って、いたのでしょう………?私が、……この日を最後に、いなく、なる……そのことを………」







「……………あぁ」







「ふふっ………お前の瞳は、…なんでも、映してしまう、のだな………」







「……………そうだ。なんでも、映してしまう」







月夜の夜。どうしてこうなったのだろうか。彼はモノノ怪を斬って、成すべきことをなして、ちゃんと役目は果たした筈なのに。







私なんかを、庇うからーーーー。つぶやけば、浅葱色の瞳からは涙が出そうになる。モノノ怪から御室を庇うために、薬売りは深手を追って………そして、今にも消えそうな命を繋いでいる。







彼女は知っていた。薬売りがこの日で自分の目の前から消えてしまうことも、それが自分を守った故であることも。避けたかった。生かしてあげたい。助けてあげたい。そればかり、考えて。







けれど…………その瞳に映る未来だけは、決して避けられない。気が狂いそうになった。どうして、死んでしまう事を分かっていて、笑っていられる?どうして、行かないでと言える?どうして………………。







「死ぬのが、私だったら良かったのに……………」







裁きを受けるべきは、罰を受けるべきは、薬売りではない。ーーーー彼は必要なのだ。入り混じる闇と光を隔てるために、絶対に必要な存在なのに。







そんな彼は、御室の腕の中で死んでしまいそうで。悲しい筈なのに、涙の一粒も出せない自分を………彼女はこの上なく、殺してしまいたくなった。
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