書物弐

□貴方が居ないなら
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無機質な白塗りの壁に設えられた窓から、夕暮れの空が見える。ゆったりとたゆたうひつじ雲と、山に帰ってゆく鳥。温かみなくそこにたたずむ電柱。







そのもの悲しさを誘う空を見上げ、少女は薬の入っていた空瓶を手のひらから落とした。劈く音と、床に広がるはへん。それ以外に、空間にものはない。壁と同じ真っ白な床に、硝子が散らばって。







薬があったことを示す紙の説明書が、虚しくも部屋の隅まで飛ばされる。そこに薬はあった。買ったばかりの薬は………今はもう、少女の胃の中にでもあるだろう。







使用量は明らかに超えた。並々と水が注がれていたはずのマグカップには、欠片ほどの雫も残されていない。………あぁ、胃が痛いのは気のせいか。少女の切れた唇から、乾いた笑いが溢れた。







黒いノースリーブから覗く腕や手首は、すでに傷跡と真新しい傷の混在によって、元の肌の色すら分からないほどになっている。ただ見えるのは、赤い傷口と滴り落ちる血。







闇に溶けそうな黒いワンピースが、夕暮れの光に反射する。それと全く同じ、漆黒の長い髪は、もう手入れすらされていないらしく、ほつれからまりは当たり前、少女が自分で切ったのか、おかしな形に切られてすらいる始末。







壊れた美しさ。ーーー少女の一つ一つは美しい。だけどそれを全て台無しにしているのは、彼女の心に生まれた虚無感と、耐え難い孤独の風だったろう。







一週間前までは、彼女は笑っていた。楽しそうに、嬉しそうに。生きている意味など分からなくても、さして死にたいなどと思うことはなかった。それはーーー隣にいつも、「彼」がいたから。







名前も、生まれもしらない彼。どこから湧いて出てきたのかも怪しい彼。しかし彼は紛れもなく少女の支えであり、なくてはならない存在であったのだ。……今はもう、その彼は。







ーーーーここには、いない






くふ、という謎めいた自嘲の笑が、少女の口から溢れる。飲み干した薬によって洗われた口の潤いは、幽かな匂いや温もりすらも洗い流してしまったのだろう。







「………何してるんだろうな、私」






あの人はもう、こないのに。ーーーー来ない背中を待つくらいなら、自分が此処から居なくなる。待つ寂しさを味わうくらいなら、死んでさえも寂しさから逃れたい。







彼女の血でこの真っ白な部屋が赤く染まれば、彼は少しでも悲しんでくれるだろうか。居なくなった自分を責めてくれるだろうか。………それだけで、幸せ。
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