書物参

□奈落に堕ちる
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「この屋敷には、何かがある。身重の女と、座敷童子………なにか、ご存知ありませんか」




薬売りさんは女性に聞いた。けれど、何も言わない。男の人も男の人で、絶対に何か隠しているのに、どうしたって口を割りたくなさそうだ。……この沈黙が、なんだかとても気持ち悪い。




よしよし、痛た………女の人は背中をさすっている。こんなに寒い部屋に布団一枚だけで床に座って、母体に良くない。……けどどうしてあの天井の死体は、ここにいたんだろう。私がちらりとだけ見たのが正しければ、刀が床に落ちていた。──女の人のものには、思えない。




あの───と、おずおずと手を挙げる。薬売りさんも女性も皆が私を見た。その眼差しが、小学校の時に授業で当てられた時に似ている。すごく居心地が悪い。私は袖の下で指を組みかえながら、恐る恐ると口を開いた。




「あの、死んだ人………何か理由があってここに来たんですよね?………ここにいる誰かに会うために、この部屋に来たと思うんです──」




「っ……………」




女の人が僅かに目を見張った。それは多分図星で、この人は何かがあって何らかの理由で死んだ人と顔見知りで、刀を抜かなければいけない理由がある。………私の発言に、薬売りさんは顎に手を当てながら、女の人に振り返った。




「殺された男、知っているのか───」




女の人は手ぬぐいをぐっと手のひらで握った。顔が青白くて具合が悪そう。………けどどうして、妊娠した人がひとりきり、旦那さんも誰も一緒じゃないのに泊まりに来たんだろう。私は医者でもないから詳しくはない。けど、お腹の張りを見て、結構な月齢なんだろうな、と思った。




わなわなと唇を震わせていた女の人が、やがて眉根に皺を寄せて薬売りさんを見返す。───母は強し──そんな言葉が、ふと脳裏に浮かんだ。子供ができるとね、お母さんってなんでも出来ちゃうのよ。……そう私に笑いかけた、母の顔が蘇る。




「………あの男、直助といいます。殺し屋です。───私と、お腹のややを殺すために…」




「誰が」




「………大旦那様と、大奥様が」




「どうして」




「…私と、若旦那様の間にできたややこだから………」




「許されない」




「関係でした」




薬売りさんの淡々とした口調につられて、女の人が答える。大旦那様、若旦那……子の時代の人間じゃない私には分からないけど、きっと身分違いの恋、というものなんだろう。




そんな────口からつい声が漏れた。私がいた時代には自由恋愛だけど、きっとこの時代はそうじゃない。身分が違う人間との恋愛は、許されないはず。………あんまりだ、そんなの。私はつい女の人を見た。




けれど、と、がなるような口調で女の人がさらに捲し立てる。きっとこの人にはずっと我慢してきた、気持ちがあるんだろう。……たった一人、お腹の子供を守るために。




「一度は許していただけたのに、それがっ、突然駄目だなんて……!!!」




「まったく、分からないねぇ────」





女性がぽつりと呟いた。それが何だかとても冷たい、同じ人間とは思えないほどの声で。………私はついその老いた横顔を見た。女の人のことを、まるで分かり合えないと言いたげな表情で見ている。




「私はただっ……産みたいだけっ!!!」





ドォン───と、地響きが鳴り部屋が揺れる。もう何がどうなっているか分からない。私はついつい、薬売りさんの名前を呼んでしまった。本当に怖いのだ。………それはモノノ怪が怖いのも、そうだけれど。




私に見えた子供、私に聞こえた声。───私は妊娠なんてもちろんしていない。けれど見えて聞こえたのなら、座敷童子はわたしを通して誰かに何かを、伝えようとしている。………その底の見えない真実が、怖いのだ。




薬売りさんは卓上から私を見下ろすと、相変わらず無表情ではあるけれど──ほんの少しだけ優しい声音で、私の呼びかけに答えてくれる。




「桃さん。……先程差し上げた札、持っていますよね?」




「っ……は、はい!持ってます…!」




「極力あなたを私の目の届かない所にやりはしませんよ──だから、持っておきなさい」
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