書物

□化猫 一の幕
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「理由は聞かないで欲しい。小田島。頼む。お前と加世には、せめて生きて欲しい」




彼女は、切羽詰った声色でそういう。だがーーああはいそうですか、と小田島も引き下がれるわけもない。




何故ですか。小田島は、もう一度御室に問うて、真っ直ぐな視線をその浅葱の瞳に向ける。理由もなしに、坂井を離れることは出来ないからだ。




………小田島の強い視線に、御室はつい、と彼から視線をそらし、言葉を選ぶように宙に目線をやる。浅葱の瞳が、あちこちにぐるりと回った。




「……恐らく明日、真央様は死ぬ。坂井の血筋は途絶え、事実を知るものはーーー誰も、居なくなる」



「な、亡くなるってそんな…!!」



「俄には信じられんだろう。だがな、小田島。……私に見えるということは、それは避けられんことだ」




そうだ。いきなり仕えているお家が断絶するなんて言われて、小田島は信じられるはずもないし、信じたくもない。だが………彼女にしか見えないもの。それは未来であり、絶対だ。





そんな、馬鹿な。小田島は、御室が何も悪くないとはわかっていても、つい彼女の発言に拳を握り締め、歯を食いしばる。すまんな。彼女は、悲しそうに眉を寄せて小田島に謝った。





分かっている。御室は、何も悪くない。ましてや、坂井のお家断然を敢えて避けなかったなんて、そんな真似はしないだろう。……彼女の切なそうな表情が、それを物語っている。





しかしそれでも………小田島は分かりました、という気にはならない。彼は御室の細い手首を、彼女の緋の留袖ごとがっと掴む。





「御室様。ご隠居様と、お話をしましょう。明日の輿入れはやはり取り消しだと。貴女が言えば、きっと……」



「それは何度も考えた…!!!だが……無駄だ」





「無駄だなんてーーー何故ですか…!?」




やりきれない思いをぶつけ、ついお互いに語尾を荒らげてしまう。はっと気づいた御室は、すまない。と小田島に謝ると、うつむいた。





ーーー小田島には、先のことなんて何も見えないし、わからない。だが、見えるが故の御室の苦労をも、同時に知らないし、わからない。




自分はただ、明日という悲劇さえ避けられれば、それでいいのだ。後はどうにでもなる。ーーーなんとしてでも、坂井は守ってみせたい。





が、その術すら御室に無駄だと言われた今、自分には何ができるだろうか。答えは………何かできるはずも、ない。彼は所詮、一端のお仕えでしかないのだから。




「……明日という日を避けたとしても、いつか輿入れが来れば、運命は同じだ。血筋に流れた恨みは、どうもできない。ーーーすまないな、小田島。私はどうも、未熟なようだ」




「俺に謝るなら、ご隠居様に輿入れのことを…!!」




「話してどうにかなるなら、話している。ーーーどうにもならんのだ、これは」




御室のその口調は、冷静そのもの。だが恐らく、彼女もこの事実を受け止めるには堪えるのだろう。悲しげに寄せられた眉が、それを物語っていた。




二人とも、策もなく、互いに言えることもないまま黙り込む。黄昏から夜更けに変わろうとする空は、容赦なく彼らを闇に包み込もうとする。





すまないな。御室は何度目かの謝罪を彼に向けて述べると、やはりやりきれない表情を浮かべたまま、自嘲的に笑ってみせた。





「私も、最善策の限りは尽くして見せる。だが、小田島。加世にもそう、実家に帰る手はずを済ませておいてやってくれ。救える命はーーーすくいたい」



「御室様」




「もう、ここまでで良い」




何か言おうとした小田島を遮り、御室は彼に背中を向け、二三歩夜の気配を漂わせた道を、ゆっくり歩き出す。




そして立ち尽くす彼に振り返り、やはり何度目かの謝罪を述べて眉を寄せると、溶けるように道の向こうに消えていった。
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