書物

□恋慕 大詰め
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なんと言っているのか、分からない。辛うじて最初の方は「あっきらせつ」と言っていることがわかるが、それ以外はまるで理解し難い。








が、御室の瞳がにんまりと細められているのを見て……少なくとも良いものではないと、ぼうっと立つ薬売りにも理解ができた。








パン、と小気味のいい音がなり、御室が扇を手で叩く。刹那であった。ーーーがり、がり、と、部屋の四方八方から、何かで引っ掻くような音が聞こえてくる。








そうそれは……ちょうど、人が爪で襖を引っ掻いているようなーー悪さをして閉じ込められた子供が、此処を開けてと、引っ掻いているような………。不安に駆られる、音。








あそこを見ていろ。御室が部屋の隅を指さす。そこにはーーー何のためか、細かな細工の施された煌びやかな鏡台が、ひとつ。








水銀一つ隔てて世界を映すそれに、薬売りや吉衛門の姿が映り、やがてーーーーそれは急に、寒天やこんにゃくのようにぐにゃりと屈曲した。








ひっーー吉衛門のものだろうか。小さな悲鳴が聞こえる。こんなものじゃあ、ないぞ。ーーー御室が笑えば、屈曲した鏡からは……突如、人の手のようなものが這いずり出、血まみれのそれが鏡台に跡をつけた。








『吉衛門、様………吉衛門、様………』







「やめてくれぇぇ!!!やめろ、来るな!!!」








ずるり。両腕が鏡から出て、つぎに人の頭が出る。血まみれの、その顔は……元は端正であったろうが、今では見る影もなく歪んでしまっていた。








派手な着物。作りの粗さ、目の粗さ。確かに見覚えがあるそれに………吉衛門はガクガクと身震いをし、尻で後ずさる。








『吉衛門、様………どうして…どうして…』








「墓は立ててやっただろう!!!来るな!!!」







ずるり、べちゃり。やがてゆっくり時間をおいて、鏡からは血まみれの少年が姿を現し、畳や鏡台、数多に血糊をべちゃりとつけながら、四つん這いで吉衛門に歩み寄る。








来るな、来るなーーー!!!恐怖のあまりだろう。あられもなく叫び、つばを飛ばす吉衛門。だが、『少年であったもの』は……怯むことなく、べちゃりべちゃりと歩み寄る。








吉衛門、様………。悲痛なつぶやき。到堪れなくなり、薬売りが御室に目線をやれば、あれが真であり理だ、と、彼女はわざと薬売りの意思を汲み取らず答えた。








つまり、御室は最初からこうするつもりだったのだ。分かっていて、こうするつもりだったのだ。ーーーー本当に、彼女は何者なのか。薬売りには、分からない。
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