書物参

□奈落に堕ちる
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私はその言葉に、少しだけホッとした。……大丈夫。何かあっても、薬売りさんがくれた御札がある。私は何も出来ないし不思議な力も持っていないけど、全くの丸腰じゃないと思えば、安心できた。




あぁやだやだ、と女性がうんざりしたように声を上げた。額から伝うほど汗をかいて、何か隠しているようにも見える。───他人事を装っているけど、きっとどうしてそうなったのかのきっかけは、この人が持っているような気がする。




「モノノ怪だろうが、妖だろうが──この屋敷に何かあるなら………出ていけばすむ話じゃないか」



せせら笑って障子を勢いよく開けた。が………その先に続いていた光景に、私も女性も皆が目を見張ってしまう。




「えええ!?ろ、廊下………何処にっ……!」




さっき私と薬売りさんが駆け上がってきた階段、廊下………あったはずのそれらが全くなくて、ただ続いているのは、いま私たちがいる部屋とそのまんま鏡写しの景色が、どこまでもどこまでもあるだけだった。




出れない…………私は思わず口に出してしまった。この部屋からは、誰も出られない。────私の発言に、薬売りさん以外のその場にいる全員の顔が真青になる。どうなっているのか、それは分からない。




どぉん────と、建物全体が揺らされているかのような轟音。薬売りさんの足もとに、私の足元に、あの達磨が転がっている。女性と男の人には、いつの間にそこに居たのか、たくさんの子供たちがしがみついていて。




「きゃっ………!!!」




「───何?!」




思わず悲鳴をあげた。薬売りさんが驚愕の声を出す。女の人の目の前には、私の部屋に迷い込んできた子にそっくりな、小さな子供がたっている。




いったいどこから?!────私の視線はそこに釘付けになった。何かが起きている。そして今から、何かとても良くないことが私の身に降りかかるのが何となく瞼の裏に予想出来て、もう怖くて体が動かなかった。




「おっかぁ」




子供が口を開いた刹那。そこに立っていられないような衝撃が部屋を揺らす。卓から飛び退いた薬売りさんが、私に手を伸ばしてきた。掴める、あと少し、あと少し………。私の指先が、薬売りさんの指先に触れた。が。




「桃さん───!!」




「く、薬売りさんっ………」




掴むことは出来なかった。見えない何かに阻まれたように触れた指先が再び離れて、姿が遠くなっていく。ジェットコースターのように。いったいどこに連れていかれるのか、どうなってしまうのか分からなくて、私はつい後ろをふりかえった。




…………自分の目を疑った。そこはさっきまでいたあの豪奢な部屋ではなくて、冷たい石造りの、なんだかとても居心地の悪い場所だった。壁や天井は寄木細工のように独立した箱のようなもので出来上がっていて、真ん中には人ひとりが寝転がれるくらいの石の台が、ひとつ。




あの衝撃で気を失ったらしい女の人が、眉に皺を寄せて眠っていた。その台の下にはなみなみと水がはられていて、ときおりぽちゃん、ぽちゃん──と、水滴の落ちる音がする。




「ここは………???」




私は部屋を包む生臭い血のような匂いに思わず鼻を覆った。障子を開ければすぐ通路があって、もうひとつ部屋がある。───何がどうなっているんだろう?私はどうしようもなく不安におそわれ、思わず唇を噛み締めた。




「ひぃぃぃぃぃ?!?!」




と、女の人の悲鳴にビクッと後ろを振り返ると、彼女の大きなお腹の傍らには、達磨が添い寝をするかのように転がっている。───女の人はどて、と床に倒れ込んで、それから私の方を見た。




ここは………??───問われたが、私にも分からない。首を横に振ると、彼女はお腹を抱えながら居住まいをただし、困ったように辺りを見渡す。どうして、私と女の人だけが、ここにいるんだろう。




「あの………ごめんなさい。私、薬売りさんみたいに、モノノ怪に詳しくないんです」




「?あ、えぇ………構わないわ。あの人と知り合いなの?……お名前は?──私、志乃といいます」




「桃、です。………ここ、どうにかして出られないんでしょうか──」




臭い───志乃さんは顔を顰めた。私が感じていた匂いを、どうやら志乃さんも感じていたらしい。全方位不思議な部屋と廊下に囲まれたこの空間は、いったい宿のどこに位置しているのだろう。
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