書物参

□宵闇に堕ちる
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私の浮かせた腰は誰かに腕を強く引っ張られ、そのままぐらりと後ろに揺らいだ。あ、と声を上げる間もなく口元を手ぬぐいのような薄い布が邪魔をする。その圧倒的な力に押され、私は半ば引きずられるように誰か数人の腕の中に抱え込まれた。




何を────?!抵抗したいが、手も足も拘束されて言うことを聞かない。やだ、やだ、離してっ…………!!!!私は顔を思いっきり横に振って布を振り切ると、渾身の叫び声を喉から振り絞った。




「く、薬売りさんっ!!!!!」




私の絶叫に、薬売りさんが振り返る。何とかその背中にしがみつこうと手を伸ばした。助けて、お願い!!─────けれど私のほんの少しの力では、そんなものは何かを振り切るほどの力があるはずもなく。薬売りさんの目が見開かれる。こちらに強く1歩踏み出した。けど。




「早く運べ!!」




「薬売りさん、やだっ、やだぁぁぁっ!!」




「桃さんっ!!」




三者三様の声が物静かな闇に沈む宿場町に木霊する。私の顔を覆うようにもう一度布がかけられ上から掌で押さえつけられたのと同時に、私を抱えた数人はその場を物凄い速さで走り離れた。様子を伺うことも出来ないまま、無抵抗を強いられて。




風の音が耳に響く。薬売りさんのガランと重い下駄の音が離れていく。薬売りさんよりもうんと早い足音と、私を拘束する物凄い力に混乱して、私の目からは涙が溢れた。どうして、こんな目に遭わなきゃ行けないの。私が何をしたというの。……声が出せない。




私の顔を布越しに押さえつけている誰かの手にも、涙の感触は伝わっているらしい。声なきまま涙を流す私に、その声の主は………悪いことをしたな、と、男の人の声で上辺だけの謝罪を私に投げかけた。




「4日もすれば、解放してやる。………今は辛抱してくれ」




………何を?もう訳が分からなかった。視界も手足の自由も奪って、何をこれ以上辛抱しろというんだろう。縁もゆかりも無い宿場町で、こんなことをされる言われは私にはなかった。何も分からない。私の心に、薬売りさんの声が過ぎる。




『お守り代わりに、持っていなさい。どうしようもなく気分が落ちたときに、少しばかりは……その香りが、桃さんを楽にしてくれるでしょうから』




そうだ、匂い袋───なくしていないだろうか。あの物凄い衝撃で落としていないだろうか。あれが無ければ、私の心を支えるものがなくなってしまう。………さっきまで一緒にいた薬売りさんの声が、今はたまらなく恋しい。




薬売りさん、助けに来て────。私は無意識に願ってしまった。あの、無機質な動作の中にやどる温かさ。優しさ。………けれど、モノノ怪の仕業でもなんでもない中、彼に助けることができるんだろうか。──もしかしたら。そんな絶望が、脳内をゆっくりと犯していく。




思わず唇をかみ締めた。そんなこと考えたくない。きっと大丈夫、薬売りさんは助けに来てくれる。………今は信じていないと、心のバランスが一気に崩れ去ってしまいそうで。




ふと、足音が止まった。そのまま私の顔を覆っていた布が外され、景色が飛び込む。4人の男の人が私の体を仰向けに抱え、一様に前を見すえていた。周りは宿場町の奥入り組んだ路地のそれで、やっぱり人の気配はない。




下ろせ。───私の足を抱え込んでいる人が音頭をとると、視界がぐるりと回った。そのままとすん、と右隣の男の人の太ももに座らされる。………訳も分からずぼうっと前を見据える私の眼前には、立派な門構えの御屋敷が重厚にそびえていた。




門は開けられ、敷地内から女の人と男の人、数人がこちらを覗き込んでひそひそと何か話しをしている。……何を話しているかは、聞こえない。私は後ろ手に拘束されたまま、涙で震える声で訴えた。




「か、帰してくださいっ…………」




私の声に、背後で手首を握っていた力が強くなる。駄目だ。────そう無慈悲な声で言われ、私はまた泣いてしまった。誰も知らない。何も関わりのない人達にこんなことをされて、もう今にも気が狂ってしまいそう。………なんで、こんなことに。




私が嗚咽を漏らして泣いているのを見て、私を太ももに座らせている男の人がその涙を乱雑に布で拭った。辛いが今しばらく辛抱してくれ。────まるで寄り添うつもりもない声で言われても、なんの慰めにもならない。




辛抱できるならこんなに抵抗して懇願しない。そんなことわかっているはず。───この場で私の意見はないんだ。つい唇を噛み締めて絶望に打ちひしがれた。さっきまで匂い袋をもらって喜んでいた瞬間が懐かしい。遠い昔にすら感じる。




「佐兵衛様のご意向なんだ。───会えばわかるさ。あんたを悪いようにはしない」




その声と共に、私の体は座った姿勢のまま抱えあげられた。そのまま門をくぐり、屋敷の敷地内に入っていく。………あぁ、もう帰れない気がする。私は身をよじらせて、落ちても構わないくらいの勢いで足をばたつかせた。




「意味がわからないっ!!やだ、帰してください!!!!帰りたいの、私───!!!」




「無理だ。………俺たちも好きでこんなことした訳じゃねえ」




「やだ、やだっ!!!!なんで私がこんな、こんな目にっ………!!!」




「─────女。大人しくしておけば、あのお前のご同輩………薬売りとか言ってたな。あの男には何もしねぇよ」
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