書き物
□ヒカリ。
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「おい根暗!!!!!また電車かよ気持ち悪ぃ!!」
「電車オタクが伝染る〜〜」
───あっち、行こ。
「ちょっと!そこ私と友達で座るの!あんたはどっかいってて!」
「どうしたの〜?うわ、根暗……えーここ座るのやだよ〜」
───外でもいいや。
「痛っ…!」
「悪ぃ……ってうわぁあ根暗じゃん!ボール汚れた!最悪!!!!!」
ぎゃあ、ぎゃあ。
───どうしよう。居場所がないや。
じんわりと痛みが残る頬を、そっと右手でさする。
「…サッカーボールで良かった。」
ぼくは1人、本を開いた。
─── ヒカリ ───
ぼくの目に飛び込むのは鮮やかな車両。
電車の写真集は、ぼくが初めて買った、宝物。
どれだけ学校で虐められていても、この本さえあれば幸せになれる。
写っている電車は、名前も全部言える。
──ぼく自身の名前は、忘れてしまったけど。
どこに行っても根暗なぼくは虐められたし、友達なんて出来なかった。
母さんも父さんも、華やかで頭のいい兄さんばかり贔屓するし、兄さんはぼくと喋ってもくれない。
…それが、ぼくに赦された人生。
これでいいんだ。ぼくみたいな人間にはちょうどいいよ、こんな毎日。
──ん、雨?
本が、濡れちゃうな……。
ぼくの目から溢れる雫が本を汚していると気がついたのはしばらく後のこと。
神様になら、本音を言ってもいいのかな。
「…しにたい、な」
か細い声が、涙と一緒に、こみあがってきた。
小学生で死にたいなんて言ったら、きっと母さんは怒るだろうな…
でももうそれくらい、ぼくは人生に絶望してたし、何にも信用出来なかった。
1人、本を抱えながら、とぼとぼと帰り道を歩く。
その後ろでぼくを見てにやにやしてるのはきっといつものいじめっ子、かな…
「おい、根暗ぁ」
びくっ、と体を震わせると、その子はぼくにずかずかと近寄ってきた。
「…な、何かな…」
こうやって笑って誤魔化そうとしたって、どうせ。
「やっぱ女みてえ。気持ち悪い……」
そう言って彼は仲間たちとぼくを嘲笑った。
「…おい、それ何だよ?」
彼の指は、ぼくが大事に抱えている電車の本を指していた。
「あれさ、いつも読んでる変な本じゃない?」
「あいつ、あれしか友達いねーんだぜ!」
言葉が鋭く心に刺さって、ぼくは本をぎゅっと抱き締めた。
「…貸せよ」
手を目の前に突き出される。
「いやだ」
小さいけれど、初めて彼に反抗した。
それが聞こえたんだろう、彼は急に声を荒げた。
「貸せっつってんだろ!!!!!」
「いやだ!!!!!」
本を取られまいと抱え込めば、何度も殴られて、蹴られた。
最後には力の弱いぼくは、本を奪われてしまった。
「こんな本読んで、楽しいのかよ」
「……返し…て、よぉ…」
「その本無くなったらコイツ、ぼっちだぜ?」
仲間たちがにやにや意地悪く笑う。
そして、彼の次の言葉がぼくを絶望させた。
「こんなもん、破いちまおうぜ。」
世界が止まって見えた。
彼らが去っていった後には、散り散りになったぼくの宝物。
放心したようにかき集めても、バラバラにされた本はもう二度と、ぼくが空想の世界へ逃げ込むのを許してくれない。
「……ぁはは」
口から出て来たのは、涙の混じった笑い声。
「ごめんね、電車さん……」
ぼくは泣くより先に、笑いが来たことを不思議にも思わなかった。
「ほんとに、ごめんなさい」
にこっと笑うと、涙が零れた。
───死にたい。
心の底から、死を望んでいた。
紙屑になった本を拾い集めてから、さらに歩いた。
公民館の掲示板を、何気なく眺めた。
『SL記念走行』
大体こんなことが書いてあるポスターが、ぼくの足を止めた。
大好きな電車、ましてやSLが、線路を走るなんて。
ぼくは微笑んだ。
日付は明日。ぼくは決心した。
「これに、ころされよう」
大好きな、大好きな列車に。
天国に行けるかなんて考えなかった。
ぼくはあっちの世界で、車掌になる。
家に帰ると、母さんがぼくを叱った。
もう遅いし、何よりもぼくが汚れているから。
「そんなゴミ、どこで拾ってきたの!?捨てなさい!!」
その声がやけに遠くに聞こえた。
部屋に入って、ゴミ箱に本を捨てようとした。
でも、どうしても手が動かなくて。
仕方なく、机から大きな封筒を取り出して、その中に本の残骸を入れて鞄にしまった。
お風呂に入ろうと着替えを持って部屋を出ると、お風呂場から入れ違いに兄さんが出て来た。
「…ただいま」
兄さんは顔をしかめると、そそくさとリビングに行ってしまった。
そういえば最近誰にも、おかえり、って言ってもらってないな…
お風呂を終えて、独りで冷めたご飯を食べた。父さんや母さん、兄さんは3人で仲良くテレビを観てる。
クイズ番組は兄さんが得意なんだよな…。いっつもぼくは頭を抱えちゃう。
──ぼくは皆が大好きなのに。
誰も気にかけてくれやしない……
寂しい人生だったな、ぼく。
辛くなって部屋に戻り、布団に潜った。
「…明日は6時にここを出ないと。9時の発車に間に合わないよ」
ほんとの車掌さんみたいな、独り言。
ああ、明日には楽になれるんだ。
「…楽しみだなあ…」
ぼくは静かに瞳を閉じた。
「…ふう、間に合ってよかった」
ぼくは、踏切に寄りかかって安堵の息を吐いた。
鞄には封筒が入ってる。取り出して、切れ切れになった紙片を一枚、手に取った。
「今日走る列車は、君たちの知らない列車だよ。すごく貴重なんだ。君たちにも載ってなかったもの、知らないんだよね。一緒に見ようね」
紙片はひらひらと、ぼくの指先で揺れた。
周りがざわついた。どうやら列車が見えたらしい。
まだ発車までには時間があるから、きっとメンテナンスをしてるんだろう。
「…えー、線路に身を乗り出したり、手を伸ばしたりするのはご遠慮下さい。」
拡声器を使って、本物の車掌さんがぼくの目の前に来た。
「あの!」
勇気を出して声を掛ける。
「ん…?何かな、ぼく」
思った通り、優しい声。こんな人になりたいな、ぼくはそう思った。
「…ぼくみたいな、弱虫でも…あのSLの車掌さんに、なれますか?」
ぼくの質問が拍子抜けだったのか、車掌さんはぽかんとしていた。でもすぐに、微笑んでぼくの頭を撫でてくれた。
「私も、かつてはぼくみたいに弱虫でしたよ。でも、夢を捨てずに頑張って、今に至ります。SLの車掌にも、なれますよきっと。」
「…!ありがとう、車掌さん!」
ぼくに手を振ると、車掌さんはまた歩いていった。
と、同時に。
威勢のいい、汽笛の音が響いた。
SLの記念走行が始まったらしい。
ぼくの方に向かって、猛スピードで列車が迫ってくる。
あと10秒。9、8、7、6、5、4……
3
「何してるの!!!!!?やめなさい!!!!!」
2
「うわぁあ!!!!!早く戻るんだ!!!!!」
1
「キャアアアアアア!!!!!」
0
「…最期に見られて、よかった」
───車掌さんが何か叫んでる。
ごめんね、ぼく、どこで車掌になるか教えてなかったね。あっちの世界では、あなたのような人になりたいな。
…ありがとう。ぼくに最期の希望を与えてくれた人…。
身体中の骨がひしゃげる音がした。頭を線路に強打したけれど、痛みを感じる前にぼくは記憶を無くしてしまった。
───そのまま、視界が暗転した。
「初めまして」
ん、何だろう。声が聞こえる。
ぼくは閉じていた目を開けた。
何にもない白い空間が広がっている。
「だあれ?」
「…私ですよ」
突然、目の前に紫色の鏡が現れた。
こっちを見て、にこにこしている。
「どうして、鏡が喋るの」
鏡はぼくの質問には答えなかった。
「…驚いた。私を見て怯えない子供は初めてですよ」
鏡は目の前でお辞儀した。
「私はうんがい鏡。妖魔界と人間界を繋ぐ、鏡です。今宵、あなたをお迎えに参りました」
「…妖魔界?」
聞いたこともない。
「地獄のこと、かな?」
うんがい鏡はくすくす笑った。
「いえいえ!!むしろ天国ですよ!妖怪になってしまえば前世の記憶という呪縛も無くなりますし、夢も叶います!」
彼の最後の言葉が、ぼくの心を掴んだ。
「…ま、待って。夢が、叶うの?」
うんがい鏡は深く頷いた。
「…ええ。日夜問わずゲームをしたい、とある女の子の言葉の真実が知りたい、忍者になりたい、なんて、どんな夢だって叶います」
ぼくは声を大きくして言った。
「…だったら!車掌さんにして!!!!!」
「車掌さん?」
初めて、夢を声を大にして言えた。
「夢なんだ、列車の…特急列車の、車掌さん。ぼく、死んだんでしょ?生きてた時からの夢なの…お願い!」
懇願するような声に少し驚いた様子で、うんがい鏡は言う。
「運転手、ではなく、車掌さんなのですね」
ぼくが頷くと、ぱあっと笑顔を作った。
「あなたは本当に運が良い!!最近、特急列車が出来たばかりなのです!!!!!車掌さんがおらず、困っておりました!!!!!」
「本当!?じゃあぼく、妖怪になる!」
その言葉を聞いて、うんがい鏡はぼくの手を取った。
「嬉しい限りです!!妖魔界にごあんな〜い!!!!!」
辺りがぱっと眩しくなる。
そっと目を開けると、鞄からあの封筒が飛び出してきていた。
「…あ……」
紙片がくるくると舞って、元の本に戻る。
それを取ろうと手を伸ばせば、ぼくはもうだぶだぶの袖の制服を着ていた。
頭には帽子が被さっている。
「本当に、車掌さんだ…」
本はひとりでに鞄に戻り、跡形もなく消えてしまった。
再び辺りが眩しくなる。目を開けていられないほどに。
どれくらいそうしていただろう。
気がつくと、ぼくは駅のホームに立っていた。
看板には、『むこう谷』の文字。
「ここに立っていれば、列車が参ります。…うん、それ、似合ってますよ」
うんがい鏡がいつの間にかそばにいた。
「ありがとう、うんがい鏡!!ぼくすごく幸せだよ!!!!!」
今まで何をしていたか、全く覚えていないけれど。これを用意してくれたのがうんがい鏡だとは何となく分かっていた。
「…いえいえ、礼には及びませんよ。それより、ご自分を“ぼく”とお呼びになるのは、車掌として少々難があるかと」
うんがい鏡はぼくを諭した。
「“わたくし”…いいですか、それが妥当です。お客様の為にも、ご自分の為にも。そしてきちんと、敬語ですよ」
分かった、と頷く。
「私は、当列車の車掌を務めさせていただいております」
頑張って丁寧な言葉遣いをつくると、うんがい鏡は満足げな顔をした。
「一緒に行きますから、心配しないで下さい」
うんがい鏡がそう言うと、今まで来ていた電車とは全然違う、いかつい列車が目の前に停まった。
「行きましょう」
うんがい鏡の声に促され、ぼく……いや、私は、その列車に乗ったのだった。