腐った寿司

□キドチア『顕示欲』
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ぱら、パら、ぱラ。

外ではまるで燃えた紙片のような雪が降っている。段々積もり始めてきた。明日には溶けて地面が凍り付くのだろう。
窓のこちらがわでは、寒さを感じない自分と、恐らく同じような体質の彼と、2人きりだ。

此方に背を向けてなにやら薬品をかき混ぜる彼の、怪しいピンク色の髪が視界に入る。
先に結ばれた黒いリボンが愉しげに揺れた。

無感情で眺めていた画面では、自分よりも小さな女がしきりに同じ台詞を呟いていた。



「死にたい」「死にたいよ」「死なせてよ」…と。



死ぬ、という感覚も自分には掴めない。生まれたという実感が無い以上、終わりの実感も得ることはできないのだろう。
それらは互いに離れた所にあるものか、それともすぐ近くに迫っているものなのだろうか。

画面の女はきっと死を恐れていないのだろう。好きで沢山の薬を服用し、好きで首を吊り、好きで身を投げるのだろう。
…しかし何かがそれを押し留めているらしい。どんなにやっても、必ず生き延びてしまっている。
──それはとても辛いことではないのか?



「──…チア」
しきりに何かノートに書き込んでいる。邪魔になってしまうか。
「何デス?キッド」
気の抜けた声。彼の望むような事を口にしなければいつだってこんな態度だ。
まるで猫。自由な気質だ。


「…どうしてこいつは死のうとしているんだ?何度も死にたい、と口にしている」
箱型の画面を指差して、訊いた。
「しかも何度も失敗して。感覚が解らない」

育ての親チアは、画面にちらりと視線を投げた後、また背を向けて教えてくれた。

「…これハ、死のうとしテルんジャありまセン。周りの人、他人ニ、自分を可哀想ニ思って欲しいンでショーネ。」

チアによれば、本当に死のうとしている奴は、黙ってこの世から存在を消してしまうらしい。
ひと息置いて、続けた。

「こーいうのを『自己顕示欲』ッテ言うンデス。難しい事ジャ無いデスヨ。見てほしい、気にしてほしい、ッテいう欲望のコトデスカラ」
「こいつはそれが強かったのか」
何となく分かったような気はした。

「…そーデスね。コレが強いとなかなか厄介デス。でも誰でも持ってる感情デスカラ……」
チアにもこんな感情があるのか、と少し新鮮な驚きを得た。
「そうか、邪魔した」
「イエイエ。ハテナを解決すルのは良いコトデス」



チアは再びフラスコに入った薬品を加熱し始めた。
俺も、箱の中で泣き乱れる少女を見つめ直す。

カッターナイフを手に取り、手首に突きつけていた。
思わず自分の手首を掴み、じっと眺めてしまう。
ここを切ったらダメだとは思わなかった。

カッターナイフが肌にめり込んでいく。
気持ちの悪い程赤い血が、画面を満たした。
顔をしかめ、一度、目を逸らす。
しかし次のシーン。
「大丈夫か!?」
そういって駆け込んで来たのは、彼女の両親。

震える少女を抱き締め、キス、と呼ばれる行為をして、傷を塞ぎ、優しく頭を撫でてくれる。


──そうか、これが目的で。


心の中で、疑問が晴れた。
そういうことなら、自己顕示欲、も、悪くないと思う。
手近にあったのは、恐らくチアが使用したであろう、何かの血液が付着したメス。
少女と同じカッターナイフがあればよかったのだけれど、生憎そんなものは持ち合わせていない。


これを使い手を切る。それだけであんなにも、あんなにも愛される。
…愛される?そんな事は望んでいない筈だが。
少なくとも今、好奇心はメスを握っていた。


サクッ、


血液の付いたメスは切れにくいと思っていたが、流石はチアの磨いた代物だ。簡単に刃が肌に突き刺さる。
傷跡が空気に触れると、ぴりっとした痛みが全身を這った。


ぐシャ、ぎュち。


血管を突き抜けた感覚があった。
左手首の感覚はすでに無い。麻痺していた。
血が後から後から溢れ出してくる。

──痛い、けれど。
こんなことで本当に、自己顕示など出来ているのだろうか。


呼吸がし辛くなってきた。頭がぼうっとして、体温が低下していくのも解る。
痺れるような悪寒が襲ってきた。


「─…寒い、さむい、チア」


澄んだ金属音。メスが右手から落ちた。
その音に、彼は、振り向く。
猫のような目が、見開かれた。

次の瞬間、 チアは俺の目の前にいた。
「馬鹿」
パシン、と平たい音。じわりと痛みが頬に残った。
「何、しテルんデスカ」
力の抜けた真っ赤な左手は冷たいはずなのに、チアの手はもっと冷え切っていて、微かに震えていた。


「…おな、じ、こと」
おかしい、ひしゃげた声しか出ない。
力が抜けて、俺は床に座り込んだ。
ずるり、真っ赤な床に、マントが浸る音がする。
かろうじて動かせる右手で、画面を指差す。


──……あ、レ?


画面の向こうでは、墓に皆が花を供えていた。
短く、安堵の溜め息が出る。
「…自己、顕示、できたな…」
やっとこの世の理から解放された少女に、心底ほっとした。

でも、自分は、体を動かすことも、出来ない。
糸の切れた人形のように、真後ろに倒れる。
それを、チアが抱き留めた。
「私の、せいデスネ」
手首をそっと持ち上げられる。

「…ちょっと、痛いケド…我慢シテ下さいネ」
針が見えた。黒い糸が通してある。
すぷっ、と、肌に何かが入ってくるのが分かった。
冷たくて鋭い痛み。
「──ッ、ぅ、うぅ……」
さっきのメスよりも、何倍も痛くて重たい。


黒糸を縫い付けられ終わる頃には、息が上がってしまっていた。
チアの首や胸と同じような、縫い跡。
「……コレを、飲みナサイ」
ビーカーに入った謎の薬。あまりの毒々しさに首を横に振れば、彼は自らそれを一口含んで、キス、をしてきた。


口の中に甘ったるいような、苦いような、微妙な味が広がる。
「私が作ッタ、止血剤デス。そもそもキッドは自然治癒の力ガ強いカラ、いらないかもデスガ」
チアの言葉が淡々と、お説教のように響く。
彼は白衣を脱ぎ、肩先に掛けてくれた。
少しだけ温かみを感じた。


「…良かッタ。顔色も治っテきましタネ」
あとは…と、チアは髪の先に結ばれた黒いリボンを解いた。
それを、きゅっと縫い跡の上に巻き付けられる。
「早く治るヨウニ、お揃いのオマジナイ」
ちゅっ、リボンにキスをされる。
「痛いの痛いノ飛んで行ケ」
チアは愛しげにリボンを撫でると、少しだけ悲しそうに微笑んだ。


「駄目デスヨ。私の愛しいキッド…自傷行為なんて貴方には似合いマセン」
先ほど傷にしたように、額にもそっと口づけられた。
「貴方はこんな風に、愛され、保護サレテ、成長していって欲シイ」
それが魔王になるまでの仕事だと、チアは俺の頭を撫でながら言った。


「ごめん、なさい」
教えてもらった言葉は、これで合っているだろうか。
傷口はすっかり塞がって、もう傷付ける前と状態は変わっていない。
「うん、イイ子、イイ子」
最後にぎゅうっと抱き締められる。




チアがそばにいてくれる。
誰よりも、気にしてくれる。



──そうこれはきっと、俺なりの、自己顕示。


大好きなチアの為ならば、俺は何でもしよう。







─自己顕示(じこ・けんじ)─
多くの人々の中で、自分の存在をことさらに目立たせること。



             END
 

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