コンユ中編

□to hold hands
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毒女の研究室は、いつでも迷える女性のために開かれている。
頑丈な扉の向こうでは、美しく聡明なる赤い悪魔が、本日も毒の調合に勤しんでいる。世のため人のため、いつか助けを求めるかもしれないあなたのために。
「アニシナー……」
「おや、これは可愛らしい子羊が迷い込んできましたね」
そして本日の相談者は、魔王陛下の愛娘、可愛らしい瞳を不安そうに陰らせたグレタ姫であった。
「どうしましたか、そんなに困った顔をして」
「あのね、ユーリとコンラートが喧嘩してるの」
「おや。それは珍しい。雑食生物ですら喰わないような展開ですね」
「明日はユーリの誕生日なのに、二人がこのままなんて、グレタ嫌だよ……」
優しい姫は、悲しそうに目を伏せた。まったく、男というものは父親になっても情けないものだ。最愛の娘にこんな風に心配をかけるなんて。
アニシナはグレタ姫の頭を優しく撫でると、力強く言った。
「安心なさい、どうにかして差し上げます。どんな原因かわかりませんが、毒女の手にかかれば即座に解決!全て大団円です!なんたって私は女性の味方、毒女アニシナなのですから!」
アニシナがそう言い切ると、グレタはキラキラと目を輝かせ「グレタもアニシナみたいな大人になる!」と高らかに宣言するのであった。

「と、いうことがありました」
「それは……ご迷惑をお掛けしました……」
アニシナさんは容赦なく「まったくです」と言い放つと、おれの前に小さな錠剤を差し出す。
「このアニシナ、自分の発明に絶対的の自信がありますが、被験体に無許可で実験を行うようなことは致しません。ウェラー卿と仲直りするための薬、服用するかどうかは陛下がご自分でお決めになってください」
グウェンに対しては無許可で実験している姿をよく見るけど……。それは置いておいて、コンラッドとの冷戦状態は未だ継続中だ。それも、グレタを心配させているのが申し訳ないくらい些細な原因なのである。
可愛い娘がおれのことを心配して、自らアニシナさんに助けを求めた気持ちを無駄にしたくない。本当に情けない父親だ。他の誰かに頼ってほしかった気持ちも少しはあるけど。
「さあ陛下、ご決断を」
気分は切腹前の殿様だ。でも、最初から覚悟は決まっている。
「飲むよ」

意気込んで錠剤を流し込んだものの、おれの体調に変化はなかった。アニシナさんの発明品は即効性の高いものが多いから、これは意外かも。
「良いですか陛下、この部屋を出たらウェラー卿を必ず呼び止めてください。必ずウェラー卿に。他の者に先に声をかけてはいけませんよ」
おれはお行儀良く返事をする。コンラッドはおれの護衛をしていて、今も部屋の外にいるのだから、難しい要求ではない。
「それでは、夕食の際にはグレタ姫に良いご報告ができますよう」
アニシナさんかっこいいな。おれのお姫様がうっかり恋に落ちてしまわないか、少しだけ心配になった。

コンラッドは少し心配そうな顔をしていた。突然毒女の研究室に呼び出されたのだ。当然の反応だ。素早くおれの全身を観察して、何の異常もないと判断したらしい。
「あのさ」
「はい」
と、言われた通り声をかけたものの、この先どうしたら良いのかわからない。世間話をするにも気まずいし、何より研究室のある地下にとどまっている理由がない。
「いや、なんでもない。行こうぜ」
階段を登ろうと一歩踏み出して、たまたま偶然そこにいた、骨地族の頭につまづいて体勢を崩す。どうしてこんなところにコッチーが?地下だから?地下なら土の中じゃなくてもありなの?それなら地下にはコッチーの大帝国があったりとか?それともアニシナさんの発明で生きながらえてるとか?
走馬灯のようにどうでもいいことが思考を駆け巡る。このまま落ちたら階段にぶつかる。せめて手をつこうと腕を伸ばしたとき、後ろから抱きしめる形でその手を取られた。
「陛下、お怪我はありませんか」
「あ、ありがと」
コンラッドは小さく微笑むと、おれの背中から離れ、「本当に痛いところはないですか」と確認する。大丈夫、捻挫もしてないみたいだし。
わざとでは無いにしても、蹴飛ばしてしまったコッチーに謝って、今度こそ階段を一段上がる。……ん?
「あの、コンラッド、もう大丈夫だけど」
「……離れません」
「え?」
いつも余裕な顔の男前が、珍しく眉間に皺を寄せている。
繋いだままのお互いの手は、接着剤でくっついてしまったように離れなかった。

「あら、陛下に閣下、ご機嫌麗しゅう」
「陛下、新しい茶葉を仕入れましたの。おやつの時間を楽しみにしていてくださいね」
「陛下!グウェンダル閣下がお探しでしたよ」
「……アニシナの研究室に行ったらしいな」
「あのさあ、その前にこう……気になること、ない?」
驚くほどいつも通りだ。
コンラッドとおれが城の中で手を繋いで歩いていても、メイドさんもシェフも傭兵さんも、グウェンダルまでも、何の反応も示さない。
まるでこれが普段通りですってくらい、誰もこの状況に違和感を抱いていない。
「お前がアニシナの研究室で何をしていたか以上に気になることなどない。何か良からぬことを企んでいるのではあるまいな。私はもうごめんだぞ、ひ、ひ……被験体にされるのは」
可哀想にグウェンダル、被験体という言葉を口にするとき、拒否反応で唇が震えていた。
「今回はちょっとおれがお叱りを受けていたと言いますか……グウェンは関係ないから安心してよ」
その言葉に少し安心したのか、「執務の時間までには戻ってこい」と退室を促した。
ん? 別におれ、どこにも行く予定ないけど。
「そうか。コンラートを連れていたから、城下にでも行くのかと」
あー、ばっちり見えてる。おれとコンラッドが手を繋いで歩いているのを、全員が見えてる上てスルーしてるんだ。
「あのさグウェン、おれとコンラッドが手を繋いで歩いてるのって違和感ない?」
「特に違和感は感じないが……」
おれは半歩後ろを振り返る。コンラッドは楽しそうに笑っていた。

「おれたちって普段からそんなに距離近いかな」
「どうでしょう。俺は陛下のお世話をさせて頂けて光栄ですが」
「そういう他人行儀な喋り方はもういいよ」
「そうだな、他人との距離が近いと言われたことは無いな。でも、あなたが快適に過ごせるように、いつもあなたのことを考えているのは事実ですよ」
「おれは何も意識してない。普通にしてるだけなんだけど……」
「困りましたね、お互い自覚がないのでは対策のとりようがない」
海外のハリウッドスターのように肩をすくめてみせる。そういう仕草、似合うと思ってやってるのかな。実際抜群に似合うけど。
「あーあ、なんか馬鹿らしくなってきた。グレタにもおれたちが喧嘩してるって心配かけちゃうし」
「グレタが?」
「うん。おれの天使は世界一優しいからな」
グレタは本当に天使のようだ。きっと神様が羽をつけ忘れてしまったんだと思う。おかげで今はおれの「たかいたかーい」で満足してくれている。
ところでおれは、繋いだままのこの手を離す方法をおそらく知っている。
雨降って地固まるってやつ。
喧嘩で起こったことは、仲直りという魔法の呪文でしか直せない。
「……ごめん、言いすぎたよ」
「俺の方こそ、思慮が浅く申し訳ありません」
「は?しりょ?村田のスマホに入ってる喋るやつの親戚?」
コンラッドは楽しそうに「俺がUSAにいた頃には無かった機能だな」と笑った。国はいつでも成長し続けている。地球も、眞魔国も、同じように。
大きくて少しかさついた手が、体温を残して離れる。
喧嘩してても居心地が良すぎて、このままでも良いかなとか考えてしまう。コンラッドは時々危険だ。

「それにしても、少し名残惜しい気もするな」
「なにが?」
「ヴォルフラムじゃないけれど、俺と手を繋いで歩いていればあなたに変な虫がつかないので。親心ってやつですよ」
「ふーん、親心ね」
おれは夜更かしのためにコンラッドがいれてくれた甘いコーヒーに口をつける。
「有利って名前、渋谷は有利、原宿は不利なのかよってからかわれるから、あんまり好きじゃ無かったけど」
もちろん嫌いなわけじゃないけど、やっぱりその言葉を言われるたびに、またかよって思って。
「でも、みんなが……コンラッドが嬉しそうに呼ぶから、おれ、この名前で良かったな」
コンラッドはちょっと泣きそうな顔をしていた。「大きくなりましたね、ユーリ」なんて言っちゃって、そりゃもう、あと数秒で十七になりますから。
「あ、日付変わった。誕生日おめでとうおれ。あと、名前つけてくれてありがとう、コンラッド」
「お誕生日おめでとうございます、ユーリ。あなたがこの世に生を受けてから、十七回目の今日になる。あなたが生きて、この国にいてくださる奇跡を、どれだけ祝っても祝いきれません」
それじゃあ、祝いきるまでどこにも行くなよ。
これから特別な日を何度も重ねて、いつかその日を迎えることすら日常になるように。
あんたとの平和を、心から望んでるよ。

「ちゃんと仲直りした?」
「仲直りしたよ。グレタのおかげだよ。ありがとな」
デレデレしながら可愛い頭を撫でると、グレタは誇らしそうに笑った。ああ可愛い。本当に可愛い。
「ユーリとコンラートはどうして喧嘩してたの?」
「うーん……コンラッドがすげー高いプレゼントくれるって言うから、もっと自分のお金を大切に使いなさいって怒った」
「えー、それはコンラートの自由だよユーリ。ツェリ様もいつも言ってるよ。趣味と恋愛は自由じゃなくちゃーって」
うっ、ごもっともです。でもさ、おれはコンラッドに別のことにも時間やお金を割いてほしかったんだ。おれだけが生活の全てになっちゃったら、おれがコンラッドの負担になっちゃうんじゃないかって思って。
「まさか。言ったでしょう?俺は快適に過ごすあなたを見ることが趣味なんです」
「ほかの趣味見つけた方がいいぞ」
「残念ながら予定にありません。でも、せっかくの誕生日プレゼントですから。謙虚なあなたが気にするような値段のものを贈るのは正しくないね。すみません。また改めて、プレゼントさせてください」
と、去年野球場をプレゼントしてくれた男は爽やかに笑う。元プリスマイルだ。
「別にお金かけなくてもいいんだって」
おれがここに居れば幸せだと言うように、おれも、もう離れずに側にいてくれればそれだけで。
「今日は野球場でキャッチボールするか!みんなでやろうぜ!グレタも!グウェンもヴォルフもギュンターも村田も誘ってさ。降誕祭まで時間あるだろ?」
右手にグレタ、左手にコンラッドの手を取って部屋を出る。
薬なんてなくても、手を繋いで歩こう。

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