コンユss

□拾いもの
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朝から気持ちが重かった。
雨は好きじゃない。ロードワークの距離を短くしなくてはいけないから。
雨用のシューズがあったらもっと走れるんだけど、それは次の夏休みにバイトして買うまでお預け。
フードを被って、どんよりと暗い道を走る。おれの靴から飛び跳ねた水がアスファルトに跳ねていた。
いつもは真っ直ぐの道を曲がって、この先にのごみ捨て場のところを右に……。
頭で計算しながら呼吸を整えていると、ごみ捨て場が見えた。
それから、どう考えてもゴミ袋に入っているようには見えない、男性が。

「あの、大丈夫ですか……?」
手足が長い。近くで見ると、どうやら日本人ではないようだった。
彼はゆっくりおれの方に視線を向けると、力なく笑って見せた。どうも大丈夫には見えない。
「あっ、そうか、日本語じゃ通じないのか。えーっと、アーユーオーケー?ここ、ごみ捨て場、ダストシュート。とにかく移動しよう」
手を取って立ち上がらせると、悲しくなるくらいおれよりも背が高かった。
近くの公園に屋根のあるベンチがあったはず。正直、高校生のおれにできるのはそこに連れていくことくらいだ。あとは警察に任せるのが得策。
「……拾ってくれるんですか?」
雨音に混じって、甘くて低い声が聞こえる。
日本語喋れるのかよ!
「あの、冗談言ってる場合じゃないと思いますケド!?」
「ああ、すみません。一生懸命英語を話してくれるのが可愛らしくて……あなたみたいな人が拾ってくれたら、嬉しいな」
「高校生に大の男を拾うなんて無理ですから!」
ていうか高校生の男に可愛いだなんて、ちょっと失礼なんじゃないか?
おれは少し不躾に、彼の方に右手を突き出す。
「ケータイ、持ってたら貸して。おれは持ってないから」
「はい、どうぞ」
思ったより素直に差し出されたそれに、目的の番号を打ち込む。いち、いち、ぜろ。
そして通話ボタンを押そうと親指を移動させたそのタイミングで、着信を知らせる画面に切り替わった。
画面には「ヨザ」とだけ表示されている。あだ名だろうか。
出ても良いものかと彼の方に目を向けると彼はじっとおれの顔を見ていた。
「な、ナンデスカ……ていうかこの電話、出てもいいの?ヨザって書いてあるけど……」
「ああ……どうぞ」
そんなにハッキリ喋れるなら自分で出てほしい。とはいえ雨の日にごみ捨て場に捨てられているイケメンなんて、何か複雑な事情があるに違いないので、それなら出てくださいと声をかけるのも躊躇われた。
「もしも……」
『もしもし隊長!?あんたどこでなにやってんだ!電話も出ないしふらっと居なくなっちまうし心配したんですよ、いいから今どこに……』
「あの、おれ、タイチョー?さんと今一緒にいるんですけど……」
通話越しに「えっ!?」という声がきこえた。確かに知り合いの電話に他人が出たら驚くだろうな。
とにかく居場所と、タイチョーさんがごみ捨て場に不法投棄されていたことを伝えると、電話越しの声は余計なことは言わずに「すぐに行きます」と言い残し切れた。危ない借金取りとか、それこそヤのつく自由業の人だったらどうしようとか思ったけど、どうやらちゃんとしたお友達らしい。
「あのさ、別に事情を聞くつもりはないけど、本当に気をつけた方がいいよ。今日は燃えないゴミの日だったからまだ良いけど、ごみ捨て場なんて衛生的に問題が……」
彼は熱心におれの方を見つめて話を聞いていた。なんだか子犬でも拾ってしまった気分だ。
人の話を聞く時は目を見なさい。小学校で一番最初に習うことだ。見られると見つめ返すのが礼儀な気がして、おれも何となく彼の目を見る。
「……目の奥、すごい。星が散ってる」
「え?」
おれを見つめる彼の、薄茶色の瞳の奥に銀の虹彩が散っていた。ベンチに座る彼の方に少しだけ身を寄せて、吸い寄せられるように見つめてしまう。
「綺麗だな。よく言われない?」
「初めて言われました」
「そっか。でも、ほんとに綺麗だよ。みんなに自慢した方がいいって」
彼の隣に腰かけて目線を合わせようとしたけど、やっぱり彼の方が背が高かった。
「あなたの、」
彼はやはりおれの方をまっすぐ見たままで話す。
「あなたの瞳の色も、とても綺麗だ」
「黒が?日本人ならどこにでもいるって、黒い瞳なんて」
「それなら、あなただから綺麗だと感じるのかな」
恥ずかしげもなくそう言われて、少しいたたまれなくなってしまった。
雨がベンチの屋根にあたって、それがBGMみたいに沈黙を繋げている。
「あの、さ」
「はい」
「なんであんな所で倒れてたのか……とか、聞いてもいい?」
恐る恐るそう言うと、彼はあろうことか「そういえばそうでした」と呟いた。カッパを着て走っていたおれには彼に差し出せる傘もなく、小さなタオルを貸しただけ。今でもこんなにびしょ濡れなのに、よくさっきの出来事を忘れられたものだ。
「ちょっと……喧嘩してしまって。ここ最近ずっと、ある女性にしつこく言い寄られていたんです。断り続けていたんですが、なかなか諦めてくれなくて。それで、そのことを相談するために友人を飯に誘った」
「さっきのヨザってひと?」
「ええ。でもトイレに立った時に、初対面の男性に「俺の女誑かしてんじゃねぇよ」なんて言われて、外でその仲間に大人数でボコボコにされちゃいました」
あー、ドラマでよく見るやつだ。逆恨みってやつ?
おれは今すごい話を聞かされているんだと思う。だって逆恨みで暴行なんて、警察に行けば確実に犯罪の被害者だ。それなのにこの人はまるで昨日の夕飯でも話すように、何でもないことのように語るから、おれが心配になってしまう。
「じゃあどっか怪我してるの?」
「してますよ。見えるところは殴られなかったけれど」
「大変じゃん!病院行かないと……」
「全部ヨザが何とかしてくれるから、大丈夫ですよ」
ヨザってひと、一体何者なんだ。
「それに嫌なことばかりでも無かったな」
「なんで」
「あなたと知り合えた」
「…………」
言葉が出なかった。男相手にこんなことを言う彼にっていうのもあるけど、何よりこんな言葉を真剣に受け取ってしまう自分に。
雨が降っていてよかった。
雨音を聞いているふりをして、なんて返そうか考えていた。
ゴミ捨て場に落ちていた、素性のわからないお兄さんは相変わらず薄茶色の瞳でこちらを見ている。
「そ、そういうのは女の子に言えば?」
「あなた以外にこんな気持ちになったことはないよ。本当です」
「隊長ー!」
と、おれの脳みそがそろそろいっぱいになった頃、雨音をかき分けて救世主のような声が聞こえた。さっき電話で話した人だ。ヨザって言ったっけ?
声にした方を振り返ると、ムキムキの外人さんがいてまた驚いた。本当になんの仕事してるんだこの人たち。
「あっ、電話の……この度はこいつが世話になりました」
オレンジの髪のムキムキ外人さんは礼儀正しくそう言うと、良かったら食べてね、なんてお菓子をくれた。電話の声でもっと幼いと思われたんだろうか。なんか子供扱いされている気分だ。
「あの、」
今度は薄茶色の瞳の彼がおれの方を見る。雨音に馴染むような低い声。
「お礼がしたいので、また会ってくれると嬉しいな。俺の名前はコンラート。連絡先は……しまった、紙がないな」
彼は少し考えたあと、無断でおれの上着の袖をまくると、前腕のあたりにペンを走らせる。芸能人にサインでもしてもらってる気分だった。
「雨で消えなかったら、きっと運命ですよ。その時は連絡して」
やっぱり男子高校生のおれには少し気障すぎる語彙の持ち主だ。運命なんて言葉、日常では使わない。
「それじゃあ坊ちゃん、ありがとうございました」
「それじゃあまた、ユーリ」
「あっ……うん」
彼らは何やら話しながら消えていったけど、雨音が邪魔をして聞こえなかった。
おれはインクが乾いたのを確認してから袖を下ろすと、上にロードワーク用のレインコートを羽織って家に帰る準備をする。
「コンラー……コンラッド」
口に出したら言いにくくて、なんだか別の名前になってしまった。
変な奴。雨雲みたいだ。急に現れては緩やかに去っていく。自分のいた痕跡を残すことももちろん忘れずに。
「あれ……おれ、名前教えたっけ」
もうすぐ夏になろうという日のこと。
雨だけど、不思議と気分は重くなかった。

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