コンユ中編

□雨の日、傘の中
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「あー、雨だ……」
と、思わず口に出したのは、その日たまたま傘を忘れたからだった。
まいったな、お袋は家にいるけど、あのフリルエプロンで迎えに来て「ゆーちゃん、傘を持って行きなさいってママ言ったわよね?」なんて言われた日には、次の日どんな顔をして学校に来たらいいのかわからない。
それに、今日は早く帰らなくてはならない理由があった。
眞魔国から地球に帰ってきたのは昨日の夜。今回は血盟城の庭の噴水からうちの風呂にスタツアした。最初はスタツアするつもりなんて無くて、足を滑らせて噴水に落ちるおれをコンラッドが助けようとした。そのはずみにコンラッドまで噴水に落ちてしまって、あろうことかコンラッドまでこっちに来てしまったのだ。
本当はすぐに向こうに帰してやりたかったけど、二回連続でスタツアするのは体力的に厳しくて、明日の放課後にまた、という話になった。
つまり、おれの家には今コンラッドがいて、おれの帰りを待っているのだ。
あんまり待たせるのも可哀想だし、しかし雨に濡れておれだけがスタツアしてしまったら、コンラッドはまた眞魔国に帰れなくなってしまう。
やはりここは、恥を忍んでお袋に迎えに来てもらうべきだろうか。しかし渋谷有利16歳、なけなしのプライドが許さない。周りに傘を持っていそうな友達もいないし、置き傘がなかったかと必死に記憶を探ってみるけれど、自分がそんなに用意周到だとも思えない。
仕方ない、お袋に電話をかけようと、時代遅れのテレフォンカードを取り出した時だった。
昇降口の辺りから女子の歓声が聞こえた。
何事かとそちらに視線を向けると、歓声の中心にいた人物が、おれに優しく笑いかけて言った。
「ユーリ、お迎えに上がりました」
勝利の愛用している紺色の傘を差して。



「渋谷君の知り合いなの?」
「どんな関係?」
「すっごくカッコイイ人だね!」
「今の、どこの国の言葉?」
あんなにたくさんの女の子に囲まれたのは、人生で初めての経験だった。
コンラッドは丁寧に、しかし確かに彼女たちの手を振りほどいて、わざわざ英語でごめんね、なんて言いながらおれと昇降口を出る。
「迎えなんて来なくてもよかったのに」
いや、本当はすごく助かったんだけど、照れ隠しにそんな憎まれ口を叩いた。
「あなたに風邪を引かれては困りますから」
「その傘どうしたんだよ。勝利のだろ?」
「今朝忘れて行ったんですよ、ユーリと同じでね。だから借りちゃいました」
コンラッドは「兄弟ですね」って笑った。おれはそれが気に食わなくて、魔族似てない三兄弟の似ているところを必死で探したけど、上手く思い出せなかった。
「それにしても、ユーリの学校は髪も目も黒い子が多いですね。俺もしばらく日本に住んでいたけど、日本人はみんな髪を染めてしまうから……なんだか新鮮だったな」
「そりゃ、校則で決まってるから」
だけど一緒にスタツアしたのがギュンターだったら、今頃学校が汁まみれになっていそうだ。
コンラッドで良かったな、なんて考えて、また少し照れくさくなった。
実はおれとコンラッドは一か月前からお付き合いをしている。すごく健全な。
告白したのはおれから。だけどまだ手も握っていない。
コンラッドが今まで色んな女の人とお付き合いしてきたのは知っているし、おれだってもっと積極的になりたいって思うことも、まあ、たまーにならある。
だけどそう上手く行かないのが純情な男心というやつで、コンラッドを目の前にするとどうしても恥ずかしくなってしまう。
今だってせっかくの相合傘なのにこんなに憎まれ口を叩いて、おれはさぞ可愛くない恋人だろう。
「明日、なんて言い訳しよう」
「言い訳?」
「クラスの女子にあんたのこと聞かれるだろうから」
「恋人だって言ったら?」
「ばか」
そんなこと出来るわけがない。
コンラッドはおれが女の子だったら学校中連れまわして自慢したいくらいにはいい男だけど、ご生憎様おれは男だ。
それに、おれみたいな普通の男子高生とコンラッドがつり合う訳がない。
今だって、校門で傘を持って立っているだけで女の子に囲まれるような男とおれが。
だけど、誰に何を言われようと恋人なんだ。
そう思った途端に「ああ、好きだな」なんて実感して、手でも繋いでみようかと思ったけど、コンラッドの右手は傘の柄でふさがっていた。
「それにしてもすごいよな。言葉も通じないのに女の子に囲まれて……もてるってこういうことだなって思った」
「あなたの方がよっぽど人気がありますよ。学校なんかじゃなく、国単位の人気がね」
「人気か……あるといいんだけど」
「ありますよ。俺は毎日嫉妬してるんですから」
「嫉妬!?」
あまりにも自分に縁のない言葉が飛び出したので、思わず後ろにのけぞってしまった。
コンラッドが持っている傘は、ちゃんとおれの動きに合わせて後ろに傾けられた。
「そうですよ。あなたは誰にでもモテるから」
「からかうなよ」
百戦錬磨の夜の帝王にそんなこと言われても、嫌味にしか聞こえない。
少し拗ねたようにそう言って見せると、もうコンラッドは何も言わなくなってしまった。
雨の音が聞こえる。
雪は嫌いだ。あんたを遠くに攫って行ってしまうから。だけど雨は好き。水はおれをみんなのもとに運んでくれる。
「雨は、好きではなかったんです」
雨音の中、コンラッドの声がやけに鮮明に聞こえた。
「あなたを連れて行ってしまう気がして」
「連れて行くって、地球に帰るだけだよ?」
「それでも、次はいつ会えるのかといつだって気が気じゃないんですよ」
だけどおれの身体は地球産だから定期的に帰らなきゃいけない。前に親友がそんなことを言っていた。コンラッドはそれを痛いほどわかっているはずだから、こんな風に零すのは珍しい。
「だけど、今日で好きになれそうだ」
「どうして?」
「相合傘とはすばらしい文化ですね。あなたと肩が触れるような距離で道を歩いていても、誰にも何も言われない」
「……真面目に聞いて損した」
「これでも真面目に話しているんですよ」
コンラッドは心外だと言うような声を出したが、しかしその頬は緩んでいた。
「本当はいつだってあなたを独占したい。ああ、嬉しくて口が滑りました。今のはみんなには秘密ですよ」
こんなに恥ずかしいこと誰に話せるか!
「……そんなこと思わなくても、あんたおれの、こ、恋人じゃん」
だけど、あんたの望みはできる限り叶えてやりたいんだ。
「ええ。もちろん、充分ですよ、それで」
だけどあんたはいつも、肝心なところでそうやって上手く誤魔化してしまうから。
「おれは充分じゃないんだけど!」
「ユーリ?」
あんたの経験には届かないけど、おれだって手を繋ぎたいとか、抱きしめてほしいとか無いわけじゃない。それなのにあんたは肝心な所で鈍いから、だからいつだって言いだせない。
「恋人になったらそれで終わりなわけ?その先にあるだろ、もっと、その、」
正直おれだってその先が何なのかわかっていない。だけど、今の状況でおれたち恋人ですなんて、誰に言えるわけもない。
「だから、その、地球にいるときくらいしか二人きりになれないじゃん」
「ユーリ?」
「だから、キス、とか、するなら今なんじゃないの!?」
あ、間違えた。
違う、おれは何か進展がほしいって言いたかっただけなんだ。これじゃまるでキスしてほしいって言ってるみたいな……、
「してもいいの?」
「え?」
コンラッドは器用に、おれが濡れないように傘を傾けながら体制を変えた。
傘が雨をはじく音が響いていた。ずるい、まだいいって言ってないのに、そんな風に目を合わせられたら逃げられない。
だけどこのずるい男の熱が、湿気を通しておれに伝わる。
「目、閉じてください」
「ここじゃ……だって道端だし……」
「傘が隠してくれるよ」
ああ、だめだ、すき。
そう思うともうだめで、傘が隠してくれるならいいか、なんて考えてしまって。
それで、馬鹿みたいに素直に目を閉じた。
くちびるに、おれのじゃない熱。



「それで、俺の傘使って相合傘して帰って来たって?」
「ちょっと借りただけだろ。そんなに怒るなよ」
まあ正確には相合傘以上のことがあったわけだけど。
「だいたいもう一本傘持って行けば良かっただろ?その方が濡れないんだし」
「あ、確かに」
言われてみればその通りだ。
「ああ、すっかり失念してました。向こうでは傘は主流ではないもので、傘を持つという文化もないんですよ」
「お前は本当にうさんくさいな!有利!こんな男のどこがいいんだ!」
興奮する勝利に対して困ったように笑うコンラッドを眺めていると、なんだか本当にうさんくさいような気がしてくるけれど。
「ユーリ、そろそろ帰らないと」
「お前向こうで有利に変なことしたら許さないからな」
安心してください、今日の今日まで健全すぎるお付き合いでしたよ、なんて言う訳にもいかないんだけど。
「有利、早く帰ってこいよ」
「はいはい」
勝利の言葉に適当に返事をして、水をためた風呂場に飛び込んだ。
ここから、もう一つの故郷へ。



「あー濡れた濡れた」
目を開けると青空。それと、現代の日本には決してないような大きな城。
「最初はこの景色見るたびに、ゲームの世界に入り込んだみたいだなーなんて思ってたけど、最近は懐かしいっていうか……ホームベースに帰って来たなって感じ」
「それは良かった」
遠くから俺のことを呼ぶ声が聞こえた。この声はきっとギュンター。それに後ろからヴォルフラム。
「次に帰るまでに、クラスの女子にあんたのことどう説明するか考えないと」
「お手伝いしますよ」
コンラッドが笑った。ああ、あんたの髪は青空に映える。
「ねえ」
「はい」
「雨じゃないけど、もう一回キスしてもいい?」
コンラッドの目が丸くなった。ああ、なんか間抜け面。そんなの初めて見た。
「はい、あなたが許してくださるなら、いつでも」
水滴が髪を伝って頬に落ちた。
「だけど今は傘がないから、また後で」
タオルを持ったギュンターの声がだんだん近づいてくる。
ああ、帰ってきた。
「ただいま!」

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