リクエストtext

□捨てたものの中には宝石が混じっていた(及岩)
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世界が反転する。視界が、よく知っている整った、今は苦しげに歪んでいる顔でいっぱいになった。押し倒される直前にチラリと見えたゴミ箱に自分の姿が重なった。



「ん……」

朝の光を瞼の裏に感じて、岩泉は目を開けた。

「あ、岩ちゃん起きた?」

目が覚めて聞いた第一声は隣で寝ている、及川の優しげな声だった。

「今日の岩ちゃん、すごく可愛かったよ」

耳の側で色っぽく囁かれて、ゾクリとする。いつも学校で聞いている明るい声とは違って、今耳元に存在している及川の声は、静かでどこか薄暗い。ふと岩泉は多分こいつは、俺にしかこの声を出さないだろう、と思った。今まで及川と付き合ったどの少女も、こんなにねちねちと甘ったるくて全身に纏わりつくような声は聞いたことがないに違いない。直接見たわけでも、及川に問うたわけでもないが、それだけは確信が持てた。
とりあえず、先程の言葉に少なからずムカついたのでわき腹をドスっと蹴っておく。すると及川は「ひどーい!岩ちゃん!」とさっきとは似てもつかない間抜けな声をだした。

「今、何時だ?」
「まだ、三時だよ」

だからさもっかい、しよ?…朝練があるから控えめにしろよ

慣れきった会話を合図に、及川は岩泉を再び押し倒し、覆い被さる。これからくるであろう甘い刺激に耐えるべく、岩泉は再び目を閉じた。
及川と体を重ねるのはこれでもう何度目だろうか。いつかは終わるこの関係が始まった日を、岩泉はいまでも鮮明に思い出せる。高校二年生のときの春高予選、一回戦で白鳥沢に負けた。及川が主将に任命されて、始めての公式試合だった。岩泉も副主将に任命されていたので、少なからずショックを受けたが、及川の落ち込みは岩泉の比ではなかっただろう。これから、自分がチームを引っ張っていく、という自覚をもってすぐ、因縁の相手に負けたのだ。及川は二年前の天才の後輩が現れたときですらしたことのない、絶望を固めたような顔をしていた。だから、そんな顔をしている幼なじみに急に押し倒されて無理やり慰めを強要されても、同情が勝ってしまって、強く拒むことができなかった。…違う、わかっている。嬉しかったのだ。及川が自分に縋ってきたという事実が。彼は人間の本能的な欲求を自分で発散させたにすぎないのに。及川たまたま近くにいて、何をしても、自分を決して見捨てない手頃な人物。それが岩泉だっただけなのだ。

「んっ…」
深いキスに思考を奪われて、なにも考えられなくなっていく。目を開けると、及川の端正な顔がすぐ近くにあった。
その顔を見ていたら胸の奥からなにかぐつぐつしたものが込み上げてきて、岩泉は慌てて瞼を閉じる。
−−言ってはいけない。
口にしたのなら、この関係は終わってしまう。
ただの都合のいい道具が、自分に特別な感情をもっているとわかったら、及川は気持ち悪がって、もう岩泉に触れてくれなくなるだろう。
自分にだけだす甘い声といい、縋ってきたという事実といいつい、期待してしまうのだ。そんな自分を岩泉は愚かしく思った。

−及川、

−−好き、だ



「岩ちゃん」

情事が一通り終わったあとの、及川の声は、やっぱり熱を帯びているように感じられた。

「なんだ」
「あのさ、岩ちゃんが始めて俺に抱かれた後、言ってくれたセリフ、覚えてる?」
「…ああ」

“俺はお前にとってゴミ箱みたいなもんだから、汚いものは俺に吐き出せ”
岩泉を抱き締め、子供のように泣く及川の背中をあやすようにさすりながら言った言葉だ。それが、今更どうして話題にあがるのだろうか。

「だから、今からすごいどろどろした汚い感情を捨てようと思うんだけど、受け止めてくれる?」
「…?」

岩泉は首を傾げた。体まで暴いた相手において、前置きするほど汚いことなんてあるのだろうか

「……いいぞ」
「本当に?軽蔑、したりしない?」
「言ったろ、全部受け止めるって」
「……岩ちゃん」

及川は試合中に見せるような真剣な顔つきになった。

「好き」

「………は?」

思わず驚愕の声が漏れる。なんの冗談だ?
いや、及川徹はこんな真剣な顔して冗談を言うような人間ではない。そのことは自分が一番よく知っている。

「言っちゃったら、岩ちゃんにもっと気持ち悪がられる気がして、言えなかった。…ごめん」
「ずっと、好き。あの日から。ずっと」

「大好き」


及川は壊れたおもちゃのように、好き、岩ちゃん、好き、大好きと繰り返した。たった一言、なのに呟かれるたびにその言葉は岩泉の中にすごい勢いで溢れかえっていく。胸が苦しいのにどうしようもなく幸福しか感じなかった。
岩泉はどうしたら自分のなかに及川の言葉を受け入れるスペースが作れるだろうと少し考えて、すぐに自分のなかに溜まっている及川と同じ感情を、目の前の想い人に吐き出した。

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