短編夢小説 A

□海水浴
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宝石のような青い海が輝き、美しい弓形の白い浜辺が続いている。ビーチサンダルで踏みしめると、赤いぺディキュアを塗った足の爪が、砂の中へ沈んでいく。ついに吾朗さんが一泊旅行で伊豆の海へ連れてきてくれた。荷物を置いてホテルを出たのは、一時だった。私たちは、ゆっくりと歩きながら、海水浴場へと向かっている。
「なあ、美香、メッチャ綺麗な海やなあ」
「そうだね〜。何か外国みたい!」
潮の香りを乗せた海風が心地よい。吾朗さんは、水着の上に黒のTシャツを着ている。私のワンピースの裾は、風になびいていた。

「それにしても、吾朗さん、よくそんな水着見つけたよね……」
私はまじまじと見つめた。蛇柄のサーフパンツだ。
「かっこええやろ?組のモンに必死になって探させたんやでぇ。イタリアのメーカーからお取り寄せや」
吾朗さんは、水着を両手で引っ張って私に得意げに見せびらかす。

「そないなことより、美香は何でホテルで水着に着替えて来うへんかったんや?」
「家で着替えてきたの。見せるのは、着いてからのお楽しみ!」
ふふっと笑うと、私は駆け出した。でも、サンダルが砂に埋まってしまい、なかなか思うように進まない。あっという間に吾朗さんに捕まってしまった。
「きゃっ」
「なんや、美香、じらすつもりなんか?」
耳元で吾朗さんが低い声で言った。背筋がぴくんと跳ねて、ドキリと鼓動が速くなる。
「い、いや、お楽しみは後のほうがいいかなぁと思って……」
「ほう。美香はええ女やなあ。たまらんでぇ」
そう言うと、吾朗さんは私の腰に手を回して、一歩一歩踏みしめながら歩き出した。

海水浴場に着くと、人で溢れかえっていた。ようやく畳一畳分のスペースを見つけられたのは、二十分後だった。
「ねえ、これじゃ、二人分にはちょっと狭いよね?」
「まあ、なんとかなるやろ。それにしても暑っついのぅ〜」
吾朗さんが、いきなりTシャツを脱ぎ捨てると、鮮やかな刺青が白い砂浜に現れた。周りで休憩していた人たちの視線が一斉に吾朗さんに向けられた。その視線は、恐怖の眼差しへと一気に変わっていく。ある男は、すぐ目を逸らし、ある女は、いきなり携帯で「今から行くから」と話出す。おそらく嘘の電話だろう。

そして、シートを敷こうとした。でも、スペースが足りそうもない。吾朗さんが、横でうつ伏せになって日焼けをしている金髪の男に尋ねた。
「おい兄ちゃん、ちょっとでええから、空けてくれや」
「ンだよ……」
男がメンドくさそうに顔を上げた瞬間、その顔は一瞬で凍りついた。
「ど、どうぞ、どうぞ!」
と、慌てて荷物を片付け、スペースを全部譲ってくれた。

ついに水着を脱ぐ時がきた。
「吾朗さん、いいって言うまであっち向いててね!」
「まだじらすんかいな。ハァ」
「ね!」
「おう」
私は、急いでワンピースを脱いで、水着からお尻や胸がはみ出してないかチェックする。
「いいよ!」

吾朗さんは振り返った途端、呆気にとられていた。
「吾朗さん、どうしたの?やっぱり変かな……?」
「アカン!反則や。見とれてしもうたわ。メッチャ可愛いやないけ。やっぱ美香の白ビキニ姿は最高や!」
吾朗さんは、頬を赤く染めながら、目を細めて舐めまわすように見てくる。
「パンツの横が紐になっとるのが、ホンマエロイのぅ」
そう言うと、吾朗さんは紐を解こうとした。意外な展開に身体がかっと火照る。
「止めて!解けるわけないでしょ!」
私は、パシリと吾朗さんの手を叩いた。
「冗談に決まっとるやろ。ヒッヒッヒッ!」
吾朗さんは、ニヤリと笑って私の肩に手を回すと、「今日はガンガン遊ぶでぇ!」と、目をキラキラ輝かせて、私の顔を覗き込んだ。まるで少年のような人、と私は思ってにっこり微笑みかけた。

海の家で大きめの浮き輪を一つ借りたら、私は裸足で砂浜を駆け出した。吾朗さんの「お〜い、待てや!」という声が後ろから聞こえたかと思ったら、腰をしっかりと掴まれた。そのまま一緒に海へ入る。
「わ〜、水あったかい」
「おお!気持ちええなあ!ほれ!」
「きゃ!頭に掛けないでよ〜!」
私たちは、バシャバシャ水を掛け合った。二人で濡れるのも構わず水を掛け合う。そして、ずぶ濡れになったお互いを見ては、子供のように笑い続けた。

騒ぎながら水遊びをしたあと、吾朗さんは、私が乗った浮き輪を掴んで、泳ぎながら沖の方へ連れて行ってくれた。吾朗さんの泳ぐスピードは速く、ゆっくり漕いでいる自転車くらいもあった。
「吾朗さん、速いよ。もっとプカプカ浮かぼうよ〜」
「何言うてんねや。スピードがあったほうが楽しいやないかい」
吾朗さんは、私を向いて話しながら、更にスピードを上げていく。ふと前方を見た。浮き輪に乗った5歳くらいの女の子と、よそ見をしている父親がこちらに向かって泳いでくる。

「吾朗さん、前!」
「あん?前って美香のほう見とるやないけ」
「違う!あっち!」
その瞬間、「わ〜!」という甲高い女の子声が響き渡り、水しぶきが上がった。吾朗さんは、慌てて前を向き、顔にかかった海水を拭いた。女の子がじっと吾朗さんを見ている。すると、その子が無邪気に話かけてきた。
「ねえ、どうしておじさんの身体には絵が描いてあるの?」
引きつった顔の父親が女の子の口を慌てて塞ぐ。
「ええねん、兄ちゃん。これはなぁ、お守りなんやで。これがあったら、ちょっとは強うなれる気ィがするんや」
吾朗さんは、そう言うと女の子の頭をポンポンと優しく撫でた。

ひとしきり遊んで浜辺に戻ると、時計は三時半を回っていた。私たちは海の家で軽く食べることにした。木造の小屋に入ると、壁にずらりとメニューが貼ってある。私は、迷わず焼きそばに決めた。吾朗さんは、「ビールもええけど、冷えた身体には、冷えたメロンのかき氷やな!」と、意味不明な理論を言い出し、オーダーした。料理が運ばれてきた。お皿いっぱいに焼きそばが盛られている。ソースの甘い辛い香りが食欲を誘う。吾朗さんのカキ氷は雪のように山盛りだ。エメラルドグリーンのシロップがたっぷりかかっている。私は、アツアツの焼きそばを冷ましながら食べ始めた。吾朗さんは、モーレツなスピードで食べている。

「ちょっと、吾朗さん、そんなに急いで食べると、お腹壊すよ」
「こないなことで、腹ぶっ壊しとったら、狂犬も終わりや!」
なんでこんなことでムキになるんだろう。ふと、吾朗さんを見ると、私の口を見つめながら、にやにやしている。
「え?何?」
「あんなあ、さっきから歯に青のり付いとるでぇ。そないな美香も可愛いんで黙って見とったんや。ヒッヒッヒッ!」
「もう!最悪!」
顔から火が出そうになり、ガタンと席を立つと、トイレへ走って行った。

休憩を終えた私たちは、海に潜ることになった。吾朗さんは素潜りが得意らしく、私だけ水中メガネを着け、沖のほうへと泳ぐ。海の中を見渡すと、色とりどりの魚がいっぱい泳いでいる。そっと私が手を差し出すと、魚たちは私の手を突く。捕まえようとしたら、あっという間に見えない場所まで泳いでいった。

ふと、吾朗さんを見ると、こちらを向いてニッと笑っている。吾朗さんは私の手を取ると、一気に引き寄せ、水中メガネも奪ってしまった。それに驚いた鮮やかな魚たちは、一斉に私たちから離れてしまった。水中で何の抵抗も無い身体がふわりと吾朗さんの腕の中に収まった。長い髪がゆるやかに舞う。
「んっ……」
コバルトブルーの水の中、吾朗さんは私に強く唇を重ねた。最初は驚いたけど、恐る恐る腕を吾朗さんの背中に回した。広い静かな海の中二人きりだ。浮遊するような感覚と、甘いキスに頭の中がとろけそうだ。吾朗さんが、ゆっくりと私の背中を撫でて、水着の中へ手を滑らせようとした時だった。

「ゲホッ!」
私は、吾朗さんの口に大量の息を一度に送ってしまい、溺れる寸前になってしまった。
「な、何すんねや、美香!」
吾朗さんは、海水を飲んだため、むせながら怒っている。
「っ……」
私は口を押さえて小刻みに震えている。
「どないしたんや、美香?」
その様子に吾朗さんは心配して近寄ってきた。

「ふふっ、あはは!」
私は、突然笑い出した。
「な、なんやねん……」
吾朗さんが怪訝そうな顔をする。
「水の中でキス、鼻の穴から空気がゴポゴポ出てるの見たら、おかしくなっちゃって!」
そう言った私は、まだ笑うのを我慢できない。
「アホか!せっかくロマンチックなキスしたろうかと思うたのに」」
不機嫌な表情を浮かべた吾朗さんは、横を向いた。

「美香、ちょっと向こう見てみ?」
吾朗さんの視線の先には、オレンジシャーベット色の夕日が沈み始めていた。海は夕日の色でキラキラと輝いている。
「わ〜、綺麗!」
「せやなあ」
穏やかな声だった。自然に肩を抱かれた。引き寄せられる。吾朗さんはキスの距離まで近づいて、私をじっと見つめた。
「美香、唇が紫やで。寒いんちゃうか? 」
「うん、ちょっと……」
吾朗さんは、強く抱きしめてくれた。温かい唇が私の唇にしっかりと重なる。胸がジンと熱くなった。私の体温が一度上がったような気がした。

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