短編夢小説 A

□お泊り
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前編:初めて私の家へ

今日は二回目のデートだな、私は思った。一ヶ月前から付き合い始めた真島さんは、今夜は青山のイタリアンレストランへ連れてきてくれた。生演奏のジャズピアノが流れてきて、心地よい。真島さんは、午後に取引先の人と会ったらしくダークグレーのスーツを着ている。この間もスーツ姿だったけど、男の人のスーツ姿は、大人の男性という感じがしてときめいてしまう。
ウェイターが大皿にデザートを持ってきた。ティラミス、フルーツの盛り合わせ、ガトーショコラが、色とりどりに並んで楽しい。

「わ〜、美味しそう!」
「せやなあ。俺はガトーショコラからやな」
「じゃあ、私はティラミス」

スプーンでティラミスをすくって食べると、ほろ苦いココアパウダーとクリーミーな生地が口の中で溶けていくようだった。
「真島さん、私こんな美味しいティラミス食べたことない!」
「せやろ。ガトーショコラもメッチャ旨いわ」
真島さんは、目を細めてスプーンを口に運んでいる。私はふと窓際を見た。雨の雫が、ガラスの面を滝のように流れている。

「真島さん、雨が降り出したみたい。傘忘れちゃったね」
「雨ぐらい、なんとかなるやろ」
ウェイターがコーヒーを運んできた。真島さんはコーヒーを飲み、タバコに火をつけた。
「それにしても、ええ夜やったわ。最近、忙しかったせいで、のんびり食事もできへんかったからのぅ。美香ちゃんのおかげやで」
「そんな。こっちこそありがとう」
私は、ゆっくりとコーヒーカップを置きながら、頷いた。照れてしまい、頬が赤くなるのを感じる。
「ほな、行こか」
真島さんは、遠くに立っているウェイターを手を上げて呼びつけた。テーブルでカードを渡し支払っているようだ。スマートでかっこいい。

ドアを開けると、土砂降りだった。目の前には大きな水溜りができて、私のハイヒールでは、飛び越えられそうにもない。
「真島さん、どうする?もう一回、お店に入って時間潰す?」
「アカンやろ。今何時や?」
時計を見た。十時半過ぎだった。真島さんが時計を覗き込む。
「美香ちゃん、俺がひとっ走り行ってきたるでぇ!」
「って、どこに?」
「駐車場に決まっとるやないけ!」
「でも、濡れちゃうし、二百メートルくらいあったと思う」
「ええ腹ごなしや!」
真島さんは、ニヤッと笑うと、一気に駆け出した。
「……あ、待って!」
と声を張り上げた時には、真島さんの背中は小さくなっていた。

五分くらい待った頃だろうか。真島さんの車らしきヘッドライトが近づいてきた。黒い車が前に止まった瞬間、真島さんが降りてきた。
「よう、美香ちゃん、迎えに来たでぇ」
真島さんは、両手を広げておどけて見せる。でも、前髪からぽたぽた雨の雫が落ちて、それが顔や首筋へと流れている。
「真島さん!そんなんじゃ、風邪引いちゃいます!これで拭いて!」
私は、かばんの中からピンクのハンドタオルを取り出し、真島さんに差し出した。
「おう、ええもん持っとるなあ」
真島さんは、ガシガシと頭や顔を拭くと、「さっぱりしたわ〜」
と、にっこり笑って、それを返してくれた。

真島さん、風邪引かないかな、と私は思った。このレストランからだったら、真島さんのマンションより私の家のほうがはるかに近い。
でも、私はまだ真島さんを私のマンションに呼んだことはない。まだキスさえもしていない。でも、私は勇気を振り絞った。

「あの、真島さん、私の家で乾かさない……?」
「なんやて?」
「だから、あの、ここから近いし、風引いたら心配だし……」
真島さんは、首を傾けると、
「せやなぁ。ほんなら、そうさせてもらうわ」
と、言って急いで車に乗り込んだ。

私も真島さんを追うように助手席に乗って、車は進みだした。でも、なぜか車内で私たちは沈黙だった。
マンションの部屋の前に着いた。

「あ、ちょっとここで待ってて下さい!」
「なんでやねん?」
「部屋が散らかってるんで……」
「そんなん構へんで」
「でも、ね!」

私は、急いで部屋に入ると、テーブルに散らばっている雑誌を本棚にしまい、ソファの上に脱ぎ散らかしてある服をクローゼットに押し込んだ。そして、お風呂場へ行き、ぬめりがないかチェックして、キレイなバスタオルとバスマット置いた。鏡もキレイに磨いた。
「うん!完璧じゃないけど、これでよし!」
私は、急いでドアに行くと、真島さんを招き入れた。

「ほう、これが美香ちゃんの部屋か。女の子らしい部屋やのぉ」
「真島さん、そんなことより、早くシャワー浴びたほうがいいんじゃない?」
「美香ちゃんの言う通りやな。ほな、シャワー借りるで」

真島は、奥のお風呂場に消えていった。しばらくすると、シャーッとシャワーの流れる音が聞こえてきた。私は真島さんがあがってきた時に、喜んでもらえるように、ビールを用意することにした。いつか二人で飲みたいと思ってネットで買った北欧のビールグラス。ブルーでワイングラスみたいな形で、ぽってりしたデザインが可愛い。私は、ソファの前のテーブルにそれを並べた。真島さんは運転するからノンアルコールビールに決まりだ。その時、真島さんの声が聞こえた。

「美香ちゃん、あがったでぇ〜。ええ湯やったわ〜。おおきに」
真島さんが、腰にピンクのバスタオルを巻いて出てきた。上半身には、鮮やかな刺青が彫られている。なんとミスマッチな格好だろう。真島さんの刺青に正直びっくりしたけど、あえて口に出さなかった。
「ま、真島さん!そ、そんな格好、困ります!」
「せやかて、服は全部、濡れてしもうたからなぁ……」
「そ、それじゃ、私の服を貸します!」

私は慌ててクローゼットを開き、USJで買った大きめのTシャツと、ユニクロの伸びてしまった黒のハーフパンツを持ち出した。
「あの、こんなのしかないですけど……」
「このTシャツカッコええやん」
真島さんが、嬉しそうにTシャツに袖を通して鏡を見ている。胸には大きな恐竜が描かれていた。

真島さんがソファにズカッと座った。私はビールゆっくりグラスに注いだ。
「ほぉ〜、美香ちゃんは気が利くのぉ」
私がグラスを一つ注ぎ終わると、真島さんはビールを取り上げた。
「今度は、俺が美香ちゃんに注ぐ番や」
勢いよくグラスにビールが注がれていく。ブルーのグラスの上に白い泡が浮かび海のように見える。
「よっしゃあ!ほな、乾杯や!」
「乾杯!!」

グラスがカチンとぶつかる音が部屋に響き、私は勢いよく飲んだ。冷たいビールが喉に沁みる。真島さんは、喉を鳴らして一気に飲み干していた。
「ハア〜、風呂上りの一杯は旨いなあ〜」
「よかった。お代わりどうぞ」
私はグラスに並々と注いだ。
「なあ、美香ちゃん。なんかええ音楽でも聴かへん?」
「う〜ん。ちょっと待ってね」

私は、あまり最近の音楽を聴かない。でも好きな人と聴きたいな、と思っていた曲があった。
「じゃあ、かけるね〜」
私はセットすると、真島さんの横に座った。
「ほう……キレイな曲やないか。誰の曲や?」
「氷室京介の Diamond Dust っていうんだ」

私たちは、しばらくソファにもたれて彼の澄んだ声に耳を傾けた。真島さんの長い腕が、背中に回り肩を抱き寄せた。真島さんの顔が、やや斜めの角度から近づいてくる。まだ前髪が濡れている。私は鼓動が刺激されて、必死に呼吸を整える。柔らかな唇が、私の唇にしっかりと重なった。思わず目を見開くと真島さんは、ゆっくりと唇と離して、涼しい笑顔で私を見つめた。私は真島さんの唇の感触に圧倒されて、ぼーっとなってしまった。そんな私を真島さんはさらに強く抱きしめてくれた。

私は、真島さんの胸に火照った顔を埋めていた。真島さんは私の髪をゆっくり撫でてくれている。ずっとこのままでいたい……。真島さんに帰ってほしくない。軽いって思われたっていい。私は小声で訊いてみた。
「ねえ、真島さん……。今夜、泊まっていかない……?」
「……泊まる……なあ」
(あぁ……引かれちゃった……)
私は、ガックリ肩を落とした。

「ヒヒッ。やっぱ美香ちゃんは可愛いのぉ」
そう言いながら真島さんは、私の髪の中に指を入れて、私の耳のそばに頬を当てた。耳がくすぐったいけど、あったかい。

「せやけどな、初めてのお泊りは、俺の家って決めとるんや」
耳に当たっていた真島さんの頬が唇のほうに移動してくる。真島さんの髭がざらりと頬にこすれた。体がカッと熱くなる。真島さんに任せるように、ゆっくりと瞼を閉じる。唇と唇が触れた。さっきとは違う軽いキス。まるで「おやすみ」と言っているようだ。唇が離れると、
「なあ、美香ちゃん、来週末に泊まりに来るか?」
真島さんが私の目を覗き込んで言う。真島さんの手が私の髪をかきあげる。指先がくしゃりと私の髪に絡まった。背中に回された真島さんの腕から温もりが伝わってくる。それでも、今夜は帰って欲しくなくて、真島さんの胸に顔を埋めた。
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