短編夢小説 A

□五十一回目の誕生日
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俺は組長室のソファに深々と座って、テーブルの上に足を投げ出していた。
携帯のカレンダーをぼーっと見つめる。
五月十四日−−。
今日は俺の誕生日だ。

「はぁ……最悪や」

重たいため息をつきながら、待ち受け画面に視線を落とした。
ディスプレイには、美香と桜の下で撮った写メが映し出されている。
俺の腕の中で屈託のない笑みを浮かべている美香――。
あの日、一緒に花見をした時は、満開だった桜も今は散ってしまい、葉桜になってしまった。
「はぁ……」
知らず知らずのうちに、また、ため息がこぼれた。

俺は美香とつまらないことで喧嘩してしまった。
俺のほうが一方的に悪いのだが、男のプライドが邪魔してなかなか謝ることができない。
「最低やな……」
ぼそっと呟いて、昼間に美香から届いたメールを開いた。

『真島さん、元気ですか?連絡ください』

何度読み返しても、絵文字もない短いメール――。
やっぱり美香、まだ怒とるんちゃうか?
俺は煙草に火を付け、メールをぼんやりと眺めた。
早く返事をすればいいのは分かっている。
だが、メールにどう返信していいか分からないから、たちが悪い。

美香に会いたいくてしゃあない……。

じりじりと長くなった煙草の灰がぽとりと膝に落ちた。
なにしとんのや……。
俺は、膝の上の灰を払ってから煙草を揉み消すと、窓に視線を移した。
薄く雲がかかった真っ暗い夜空が神室町を覆っていた。

*****

事の始まりはこうだった。
――五日前の土曜日。
銀座で美香に白のレースワンピースを買ってやった俺は、洋服屋の紙袋を提げ、美香と中央通りをぶらぶら歩いていた。
美香は何度も俺を見ては、ご機嫌な雰囲気で、軽い足どりで俺の手を握りしめて歩いていた。

「青山さーん」
後ろから美香を呼ぶ男の声が聞こえた。
「あ?」
眉を寄せてその声のほうに視線を投げると、ベージュのパーカーに白いジーンズをはいた若い男が立っていた。髪にゆるやかなパーマをかけて今どきの顔立ちをしている。
いわゆるイケメンだ。
ソイツは、俺をちらりと見て、一瞬強張った表情をしていたが、人懐っこい笑みを浮かべて、美香のほうに歩いてきた。

「あっ!一之瀬くん!わぁ、偶然。こんなとこでどうしたの?」
「ちょっと人と待ち合わせなんですよ」
美香はにこにこしながら、白い歯を見せて笑っているソイツをじっと見つめている。
誰やねん、コイツ。美香にえらい馴れ馴れしいのお。
ごっつムカつく――。
俺は敵意を燃やした。

美香は俺のほうに手のひらを向けると、
「こちらが私のカレなの」
と、頬をわずかに染めながら、俺をソイツに紹介した。
「えっ!」
ソイツは俺の顔を見上げて、目を見張ったまま固まった。顔が引きつっているようだ。
俺は威嚇するように声のトーンを落として声を張った。
「真島や」
「ぼ、僕、青山さんに会社でいつもお世話になっています」
「ほう」
ソイツは、下を向きながら、ちらちらと俺の様子を伺ってくる。
美香が俺らの間に割り込んできた。
「真島さん、この間話したよね?私が学生のバイトの指導につくことになったって。そのバイトくんなの」
そう言えば、数日前にそんな話を聞いたような気がする。
だが、俺はてっきりオンナだと思い込んでいた。

美香がにっこりと笑いながら、ソイツに視線を向けた。
「一之瀬くん、これからどっか行くの?」
「この前、青山さんたちに連れて行ってもらったカフェに友達と行こうと思って」
俺は自分の耳を疑った。
美香はコイツとメシまで食うとったんか!
「あ〜、あそこのランチ、おいしかったもんね〜」
美香は、もっと話したそうな様子で嬉しそうに「うんうん」と頷いている。
ムッとした俺は、美香の肩に手を回した。
「行くで」
と、低くつぶやいて、強引に美香をその場から引き離そうと、大股で歩き出した。
美香は「またね〜」と言って、ソイツを振り返りながら、手をひらひら振っていた。

少し歩いたところで足をぴたりと止めた。
ガラスで覆われたティファニーの一隅に俺と美香がはっきりと映っている。
俺は、美香の肩に回していた手をぱっと解いて、腕を組んだ。
美香の顔を睨みつける。
「誰やねん、あのサワヤカくんは」
「言ったでしょ?アルバイトの一之瀬くんだって」
「俺以外の男の前であんな顔すんなや」
「あんな顔って?普通だったよ」
美香が俺を睨みつけてくる。
「アイツとえらい仲ええんやなあ。メシも食うたんか?」
「それは、みんなでランチに行った時に、一之瀬くんもいただけ」
「ほう」
組んだ腕の中で、拳を握り締める。美香が楽しそうにアイツとメシを食っている姿が頭に浮かんでしょうがない。

「一之瀬くんてね、帰国子女だから、資料の翻訳とかも頼んでて、すっごく助かってるの」
美香が、少し苛ついた口調になった。
「そうか。良かったやないか。そないにええヤツやったら、離れられへんちゃうか?」
俺は、つい声を荒げた。
通り過ぎる品のいい中年女性が、ちらりと俺を振り返る。
「真島さん、そんな言い方ひどい!一之瀬くんのこと話したぐらいで」
美香が声を上げて、ぷいっと顔を逸らせた。
「もうええわ。お前はアイツとメシでも食うて来い」
「もう、真島さん!」
俺は美香に洋服屋の紙袋を押し付けると、その声を振り払うように、足早に雑踏の中に入っていった。
そして、今夜を迎えてしまったのだ。

*****

俺はメールを閉じると、携帯をソファに放り投げた。
頭にちっとも入ってこない書類に目を落としていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「入れや」
イライラしながら声を張り上げると、向けた視線の先に西田がいた。
「親父、そろそろ誕生日会の時間です」
「おう、分かった」
壁の時計を見ると、八時を少し回ったところだった。
今夜は幹部連中が俺の誕生日を祝ってくれるという。
俺はゆっくりと腰を上げて、組長室をあとにした。

会場のエリーゼに幹部らと入ると、すかさずにこやかな店長が出迎えにきた。
「真島様、本日はお誕生日おめでとうございます!」
「おう。おおきに」
表情を変えずに低い声で答えた。
「では、VIPルームにご案内いたします」
薄暗い店内の奥に進むと、店長が木目調の重厚な扉を開けた。
部屋は全体にワインレッドの色調にまとめ、革張りのソファがコの字に置かれていた。天井に飾られているシャンデリアが豪華さを兼ねそえている。

俺がソファの背に両手を伸ばして、深々と座っていると、「おめでとうございま〜す」と言いながら、華やかなドレスに身を包んだキャバ嬢たちが入ってきた。
美香と付き合って以来、この店に足を運んでいない。
新しいオンナばっかりやな……。
知らない顔ぶれを見渡していたら、昔よく指名していたかれんが視線に入った。彼女は抱えきれないくらいの花束を持っている。
「真島さ〜ん、お誕生日おめでとうございま〜す」
かれんがにっこり笑いながら、花束を差し出した。
「おおきに」
苦笑しながら、片手で受け取ると、バラやユリの匂いが鼻先をかすめた。
そして、大きな拍手が部屋に響き渡った。

かれんの合図と同時に、シャンパンタワーが運ばれてきた。
テーブルの上に作られたシャンパンタワーは、シャンデリアの光を反射し、薄暗いVIPルームの中で輝きを放っていた。
淡い金色の液体が、いく筋もの滝のようにきらきらと流れ落ちていく。
はぁ……パッとせえへん……。
俺は、こんな煌びやかな光景を見ても、虚しさを徐々に膨らませていた。

シャンパンが全員に配られて、俺は軽くグラスを持ち上げた。
「今日はたっぷり飲んでくれや。乾杯」
「親父、おめでとうございます!」
シャンパンを一気にあおった。
なんや味がせえへん……。
もう一杯飲んでも、それは同じだった。
隣に座っているかれんが俺の顔を覗き込んだ。
「真島さん、ずっと来てくれなかったけど、どこで浮気されてたんですかぁ?」
「そなモン、してへんわ」
「本当〜?神室町は狭いんですよ?」
「アホか、お前」
俺は呆れたように、かれんをちらりと見た。
くすくすと笑ったかれんは、黒の包装紙に包まれた四角い箱を俺の前に差し出した。
「これ、誕生日プレゼントです」
「何やこれ」
「ネクタイ。真島さんいつも黒しかしないから、別の色の」
「ほう、おおきに」
俺は力なく笑って、ネクタイを受け取ると、シャンパンを一気に飲み干した。

携帯の時計を見ると、九時半を過ぎたところで、組員たちのほとんどが、赤い顔をしていた。
俺はゆっくり席を立った。
「あとはお前らで飲んでくれや」
「ええ?真島さん?」
驚きで目を丸くしたキャバ嬢たちや組員をよそに、俺は入り口へ向かった。
運転を任されている西田が慌てた様子で俺を追いかけてきた。
「親父、何かあったんスか?なんか元気がないみたいで」
「何でもあらへん。せや、お前にこのネクタイやるわ」
「そんな!いいんスか?」
西田が驚いたように目を見開いた。
「ああ、かまへん」
「あの車回します」
「それもええわ」
ぽつりと言い残すと、俺は店を出た。
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