般若の素顔と極道の天使@

□9. もう一人のハルカ
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沖縄から帰ってきて一週間が経った。
真島は、黒塗りの高級車の後部座席で腕を組んで座っていた。車は横浜へ向かっていた。真島の頭には、桐生の『今でも遥の保護者でいてくれるか』という言葉が繰り返されている。

(ええやないか。保護者かて。何度も何度も、桐生ちゃんの言葉が浮かんできてからに。胸クソ悪いのぉ)

「おい、西田。何ちんたら運転してんねや!あと中華街までどのくらいや?」
真島が、ドンと運転席を蹴る。
「ハイっ。あと十五分くらいで着くと思います」

西田は、バックミラー越しに真島の機嫌を伺う。この日は、高級中華料理店で幹部が集まる定例昼食会だった。
中華料理店に着くと、店内はがらんとしていた。東城会が店を貸切にしているためである。ウェイターが、奥の個室へと真島を案内した。部屋に入ると、幹部全員が揃って真島をじろりと見た。真島は、ドカッと椅子に深く腰を下ろした。

「では、全員揃ったようですし、昼食会を始めましょう」
上座に座る会長の堂島が、ウェイターに合図をすると、紹興酒が全員に配られた。乾杯をすると、フカヒレの姿煮込みを初め、次々と高級料理が運ばれてくる。食事が始まり、幹部らは、お互いの組の話を始めた。そんな中、真島だけが黙々と食べていた。

(アホくさ。なんで毎回同じ話しとんねん)

真島は、煙草を取り出して火をつけ、一口吸って煙を吐いた。
「真島の兄さん、どうやらご機嫌が悪いようで。もしかして悪い女にでも引っ掛かったんじゃないですか?」
浜崎組組長の浜崎がニヤリと笑う。真島は、カッと頭に血が上った。今すぐにでも浜崎を殴りたかったが、その衝動を抑えて浜崎を睨みつけた。
「お前には関係ないわ、ドアホ」
真島は吐き捨てるように言う。
「それは失礼しました。でも、図星のようで」
浜崎は、顔の前で両手を組んで、口を隠すようにして意地の悪そうに笑った。
「浜崎、お前!」
真島は、ガタンと椅子を倒して立ち上がった。

「まあまあ、お二方。せっかくの昼食会ですし、穏やかにいこうじゃないですか」
ことの成り行きを冷静に見ていた白峯会会長の峯が、仲裁に入った。峯は、浜崎をじっと見た。
「浜崎さん、他人のことに立ち入るのは、どうかと思いますがね」
浜崎は、悪びれる様子もなく、煙草に火を点ける。真島は、しばらく拳を握り締めて、立ち尽くしていたが、
「先に失礼させてもらうで」
と言い放って、中華料理店を後にした。

その日の夕方、真島は組長室で建設事業の書類に目を通していたが、携帯のメールが気になって仕方がなかった。遥にメールアドレスを渡してから一週間が経つ。だが、遥からまだメールが来なかった。

(当たり前やろ。俺に用がある訳やないし……)

真島が、ジャケットのポケットを見た瞬間だった。メールの着信音が響いた。

(遥ちゃんか!)

真島は、胸の鼓動が速まるのを感じる。メールを開いた。だが、そこにあったのは、キャバ嬢からのゴテゴテした営業メールだった。
「なんでこないな時にキャバ嬢がメール送ってくるんや!」
真島は、声を張り上げ、携帯をソファに投げつけた。

その夜、真島は夢を見た。
「真島のおじさん、待って……」
潤んだ瞳の遥が、真島にぎゅっと抱きついてきた。
「真島のおじさん、好き」
「俺もメッチャ好きや」
真島は、遥を引き寄せると、彼女の赤く染まった頬を両手で挟む。
「もう我慢でけへんで」
「キスして、真島のおじさん……」
遥が真島の唇を人差し指でなぞる。真島は、遥の顔を掴み寄せ、一気に遥の唇に唇を重ねた。舌と舌が絡み合う。一度唇を離すと、銀の糸が二人を結んでいた。
その時、真島は目覚めたのである。
「何や、夢やったんかぁ」

真島は、キングサイズのベッドの真ん中でふぅと大きな溜息をついた。時計を見た。朝の五時だった。

(何ちゅう夢を見たんや……。俺は四十五で、遥ちゃんはまだ十七やないけ。俺の二十八も下や。親父の年やないか。俺は絶対ロリコンやない。遥ちゃんの保護者なんや!)

真島は、何度も自分に言い聞かせ、悶々とした気持ちを洗い流すかのように、シャワーを浴びた。

その日、真島は神室町に新しく建つビルの建設現場にいた。現場監督からビルの説明を聞きながらも、明け方に見た夢が頭に浮かび、イライラしてしまう。
真島は、傍にいる若衆の南の肩を荒らしく掴んだ。

「おい、今夜、エリーゼを予約せい。VIP席や」
「え?あの神室町のキャバクラでっか?」
「そうに決まっとるやないかい!」
「せやけど、親父がキャバクラに行かはるの久しぶりですね?」
「ええから早よしろや!」

真島は、右足で南の尻を蹴る。南は急いで携帯を取り出す。
(女をぎょうさん見れば、もとの俺に戻れるはずや)
南が予約をする様子を横目で見ながら、真島は華やかな夜の蝶を想像した。

キャバクラに着いたのは、九時過ぎだった。店は全体にワインレッドの色調にまとめ、一番前にカラオケ用のステージを構えている。天井には、いくつものシャンデリアが飾られ、豪華さを兼ねそえていた。
ボーイが真島と組員七人を奥のVIPルームへと案内した。部屋の中は、シャンデリアが輝いているが、少し薄暗い。真島が、ソファにずっしりと腰を掛けてしばらくすると、キャバ嬢が十人ほど入ってきた。真島の両脇には、とびきり綺麗な女が座った。真島は、ソファの背に両手を伸ばす。

「真島さん、お久しぶりです。どこで浮気されてたんですかぁ?」
右側に座った女が、真島に胸をすり寄せて、猫なで声を上げる。
「どこにも行ってへんわ。ほな、ピンドン十本頼めや」
「今度デートに連れて行って下さ〜い」
「まあ、そのうちな」

真島は、両手をソファの上に伸ばし、天井を見上げて酒を待つ。

(アホくさ……)

しばらくすると、シャンパンが運ばれてきた。

「ほんなら乾杯や」
「乾杯!親父、ご馳走様です!」

真島は、ぐいっとシャンパンを飲み干した。果実の味の中に柔らかな酸味が口の中に広がる。左側に座る女が真島のグラスにシャンパンを注いで、真島に話しかける。

「あの、私、お店に入りたての時にご氏名頂いて、真島さんにとても優しくしてもらって、とても嬉しかったんです」
「ほう、そないなこともあったような気もするなあ」
だが、キャバクラで豪遊する真島にとって、キャバ嬢を一人一人覚えているはずがなかった。
「なあ、ジブン、名前、何っていうんや?」
「ハルカっていいます」
「ハルカやと?」
真島は思わず上体を起こした。女の顔をよく見ると、潤んだ大きな瞳が、遥に似ているように見えてくる。

(アカン!なんでまた遥ちゃんのこと考えとるんや!)

真島は、考えを振り払うように首を横に振った。今こそ、遥のことを忘れるチャンスかもしれない。
「ほんなら……しばらく飲んでからアフターにでも行くか?」
「はい!嬉しいです。ありがとうございます」
ハルカは、じっと真島を見つめて、嬉しそうにシャンパンに口をつけた。

時計は十二時を回り、真島とハルカはキャバクラを出た。
「どこ行こか?」
「私、カラオケに行きたいです。この近くにあるんですが」
「ほな、歩いて行こか」
真島とハルカは、肩を並べてにぎやかな大通りを歩いた。
「真島さん、こっちの道を通ったら、近道ですよ」
一歩先へ行ったハルカは、真島を振り返って手招きした。真島は、その仕草に胸の鼓動が高まるのを感じた。

その道に入ると、人通りが全くなかった。
「えらい暗い道やなぁ」真島は路地を見渡した。その瞬間、ハルカが真島の首に抱きついてきた。
「真島さん、ずっと好きでした……」
ハルカの顔が真島の顔にぐっと近づく。真島は、ハルカの腰に手を回した。鼻の奥を刺激するような香水の匂いがする。
「真島さん……」
ハルカの熱い息が顔にかかった。

その時――。
遥の笑顔が、真島の頭にふっと浮かんだ。真島は、パッとハルカを突き放した。
「真島さん、どうしたの?」
ハルカが潤んだ瞳で真島を見上げている。
「いや、何でもあらへん。今日はこれで終わりや」
真島は、手を上げてタクシーを拾うと、ハルカを乗せた。夜の街に消えていくタクシーを見送りながら、真島は立ち尽くした。
(やっぱり遥ちゃんのこと、好きなんやろか……)
  
一週間後の夕方、西田が運転する車の中で、真島は後部座席に深々と座り、外の景色を眺めていた。メールの着信音が鳴り始めた。
「クソ。またキャバ嬢からの営業メールか」
めんどくさそうに真島はメールを開く。
「嘘やろ!?遥ちゃんやないか!」
あまりの大声に驚いた西田は、急ブレーキを踏んだ。

『真島のおじさん、元気ですか?夏風邪引かないでね♪』

「おう、おう、真島のおじさんは元気やでぇ。風邪なんて引かへんでぇ」
目を細めた真島は返信しながら、内容を声に出す。真島は、二週間前に沖縄に行ったばかりだが、一刻も早く遥に会いたいという衝動を抑えきれなくなっていた。

「おい、西田。今夜の予定は、なんや?」
「八時に杉本建設の会長と会食ですが」
「ほな、キャンセルや。俺はインフルエンザで高熱出して、ぶっ倒れたとでも言うとけ!」
「えぇ!?親父?」
真島は早速、羽田に向かい、再び沖縄へ飛んだのだった。

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