under the rose

□chapter.31
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「……御存知ですか? クザン大将殿」

「……ん?」

淡く色付いた花びらがけぶる宵闇の下で、酒瓶のぶつかる音と、男たちのがなり声が飛び交う。粗野な男たちが大半を占める宴席では、さすがに桜の雅さもかすむ。波の音なんかとっくに聞こえない。聞こえるのは、至近距離でささや、いや、捲し立てる、可愛い部下の女のコ……いや、眼鏡の、ドジッコの……。

「生まれたての海には何もいなかったらしいですよ。魚も、プランクトンも、なんにもなかったって……」

「へ、へェ〜〜」

大して飲んだ訳でもないのに、さっきからずっとこの調子だ。この調子で、ひたすらに茫漠とした話題を提供し続けてくれている女に、白々しい返事を繰り返すばかりの自分。

「あの、お願いがあるのですが」

「……何よ」

今度はお願いときた。その突拍子のなさに、つい身構える。

「では、聞いていただけるんでしょうか!?」

「いや、まだ聞くとは……」

分厚いフレームの眼鏡をぐいっと額に引き上げて、赤い顔でにじり寄って来る女海兵は、スモーカー直属の部下、たしぎ。スモーカーの隊とは作戦で一緒になることが多いから、知らぬ仲ではない。腕は立つし、真面目が取り柄のいい子なんだが……。いかんせん真面目過ぎて、純情過ぎて、ドジ過ぎて、扱いに困るときがある。たまに。いや、割と頻繁に。

「では、クザン大将、お願いします!
生まれたての海≠顔面で表現してください!!」

「…………」

もはや、言葉も出ない。どう返せば正解か、いや、正解なんてあるのか。あるいは何かの試練なのだろうか。

「えっと……うん。お前、今おれに海の顔真似しろっつった?」

「わっ大将お上手!!」

「何もやってねェ!」

溜め息が出た。こいつがこんなに酒に弱いとは知らなかった。男と吞むよりはいいかと、なんとなく隣に座らせたのが間違いだった。野暮ったい眼鏡がなければ、顔は美人と言えなくもない。スタイルもいいし、まぁ十分に射程範囲内であるはずなのに、どうしてこんなにときめかないのだろう。

「どうですか、クザン大将。最近お調子は」

「まぁ……調子いいよ」

なんでこいつにこんなこと答えなくちゃならないんだと思いながら、適当に相槌を打つ。

「元気ですか?」

「元気だよ」

「本当ですか?」

「ほんとだよ! 元気元気!」

「何と比べて?」

「何と比べて!?」

まったく、意味がわからない。噛み合わない。二人の間にしばし沈黙が流れる。

「ハッ!!」

「えっ!?」

突然、たしぎが驚いたように口に手を当てた。今度は何なんだと、つられてビクリと肩を揺らしてしまう。

「大将殿……。もしかして、今、カメの甲羅を表現しておられるのでは……!?」

「…………してねェよっ! つーかおれはさっきから何もやってねェ!!」

ていうかカメの甲羅って一体どんな顔だ!?

さっきから延々と続くこの虚しささえ覚える会話にうんざりして、助けを求めるように、視線をスモーカーへやった。同じシートでどっかりと胡座をかいて酒杯をあおる奴は、相変わらずの厳つい面構えを崩さず、同じく厳めしい面構えのモモンガと、特に会話をするでもなく酒を酌み交わしていた。こんな最高の酒の席で、男同士むさ苦しい顔を突き合わせて何が楽しいのかと思うが、酔ったたしぎに絡まれるよりかは数倍マシかもしれない。
なんとかしてくれという思いを込めてぶんぶん手を振ってみせると、気付いたスモーカーはちらりとこちらに視線を向けた後で、フッと笑った。憐れむような目で。

「な……っ!」

その哀愁さえただよう目は如実に、「今日はソイツのこと、頼んだ」と語っていた。なんてこった。

ああ、ラゼルちゃん……! カムバック!!

何事かしゃべり続けるたしぎに優しくうんうん頷きながら辺りを見回せば、すぐに彼女の姿は見つかった。一本桜の木を隔てたお偉い方の陣取るシートに、淡い金髪が揺れて見えた。大柄なむさ苦しい男共のひしめく中で、そこだけ眩い光が当たっているようだった。雑多な騒音に紛れていても、なぜだか彼女の笑い声だけははっきりと聞き取れた。周りのシートに座る海兵たちもチラチラとそちらを窺っているのがわかる。

まぁ、おれもその一人か……。

宴会が始まる前に、少しだけ言葉を交わしたものの、すぐにサカズキに連れられて行ってしまった彼女。今夜はきっと上の人間たちに挨拶周りをさせられるのだろう。急な移動に、彼女を怪しむ人間は多い。ずっとサカズキとべったりでは、ますますその噂は一人歩きしてしまう。そうなる前に、少しでも周りに良い印象を与えなければならないはずだ。人は素性の知れぬ者を疑う。だが、わずかでも関わりを持てば、その印象を払拭することは容易い。自分に好意的な笑みを向ける人間を、人はまず嫌悪しないだろう。美しい女性ならば、それはなおさらのこと。

「うん、頑張れ」

ラゼルの美しい笑みに、だらしない程鼻の下を伸ばした将校たちの姿。彼女の言動に周りの目は釘付けだ。一人の若い女によって、その場の空気が支配されているのが遠巻きにも見て取れる。今夜は彼女の存在を周囲に溶けこませるのに、うってつけの機会となるだろう。その為に日程を調整し(デキる書記官が)、普段はこんな下っ端も混ざる飲み会なんかに顔を出さない上の人間にも声をかけ(カワイイ部下が)、なんとか顔を出させることに成功した(みんな、ナイス)。本当はサカズキじゃなく自分が彼女をエスコートしたかったが、間抜けな部下は、彼女からサカズキを引き剥がすことにまんまと失敗したらしい。まぁ、成功すればめっけもん程度の無謀なミッションだった。失敗したことすら言い出せず怯えていたコビーには悪いが、特に気にもしていない。なんだかんだでしごき甲斐のある可愛い奴らだ。宴席の準備も頑張ったようだし、後で労ってやろうじゃないか。
視界の隅では、居酒屋の店員のごとく、酒瓶を手にあちこちに酒を注いでまわる部下たちの姿があった。始まってからもう一時間程は過ぎたろうか。大食漢かつザルな海兵たちの注文に、愛想笑いが引き攣り始めている。自分にもそんな時代があったのを、クザンは桜を見上げながらぼんやりと思い出していた。
あの頃は、権力なんかに屈しまいと必死だった。コネも生まれも関係ない。実力だけで、いつか絶対にそちら側にのし上がってやる、とギラついた目で将校たちに酒を注いだ青い時代。

「偉くなるのもいいもんだな……っと、そろそろおれもご機嫌伺いにいきますかね」

もうコマネズミのように動き回る必要はない。黙って座っていても、杯が空になれば誰かが満たしに来てくれる。だが、それに甘んじているばかりでもダメなのだ。アゴで使う部下は増えたが、面倒なことに、まだまだ上もいる。ここまで来たからには、もう少し頑張ってみてもいいかと最近は思うようになった。それは、自分の正義を共に信じ、ついてきてくれる部下たちがいるから。

「きいてますか? クザンたいしょ〜〜……」

酔いがまわって、いよいよ呂律の怪しくなりだしたたしぎを刺激しないよう、クザンはそろりと腰を浮かせた。
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