under the rose
□chapter.33
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ドキドキと恋の音を打つ心臓に手を当てて、たしぎの返答を待った。
「一応お聞きしますが、それ、加齢から来る不静脈じゃありませんよね?」
「……」
さすがに、ピクピクとこめかみが震えた。だが、無理に笑みを貼り付けて黙って聞き流すに留める。エライ。大人になったなぁ、おれ。
「ヤバいぜたしぎ……。毎日、胸が張り裂けそうなんだ……」
言葉にしたことで、いっそう思いが膨れ上がっていく。心なしか体が熱い。
「クザン大将……」
「んん?」
たしぎの思い詰めたような瞳に、次にどんな言葉が出て来るのか不安になってきた。
「誕生日おめでとうございます」
「お、おう?」
このタイミングで? いや、祝福なのか? 恋を知ったおれへの……。
よし、この調子なら大丈夫だ。明日にはすっかり忘れてる。このままもっとおれの話を聞け。
「若い頃は我武者羅に任務をこなしてここまできた。女とはそれなりに遊んだり遊ばれたりしてきたが、恋なんて面倒なこと、ほとんどする暇なかったよ。でもある日、ふと今の自分を見つめ直してよ、おれ愕然としちゃったよ。何つうかさ、おれはおれが思ってるより全然自由だったんだ……ほんと、ずーっとさ」
「ハァ……」
「なぁたしぎ……正直に言ってくれ。もう手遅れか? もじゃもじゃのオジさん勘違いしちゃってるか?」
語り出したら止まらなかった。特に考えたこともなかったようなことまでも、次々と滑り出て来る。そして、なぜだかやけに感傷的な自分になっていた。
「大将殿……。世界の半分は勘違いで動いてます。オジさんの自意識なんて犬も喰わないです」
「……お前が言うと、なんか真実味あるね」
いつの間にか左隣の桜の幹に向かって語りかけているたしぎは真実、ほぼ勘違いで構成されているのだろう。
「で、どなたです? どこの誰に恋をしたんですっ!?」
「ちょ、たしぎ、声がでけェ……! シーーーーッ」
襲いかからんばかりに桜の幹に詰め寄ったたしぎが、突然声のボリュームを上げた。その不安定さは完全に酔っぱらいのテンションである。幾人かの海兵がこちらを振り返った。
「ん、むごっ」
「やめろ! もう少し声のトーン落とせって」
「フーーーッ!」
子育て中の親猫よろしく毛を逆立てるたしぎをどうどうとなだめ、なんとか落ちついたところで、正しい方向を向かせる。
「おい、たしぎ」
「なんですかっ!?」
「どうしたお前……。いつになく興奮してんじゃないの」
ようやく桜ではなくこちらを捉えたたしぎの目は、わずかに血走っていて怖かった。
「クザン大将……今私ムチャクチャ楽しいです! どうしよう……ワクワクで走り出しそう!!」
「お願いやめて一旦落ちついて」
「うるさいオジさん! とりあえず、それが誰か早く教えて!」
今にも立ち上がって駆け出しそうなたしぎの肩を押さえるが、すごい力で反発にあう。
「いや、誰ってそれは……」
「身近な人間ですか!?」
「うーん……」
言葉を濁すも、たしぎは執拗に追求してくる。
「もしかして、職場の人ですか!?」
「いやいや、んなこた、」
「あーーーーっ!?」
「ええっ!?」
まただ。もう勘弁してくれ……。突如として響き渡ったたしぎの奇声は、辺り一帯でどんちゃん騒ぎをしていた海兵たちをも黙らせた。
「……」
しばし、何とも言えない空気が流れた。男たちは何事かとこちらを窺っている。もちろん、彼女も。ふわりと翻った金の髪に、つい目をやってしまう。あ、今目が合った。
「オーケーです! 大将殿!!」
ギクリ。気付けば、額にあったはずのたしぎの眼鏡が顔に収まっている。
もしかして、コイツ、今おれを泳がせたんじゃ……。いや、そんな器用なマネがコイツに出来るワケ……。
「目標、ラゼル大尉!」
「!?」
「ロック、オン!!」
万事休す。たしぎの動物的直感は、戦場において、ときたま恐ろしいほどの威力を発揮するのだ。ほんと、ときたまに。
「よし行きましょう!!」
「え!? 行くってどこに!?」
「どこにじゃねェんですよ! 決まってるでしょ! 彼女のところに行くの!!」
「ハァ!?」
コイツは一体何を言っているんだ。たしぎの乱暴な思考にまるでついていけない。
「作戦はこうだ! 行く! 会う! 話す! ホラ、立ちんしゃい!!」
「なにそのバカみたいな作戦!?」
「アアん!?」
穴があったら、このバカヤロウを今すぐ生き埋めにしてやりたい。壊れたエンジンのごとく鼻息を荒げるたしぎを落ちつかせる術があったら、誰でもいい、今すぐ教えてくれ。
「立つんだオジさん!!」
「やめて! お前今ゴリラみたいだぞ!?」
仁王立ちになりシャツの襟をグイグイ引っ張ってくるたしぎは、凶暴なキングオブ霊長類そのものだ。襟元のボタンがブツンと弾け飛び、その迫力に怯みそうになるが、ここで屈する訳にはいかない。まだ始まってもいない恋を、こいつにぶち壊されては堪らない。
「頼むから落ちつけって! 今日は違う! まだタイミングじゃねェよ!」
「タイミングぅ!? なにを悠長なことを……! そんなこと言ってたらあっという間におじいちゃんですよ!? また愕然喰らいたいか!?」
たしぎは愕然という言葉に、やけに力を込めて言い放った。
「いや、確かにそうは言ったが、」
周りの海兵たちの視線が痛い。ラゼルも何やら興味津々な目でこちらを見ているではないか。サカズキの侮蔑を含んだ視線が突き刺さる。ああ、おれ今軽く死ねる。
「さぁ、後悔したくなきゃ立て!!」
ゴリラのような部下に襟を掴み上げられ、ぶんぶん揺さぶられる自分の姿を思い、クザンは心の内で静かに涙を流した。
やはり、たしぎに話したのは間違いだった。