under the rose

□chapter.35
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「っとにごめんな〜〜、ラゼルちゃん」

時刻はそろそろ夜半に差し掛かろうかという頃合いか。
酒気を帯び、どことなく気怠い空気が混じり出した桜の下では、飲んだくれ正体をなくした海の男たちと、ここいらでそろそろ退席しようかと腰を浮かせる者たちに分かれはじめていた。家族のある者は己の部隊の大将のところへおずおずと挨拶に顔を出しては、怪しい足取りで家路につく。仕事を片付けなければと、酒が抜けた頃合いを見計らって本部へ取って返した可哀想な者も少なくはない。そうなると後は、片付けを担う新兵と、まだまだ吞み足りないとくだをまく独り者の飲兵衛ばかり。すっかり茹で上がった赤い顔の男たちが、桜の幹を枕にいびきをかいてゴロゴロと転がっている姿を視界の端から追いやって、クザンは先程から何度目かの謝罪の言葉を口にした。

「謝っていただく必要なんて全然ありません。むしろ……」

宵闇にけぶる桜より麗しく頬を色付かせ、彼女はふんわりと笑んだ。

「助かった……って言ったら、あの方たちに失礼ですか?」

少しだけ声を落とし、顔を寄せて囁かれた言葉によって、アルコールより強い多幸感がもたらされる。耳をくすぐる吐息は酩酊した脳をさらに大きくかき混ぜて、わずかばかりの理性すら剥ぎ取ってしまいそうなほどに甘く強烈だった。

「さっきからずっと、身動きがとれなくて」

「あ〜〜……」

イタズラっぽくちらりと視線をやった先は、彼女が先程まで座っていたシートの方だ。そこでは、いまだラゼルの帰りを待ちわび、石の如く腰を据える赤い顔をした将校たちがいた。奴らはじっとりと無遠慮な目でこちらを窺いながら酒を舐めている。

「そりゃご苦労さん。うわ、めっちゃこっちにらんでるよ……。ラゼルちゃん、なんかされなかった?」

隣に陣取っていたオヤジ将校に手を握られてるのは見たが、他に何か良からぬことはされてないだろうか。そんな羨ま……いや、けしからんことをした輩がいたら、後で覚えておけよ。

「何かって……?」

「ん? いや、例えばさ……」

「例えば?」

クスクス笑って、上目遣いにそんなことを問うてくる。彼女も酔っているのだろうか。艶を滲ませる声色は、なるほど男の欲望を刺激するにもってこいの武器だ。こんな調子でやられたら、どんな堅物だってグラっとくるに決まってる。なんかしないわけにはいかなくなる、だろ。

「ん〜、たとえば……、」

「……たとえば、こんなこと、ですか!?」

「にゃっ!?」

クザンが何かするよりも早く、にゅっと下から伸びてきた手がラゼルの胸を持ち上げるように鷲掴んだ。

「ああ〜〜、なんてやぁらかい……至高ぉ……」

「あっ、たしぎ、ちゃん……もうっ」

少しトーンの上がったラゼルの悩ましい声に、思わずゴクリと喉が鳴った。

「ハァ、マジで部下がスミマセン……」

「いえいえ……、え、やだっ、そんなに……っ!」

されるがままむぎゅむぎゅと揉みしだかれるおっぱいから目が離せない。ラゼルの息が上がり、頬がより紅く染まっていく。

「えーっと……」

なんというか、鼻血が出そうだった。たかが服を来た形の良い巨乳が揺れているというだけなのに、やけに扇情的な光景で。あらゆる卑猥なシチュエーションをこなしてきた自信のある自分が、これしきのことで……。それは、抵抗もできず、もじもじと視線を漂わせる彼女の目がいじらしくて、なのに身体からは抑え切れない女の匂いが発散されて、そのギャップがたまらなく男の欲を駆り立てるから。

「あ、寝た……?」

その手はひとしきりラゼルのプレミアムマシュマロボインを味わうと、満足したのかパタリと落ちて動かなくなった。そしてまたスウスウと穏やかなたしぎの寝息が聞こえてきた。ラゼルがふうと熱のこもった溜め息を吐く。クソ羨ましいことに、たしぎは今彼女に膝枕してもらっている状態なのだ。どこまでもこちらの神経を逆撫でしてくれる憎き部下だが、こいつのお陰で今の状況があるのも確かだ。そう考えれば少しは感謝してやってもいいと思えてくる。同じシートにいたスモーカーはいつの間にか消えているし、これは実質二人きりと言っていいだろう。さぁ、グズグズしてないでここいらでぐっと距離を詰めていこうじゃないか。

「んなスケベなことしたらセクハラで訴えられちまうだろーがっ」

幸せそうな寝顔を晒すたしぎの額にデコピンを見舞うと、むにゃむにゃ言いながらラゼルの薄い腹に身を寄せて丸まった。クソ、いますぐ替われそのポジション。

「最近はいろいろ厳しいですもんね。上の方も神経使いますよね。私だったらそんなに気にしないけどな……例えば、」

「お、そりゃ寛容だねェ。例えば……?」

すかさず訊ねれば、寝転び、投げ出されたクザンの手の甲にするりと重ねられた手。華奢な指が己の指の先を辿り、意味深に肌をくすぐった。

「これくらい、なんとも?」

「これくらい、ね……」

手を握るくらいは大したことはないかもしれないが、その触り方はどうなんだ。そんなことされたら、知らねェぞ、もう。

「ふふふ」

甲を撫でる手は、蝶のように気紛れに寄ってはすぐに離れようとする。幻のようなその感触を、気付けば咄嗟に捕まえていた。そして、翅を傷めぬように優しく、ゆっくりと愛撫する。

「……」

ぴくり、とかすかに震えた温度の低い指先に己のものを絡ませた。しっとりと滑らかな薄い皮膚を辿って、指の付け根をなぞる。

「っ……」

彼女の、かすかに息を詰める気配が伝わってきた。ひんやりと冷たかった手のひらの温度が少し上がった気がした。
隣り合う二人の視線は別々のところを向いている。だが、何気ない会話を装う裏では、重なる肌が互いの真意を探り合っていた。言葉や皮膚の奥に隠された熱量を、わずかな反応も見逃さないよう慎重に。

「あれ? もしかして、これじゃおれもあいつらと一緒かな?」

「あ」

そううそぶいて、わざとらしく指を解けば、ラゼルの指が追うように絡みついてくる。今度は逆に捕まって、握ろうとする拳がほどかれた。その隙間にするすると入り込んで来る指が、手の内側を擦る。なんとも絶妙な力加減で繰り返されて、クザンの心は掻き乱された。あらぬ想像が膨らんで、違うところに熱が集まって来る。この行為は、とってもマズい。

「そうやってみんなのこと誘ってる?」

そうやって、男どもを手懐けるのが彼女のやり方かもしれない。なんせ、男は哀しい程に単純で馬鹿ばっかりだ。海軍の男共なんて、それこそ典型的な単細胞の集まりだ。こんな男所帯だからこそ、少し女に色目を使われただけで、コロッとやられ骨抜きにされてしまう。そしてあっという間に尻に敷かれてしまうと言う訳だ。わからいでもないが、あんまり舐められるのも困る。経験だけは豊富なオジさんなもんで。

「そんなふうに見えますか……?」

「うん、まぁ見えるかな」

傷付いたというように、彼女の指がクルクルと手のひらでいじけてみせた。その人差し指をぎゅっと握る。いっそバカな男になってしまえれば楽なんだが、それではきっと、彼女の “ 正体 ” まで暴けない。それに、今はまだもう少しこの駆け引きを楽しんでいたかったというのもある。

「あはは、やっぱりクザン大将は正直でいらっしゃいますね! 全然違いますよ。あの方たちと」

ラゼルが、先程とは違う明るい声で笑った。

「うん?」

「皆さん、心の中では私のこと怪しんで、気味悪がって、見下してるのに、口ではそれはもう素晴らしい賞賛の言葉を下さるんです! どれもこれも、私じゃなく後ろにいるサカズキ大将に向けてのお言葉なんでしょうが、なんだか私なんてほんとにどうでもいいんだなって……」

彼女はこれまでと変わって、やけに饒舌に語リ出した。明るい口調とは裏腹に、なんとも投げやりな言葉だ。軽口を装ってはいるが、それがかえって痛々しい。

「連中はまだ君のこと知らねェから仕方ないさ。おれだってまだ君の実力を知らない」

「実力……。そうですね、私はここへ来てまだ何も出来ずにいます」

「そりゃまだ来てほんの数日だろ? 当然だよ」

「そう、ですね……。だけどそのほんの数日の間に、皆さんのイメージは出来上がっちゃってるんです。私のこと、顔と体で取り入ったいやらしい女って。大した実力もないくせに、いつも傍に置いておかれるのは、ただ夜の相手をするのに、」

「いや、ラゼルちゃんちょっと待って」

「みんな、私のことなんて、赤犬大将の都合の良いあいじ……」

「わーーっ! ストップ!!……てかラゼルちゃん、もしかして結構、酔ってる……?」

「……酔ってなんかいません。ただちょっと感傷的になってるだけです」

「あ、そうなんだ。感傷的にね……ふーん」

いや、間違いなく酔っている。自分の状態がわからない時点で十分に。

「男の人のそういう目線には慣れてます。別に嫌じゃないし、私もそういう自分を分かってるからいいんです。たまに、ちょっと虚しくなるだけで。でも、クザン大将は……」

「え? おれ……?」

そこで、突然話が自分に向いたことに驚いた。

「クザン大将は、ご自分の下心を隠さないところが凄いなって思いました」

「シタゴコロ……」

なんともあっけらかんと言ってくれるものだ。クザンは内心ガクリと頭を垂れた。

「はい。普通はそういうことを精一杯隠したり、取り繕ったり、最悪な場合こちらを見下すことで誤摩化そうとするんですが、クザン大将は全くそれをなさらないのが素敵だなぁって思いました」

つまり、ただただ正直なスケベってことだよね。
なにやら嬉しそうに頬を染めて笑う彼女はきっと、あの日を思い出している。初めて彼女と会った、あのぽっかりと切り取られたような緑の中での出来事。爽やかな薔薇の香りが脳裏をかすめる。

「だから、あの方たちと全然違う、そう思ったんです」

「えーっと、ラゼルちゃん、それってもしかして……」

「はい」

好きってこと? もしかしなくても、君、おれのこと結構好きなんじゃないの?
カチリとスイッチの入る音がして、クザンの心は決まった。

「よし、わかった。今夜、いや、今から、」

「クーザンっ、たいっしょお〜〜〜〜!!」

クザンががばりと身を起こしたのと、闖入者たちが現れたのはほぼ同時の出来事だった。ガラガラのダミ声と酒臭さと男臭さに、その場にあった甘い空気は一瞬にして霧散したのだった。
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