under the rose
□chapter.37
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「……居たのかよ」
彼女の真摯な眼差しの先には、薄暗闇に溶けこむようにしてサカズキが立っていた。いつもの威圧感を抑え込み、あんまり静かにその場に佇んでいたものだから、ついぞ気が付かなかった。まさか、ずっと見られていたなんてことは、ないよな?
「ガープさん誘ったってこたアンタも行くんだろ?」
「……」
サカズキは多分、ガープがいれば絶対におれが断れないと踏んで、誘ったのだ。自分とラゼルを引き剥がすために。
その行動の意味を考えていた時、だまったままで心底面倒臭そうにうなずいて見せたサカズキのふところから、プルプルプル……、と聞き慣れた電伝虫の着信音が響いた。
「ああ、わしじゃ。どうした……、」
サカズキが電伝虫を片手にその場を離れた途端、後ろで様子を見守っていた野郎共はわらわらと編隊を組み始め、ビノシュを先頭に行進の足踏みを始めた。
「さぁ、みなさん、いいですか! 遅れずこの私めの後に付いてきてきてくだされよ!」
「了解ーッス!!」
「ぶわっはっはっは、任せたぞーーー!!」
その後を、何が面白いのか大声で腹を抱え笑いながらガープが続く。
「オ〜〜、勇ましいねェ……! ほらクザンも、行くよォ〜〜?」
「お、おぅ」
もうここまできてしまっては、断ることなど不可能に等しいではないか。絶好のチャンスを前にして、運命とはなんと過酷なものか。だが、これもまた試練か。彼女と深い関係を築くためには、何が起きても諦めないという鋼の忍耐力を養い……いや、そんな訳ねェだろ絶対。
なんとかラゼルと今日の続きをしたい。試練なんぞアホらしいことしてる隙に、手遅れになる前に……!
……また愕然喰らいたいのか!?
さっきのたしぎの言葉が頭をよぎって不安を煽る。不覚にも、あの言葉は効いた。それがたしぎから発せられた言葉と思うと釈然としないものがあるが……。ああ、わかってる。その言葉は正しいさ。偶然に甘んじていては何も始まらない。なんせ人生の半分折り返したっぽいオジサンなんで。くそっ、またたしぎの奴が……いや、今はそんなことどうだっていい。ここで大事なのは、彼女との今後に繋がる、なおかつ気の利いた別れの文句を決めること。
「あの、ラゼルちゃ、」
「すまんな、クザン……。わしは用が出来て行けんようになった。代わりと言う訳じゃあないが、ボルサリーノ、これをビノシュに渡したってくれんか」
彼女に声を掛けようとしたところでタイミング悪く、サカズキが戻って来た。電伝虫をコートの内にしまいつつ、そこから何やら布の包みを取り出す。厚みのあるそれをボルサリーノに放り投げて寄越すと、すまなそうなそぶりなど少しも見せずに、奴は一行から背を向けた。
「なんだいサカズキ〜〜。まさかこんな時間からお仕事ってんじゃないだろォ?」
包みを受け取ったボルサリーノは、こんな重たいの、わっしがもらっちゃうよォ、と冗談めかし眉尻を下げながらサカズキの背に向かって問うた。立ち去ろうと踏み出した長い足が止まる。
「あ、サカズキ大将! お仕事なら私も御一緒いたしま、……」
「仕事じゃないけェ気にせんでいい。お前はもう帰って休め」
膝に乗せたたしぎをそのままに、慌てて腰を浮かせようとしたラゼルを、サカズキの低い声が制した。
「……わか、りました」
すとんと再びその場に腰を落とした彼女の膝の上で、たしぎがううん、と小さくうなった。
「ほいじゃあわしは行く。クザン、誕生日だからちゅうて……。いや、……今日はラゼルの為にいろいろと悪かったな。助かった」
「は……? 今なんて、」
奴の言葉の意味を、脳はうまく処理出来なかった。そんな類の言葉がサカズキから発せられるケースなんて、あまりに想定外過ぎて。
「毎年毎年迷惑なことしよると思うちょったが、今年は目をつぶる。……せいぜい楽しんで来い」
いつもならここで小言の二つや三つ、いや五つは飛び出してきそうなところを、楽しんで来いときた。あの堅物野郎が……。もはや、思考回路はショート寸前。
「オ〜〜……サカズキの奴、一体どうしちまったんだろうねェ? こりゃあ明日は雹が降りそうだ。ン〜〜、 それより……。健気な別嬪さん、サカズキ来ないけど、キミもわっしらと一緒においでよォ?」
ラゼルを見れば、なんだか気の抜けたような顔をして、遠ざかっていくサカズキの背をぼんやりと眺めていた。だが、それもほんの一瞬。次にはもう、彼女の方に背を屈め詰め寄るボルサリーノに、あの麗しい笑顔で向き合っていた。
「ありがとうございます、黄猿大将殿。皆様にご同行させていただきたい気持でいっぱいなのですが、女で新参者の私が混ざってしまっては、きっと気を遣わせてしまうと思います。今夜は皆さんだけで存分に楽しんでいらっしゃってくださいね!」
いまだに赤味の残る艶やかな頬、わずかに潤んだ深い紫の瞳で見つめられて、ボルサリーノはほんの一瞬驚いたように細い目を見開いた。そして、なんともだらしなく相好を崩した。
「ほんっとぉ〜〜に行かないのかい? わっしらは全然構わないよォ?」
「ほんとーーに、行きたいところなのですが、サカズキ大将に帰宅命令を出されてしまいましたので……。今日はもう大人しく帰ります」
しゅんとした様子でラゼルが俯くと、ボルサリーノは小さい子にするように、彼女の頭を優しく撫でた。
「そうかい、残念だねェ……。サカズキの野郎ォ〜、こんな可愛いコほっぽって……。まぁ奴にはわっしらと違って家庭があるからねェ……。よォし、じゃあ今度はわっしとキミの二人っきりでさ、」
ボルサリーノはごく自然にラゼルの手を取ると、白い陶器のようなその甲を撫でさすりながら一段と距離を詰める。
「あ、あの……?」
「はいはいはい、ストーーップ! さァそんじゃ行きますかね、黄猿大将殿!!」
「何だァ、クザン! お前さんに腕組んでなんか欲しかァねェのよォ〜〜! わっしはこの別嬪さんと……」
放っておけば延々とラゼルを口説き続けそうなボルサリーノの腕を取り、丁寧に彼女のものを引き抜くと、クザンは力の限りぐいぐいと引っぱった。
「ええっと……ラゼルちゃん、今日はありがとね! ちょっとの間だったけどほんっと楽しかった! 続きはまた今度……!」
「あ、お礼を言うのはこちらの方です! 今夜のこと、本当にありがとうございました! また、是非……」
咄嗟に出た別れの言葉は、あまりに月並みで、色気も何もなくて、哀しくなった。これじゃあ次に繋がるどころか一からやり直しかと、クザンは内心がっくりと項垂れた。
「是非、えっと……。お願い、します……」
なのに彼女は、ボルサリーノに向ける笑顔とは違う、少しはにかんだような、残念そうにも見える可愛らしい表情で礼を言ってくれた。そうして、戸惑うように視線を泳がせ、唇に指先を当てた。自分の言葉を訝しむように不思議そうになぞっている。さっき己のものと絡め合った、あの艶かしい指で。
「……、」
ふいに気が遠くなった。艷やかに赤く、ふっくらとした彼女の唇を、まるで自分の指で触れているような錯覚に陥って、じんと体の芯が熱くなった。
またこれだ……。ほら、胸がどうしようもなく掻き立てられる。
「おおい、クザンよォ〜〜! 続きってお前、何だよォ……!」
ハッと我に返れば、ボルサリーノが疑わし気な目でこちらを睨んでいる。
「なんでもねェよ」
「ふぅ〜〜ん……」
足が止まっていたことに気付き、奴の肩を強引に前向かせ、押し出した。そうやっておっさん二人、忙しなくその場を後にした。
「早く行かねェと……!」
どことなく無防備な彼女の様子を、これ以上ボルサリーノに見せたくなくて、クザンはいっそう足を早めたのだった。