under the rose

□chapter.39
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「、ふごっ…………がっ!?」

後頭部に鈍い衝撃を受けて、悶絶すること十数秒。どうやら自らのイビキで目が覚めたようだが、この痛みはなんだ。

「クソ……ッ。なんだってこんなとこで寝ちまったんだおれァ……」

ジンジンと痛む後頭部をさすりながら起き上がると、寝惚けまなこをこすりつつ、スモーカーは薄暗い自分の部屋を見渡した。
寝起きの一撃の正体は、日頃愛用しているダンベルの重しであることが判明した。要は、床置きにしてあったそれに、寝返りをした拍子に頭をぶつけただけのこと。
カーテンからわずかに挿し込む朝の光が目に沁みる。昨日はベッドに辿り着く間もなく眠ってしまったのだろうか。確かに疲れていたような気はするが、律儀な質だ。よっぽどのことがない限り、そんなふうになることは今までなかったはずだ。

「ん〜、……」

まだ回りきらない頭で、昨日の記憶を引き摺り出す。
昨日は……、
そうだ。本部で宴会があったんだ。モモンガさんと呑んで、いつも通りたしぎがやらかして、酔い潰れた野郎どもの世話をして、くたびれ果てた雑用たちに指示を出し、仕上げにたしぎの後始末をして、それで……
それで、なんだ?
脳裏に、淡い桜の花びらがよぎった。薄暗闇に、ぼんやりと光って浮かび上がるのは、ひらめく薄い花弁と、ほの赤く色づいた白い頰。思わず触れた手に、しっとりと吸い付くようなきめの細かい柔らかな感触。

「あ、起きちゃいました?」

「!?」

背後から聞こえた声に、とっさに体が動く。知り尽くした自分の部屋の中。リビング入り口の左横、置き場所だけはいつも違えたことのない十手に手を伸ばすと、振り返りざまに、声を発した者に突きつける。

「きゃ」

緊迫感のない短い悲鳴の後に、十手を突きつけられた侵入者は小さく両手を上げた。一拍遅れてパサリと乾いた布の音がした。

「誰だ。ここで何してる?」

動きを封じてからはじめて、スモーカーは侵入者を見た。女の顔にかかる淡いプラチナブロンドが薄暗い部屋の中で、ぼんやりと光を放っていた。それはまだ水気を孕んで、ぽたりぽたりと白い肌に筋を描く。足元に落ちたのはバスタオル。手を上げたことで留めるものがなくなり、体から滑り落ちたらしい。文句の付けようのない完璧な肢体。まだ湯気の上がる身体を惜しみなく晒して、世にも美しい女が口を開いた。

「え、何って……」

十手を突きつけられているというのに少しも怯んだ様子がない。裸だというのに、隠すそぶりすら見せない。その女は、いっそ清々しいほど堂々とスモーカーの前に立っていた。

「もしかして、覚えてないんですか?」

やけに落ち着いた女の声は、なんとも耳に心地よく抜けていく。
そうだ、この声を夜中ずっと聴いていた。甘やかな嬌声、苦しげな懇願……。途端に下半身に血が集まってきて、スモーカーはハッと我にかえる。昨夜の記憶が奔流となって押し寄せて来る。

「あぁ……クソ……、そうか……!」

思い出す程に昨夜の失態が脳内に溢れ、羞恥、罪悪感、後悔……そして、とめどない快楽までもが甦る。あられもない光景と共にそれらはぐるぐると頭の中を駆け巡り、もはや軽いパニック状態だった。

「す、スマンっ……!」

とりあえず謝罪をしなければと焦るスモーカーの手から十手が落ちた。ガランと鈍い音がして床に転がったそれは、女の足元の方へ。そして、その爪先に触れると同時に、小さな悲鳴が上がった。細い体がふらりと前のめりになったかと思うと、こちらに倒れ込んで来る。

「な、なんだ!?」

咄嗟に腕を伸ばして抱きとめれば、柔らかな体はすっぽりと腕の中に収まってしまう。まだ水気を纏った肌が、自分の素肌にしっとりと重なった。

「これ、海楼石……?」

ぐったりと力なくもたれかかってくるその様子は、よく知る反応だった。

「あ、ああ……。もしかして、おまえも能力者だったのか」

「ええ……、まぁ」

ふぅ、と気怠げな息をひとつ吐くと、肩に小さな頭が預けられた。
シャワーを使ったのだろう。閉じ込めた体からはかすかに湯気が上がって、彼女の肌の匂いが鼻孔を満たす。強く人工的なものではない。瑞々しい、野生の花の香り。

「ハァ……チクショウ、」

スモーカーは目眩を覚えた。彼女を抱えたままで、手のひらで額を覆う。
幻のような昨夜の記憶が、重なる肌を通してまたありありと蘇ってくる。


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