wanderer into the blue 3
□No.13
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少しずつ、気温が上がり始めていた。
遠くから甲高い海鳥の声が聞こえる。じんわりと汗ばむ額。呆然と空を見上げたままの首筋に汗が一筋伝い落ちて、ローはハッと我に返った。
「ジェイド……!」
何を放心しているんだおれは。あいつはたった一人で……!
ローは立ち上がり、投錨台から甲板を繋ぐのに造り付けられた簡易梯子に手を掛ける。頭上からは不気味なほどに物音がしない。足下から聞こえる小さな波の音と、軋み擦れるロープの悲鳴、木製の船が発するくぐもった呻き声。それに、海鳥の鳴き声が全てだった。とっくに甲板に辿り着いているはずのジェイドは今、何をしているのだろうか。どこかに隠れて隙をうかがっているのだとしたら、早く自分も加勢しなければ。
痛みも恐怖も忘れ、ローは、ただ甲板を目指し梯子を登る。
あと一手で船縁に手が届くと思ったとき、視界の一部がパッと黒く翳った。
「!?」
驚き空を仰ぎ見れば、大鷲が頭上を過ぎったところだった。羽を広げれば自分の身長よりずっと大きさのあるその鳥を目で追うと、海面に近い場所で餌を探す海鳥の群れに一直線に突っ込んでいく。ギャアギャアと、海鳥たちの騒がしい悲鳴と羽音が響き渡って、しばし後に静まった。大鷲は一匹の海鳥を捕らえたようで、鋭いくちばしに獲物をぶら下げたまま、一気に遥か上空へ舞い上がる。圧倒的な存在を前に、なす術もなく捕らえられた白い海鳥は、精一杯羽をバタつかせ足掻き、哀れな鳴き声が空から落ちてくる。
太陽をまともに捉えた目が滲みて、瞼をこすった。少しして、ハラハラと舞い落ちて来る白い羽に、ジェイドの姿が重なった。
頼むから早まらないでくれ。今、おれも……、
思い切って甲板から顔を出せば、目の前には己の予想を大きく裏切る光景が広がっていた。
「ローくん、ナイスタイミング」
甲板の中央には、折り重なるようにして倒れ込んでいる男たちの姿があった。ぴくりとも動かず音も発さない。その傍らにしゃがみ込んだまま振り返ったジェイドは、小さく笑うとローに先程と同じサインを送る。大鷲は、ジェイドの方だったのだ。
「お前、これひとりで……?」
武器なんか持ってなかったはずだ。打撃の音も、人間が倒れる音だってわからなかった。自分が惚けていたあの短い時間の中でこれをやってのけるなんて、相当の手練としか思えない。
「素手なんでちょっと緊張しましたが、鈍い人たちで助かりました。数も少なかったし、多分、攻撃されたことだって気付かなかったかも……。さて、ローくんもなにか武器になるもの探すの手伝って下さい。中から人が出て来る前に、急いで」
「あ、ああ……」
伸びている男たちの体を検分しながら小声で指示を出すジェイドは、手に回収した武器を抱えると、ローと舷縁の影に移動した。
「ナイフ、銃、斧、ロープ、こん棒?……こんなもんですかね」
海岸方面からは完全に死角となるその場所で、二人は回収した武器をあらためていた。
「私はナイフとロープをもらいます。ローくんは?」
「おれはコレ。あとは銃」
ジェイドがこん棒と言ったものは、釘やなにかがデタラメに打ちつけられた木製バットだった。それは、妙に懐かしい感じがしてよく手に馴染んだ。あとは、型の古い小銃をズボンのベルトにねじ込む。
「了解。出来るだけ発砲はなしで」
「わかってる」
腿にロープを巻き付け簡易ホルスターのようにナイフを仕込んだジェイドは、手にも小振りのダガーナイフを握って、それを指の先でくるくると回転させたりしている。
「次は船首楼を制圧します。ここには五人。私が突入して出来るだけの早さで黙らせるので、ローくんは通路で誰か来ないか見張ってて下さい」
「いや、突入はおれが。お前が見張りを……」
ジェイドばかりを危険な目には遭わせられない。自分だって、これまでずっとこんなことをやってきたはずだ。いつまでも人の背中で怯えている訳にはいかない。
「ローくんに、出来ますか? 五人、周りに気付かれないよう素早く片付けることが」
「出来なくは、ないと思う……、」
言葉尻が、情けなくしぼんだ。ぶんぶんと首を振ってこぶしを握る。
「いや、」
まだ不安はあったけど、大丈夫。もう震えてなんかいない。そうだ、あの失敗はもう繰り返さない。
「大丈夫だ。出来る」
ジェイドの大きな瞳がうなずくように瞬いた。
「わかりました。ここは頼みます。では、その間に私はボイラー室へ行きます」
「……了解」
任されたことに心臓がドクリと跳ねた。ジェイドは信じてくれた。あんな情けない話を聞いた後でも、少しも疑わずに背を押してくれる。そのことが、胸に温かく火を灯す。冷えていた指先に熱が通う。
「必ず」